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台湾をめぐる

新旧が対話する 歴史ある港町——基隆

新旧が対話する 歴史ある港町——基隆

文・林念慈  写真・林格立 翻訳・松本 幸子

2月 2017

山を背に海を抱く基隆市では新旧が交錯し、それぞれが特色を放っている。(林格立撮影)

カモメが飛び交う中、港に集まった大きな貨物船からカラフルなコンテナが下ろされ、積み木さながらに積み上げられていく。海に浮かぶ宮殿のような豪華客船も次々とやってきて、この港で碇を降ろす。船上の乗客の目に映るのは、背後に山がそびえ、山並みに沿って古い家屋の並ぶ魅力ある町だ。民家の素朴な色合いと、色とりどりのコンテナがひしめく港町の風景を見ていると、ふとスペインのバルセルナにでもいるような錯覚を覚える。おぼろげに霞んだ山の中腹に目を凝らすと、「KEELUNG」(基隆)と大きな文字が掲げられている。

ここが基隆だ。美しい朝にここから船出するのもよし、或いはここで碇を降ろし、港町の豊かな文化を訪ねる旅をするのもいい。

基隆駅のスケッチ。古い建築物にこの街の歴史が感じられる。

歴史ある港町を新たに

北は東シナ海に面し、残りの三方を山に囲まれた基隆は、この百年の間、台湾北部における最も重要な港湾都市として発展を続けてきた。貿易や観光で栄えるこの町は、まるで一粒の宝石のように台湾北部で輝いてきた。

清の光緒年間(1875~1908年)に作られた基隆港は、たちまち台湾最大の貿易港となり、それに伴ってさまざまな商業が発展した。港に大量の労働者が集まることによって交通も発展、飲食店や歓楽街、また、正浜漁港や崁仔頂魚市場なども大いに賑わった。先住民や移住してきた漢人の子孫、客家の人々、戦後に中華民国国軍とともに渡って来た人など、誰もがそれぞれに夢を描き、この地で懸命に生きてきた。古くから「水が東に流れる地は、食いっぱぐれがない」と言われることから、昔の人々にとって、ここは富める楽園だったのである。港が繁栄をもたらしたというよりは、夢を求める人々の努力がこの富める町を作り上げ、百年の繁栄を生んだと言ってもいいだろう。

宝石のように光り輝くこの町は、まるで海を見つめる目のように、ある時は港の繁栄に笑みを浮かべ、ある時はその衰退に涙してきた。ほかの港が発展するにつれ、基隆港の貨物量は次第に減少している。そのうえ漁業資源の枯渇や鉱山の衰退などもあり、人口が流失していった。そうした状況からいかに基隆を立て直すか、多様な自然景観や百年の歴史を生かし、皆にとっての輝ける港町として基隆をいかに生まれ変わらせることができるか、それが現在の基隆市にとって重要な挑戦となっている。

基隆市の模型の前に立ち、これから推進する「大基隆歴史景観再生プロジェクト」について語る林右昌市長(中央)。基隆市の彭俊亨文化局長(右)とともに全力でこれを推進し、基隆のかつての華やぎを取り戻していく。(荘坤儒撮影)

歴史的風景を再び

スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、日本が、かつて基隆港の歴史を刻んだ。日本統治時代に描かれた基隆港鳥瞰図が、基隆市長室の外に大きく掲げられている。町を取り巻く山々や川の流れるさまが手に取るようにわかり、遠くには和平島、二沙湾砲台、大沙湾石囲遺構なども描かれている。当時の古い町並みが目に浮かび、海風までも感じられるようだ。

「基隆の歴史的特色は港であり、港は世界へ向かうスタート地点でもあります」と林右昌・基隆市長は笑顔で語る。銀縁メガネに淡いピンクのシャツを着た若い市長は、注意深く相手の言葉に耳を傾け、熟考しながら語るが、愛する基隆のこととなると自信にあふれる。「基隆港は建港130週年になるので、市では数多くのイベントを企画してきました。最近催した台湾八景及び古地図展覧会は、古地図によって歴史や人々の記憶を語り、基隆を再認識してもらおうという企画です。港の歴史は、基隆成長のいしずえだからです」

今回、政府文化部による「歴史現場再生プロジェクト」において、基隆市の「大基隆歴史景観再生プロジェクト」が採用された。それは、文化遺産中心のスペース管理で、それらを「点から面、さらには回廊としてつなげる」というコンセプトで行う。つまり、土地や歴史、人々との関係をつなげて再現することを目指し、地域のスペース管理を国家のそれと統合することで、歴史・文化スポットを線として結びつけ、さらに各部門の関連プロジェクト統合によって全「面」的にそれらの保存を行う。

点在する歴史スポットをつなげることは、歴史シーンの新たな再生となる。また、それぞれの時代を語り直すことで、それまで単一の時間軸で語られていたものを多角的に見直せる。こうして視点を広げ、人々の参加を促すことで、地域への認識や思いを深めてもらおうというのだ。つまり「大基隆プロジェクト」は、単なる建築物修築ではなく、町全体の、文化や歴史の全面的な見直し作業である。人々が当時の暮らしを感じられるよう、つまり空間と時間との対話となるよう町全体を建設し、歴史を出発点に未来へとはばたくことを目指す。

基隆の旧駅舎内に展示された台湾の古地図。詳細に地形が描き込まれ、地名も明記されており、かつての台湾の様子がよくわかる。(荘坤儒撮影)

2軸、3基地、無数の物語

歴史シーンの再生は、まず歴史文献が出発点となる。基隆の歴史は長く、日本統治時代にすでに台湾八景の一つ「基隆旭丘」として挙げられていた。また各時代の古地図からも、スペイン人、日本人、フランス人、オランダ人にとって基隆が重要な港であったことがわかる。したがって今回のプロジェクトも港の大沙湾が中心だ。大沙湾はその昔、最も早くに集落のできた地域で、かつては基隆唯一の海水浴場もあった。清の時代の旧跡がこれほど多く残る地域は台湾でも少なく、清仏戦争記念パーク、太平輪沈没事故慰霊碑、大沙湾石囲遺構、基隆要塞司令部校官宿舎など、重要な旧跡が点在する。

基隆市は、点在するこれら旧跡の統合を計画した。まず二沙湾と旭丘を2本の軸とし、大沙湾、社寮島(和平島)、白米甕砲台の3地点を結びつけることで、より完全で内容豊かなものとして歴史を再現させ、現代の人々にそれらと語り合ってもらおうというものだ。

社寮島は、現在では和平島の名で知られるが、かつては国際貿易で栄えた港があり、1626年にはオランダ人が当地にサン・サルバドル城を建設している。海外の考古学チームによって2011年と2014年に発掘調査がなされ、今年も再調査が予定されている。一方、基隆港西岸にある白米甕砲台も同プロジェクトの重要地点だ。市はここを基隆西岸の文化発展の中心として周辺地域の活性化を図る。この一帯はかつて「オランダ町」と呼ばれ、同砲台は台湾が日本に割譲される前からここに存在し、清朝末期の激動の時代を見つめていた。砲台の西側に高々と聳える3本の煙突は、基隆港のランドマークの一つでもある。夕刻のおぼろげな風景は「米甕晩霞」と呼ばれ、見逃せない景勝となっている。

林右昌市長は、古地図の模写を大切そうに取り出し、地図をなぞりながら基隆の歴史を語ってくれた。清仏戦争の名残りで、基隆にはフランス人墓地や民族英雄紀念墓などがある。毎年これらの場所では盂蘭盆会に、かつて基隆に暮らし、この地で奮闘した外国人のための供養が行われ、基隆市からも代表が参加する。また、ベトナム戦争の間も基隆には米軍第七艦隊が駐屯し、アメリカ人の姿が多く見られたものだった。

戦争にまつわる悲しい歴史だけではなく、笑いを誘うような物語もある。第二次世界大戦末期、台湾から任務に出る予定の神風特攻隊があったが、日本が敗戦したため、特攻隊員はそのまま帰国することになった。隊員の一人は何気なく砂糖を一袋携えて帰国したのだが、物資の欠乏した日本でその砂糖は高い価値を持ち、その特攻隊員は大金を手に入れたという。

こうした昔の記憶も、現代の科学技術によって再現が可能になった。市のプロジェクトでは、バーチャルリアリティや拡張現実などのデジタル技術を駆使し、同一エリアにおける異なる時代の古地図を重ね合わせるなどして、文化遺産の再現を試みている。

夜通し明りが灯り、仕入れの人出で にぎわう基隆の崁仔頂魚市場。

人文の都、芸術の町へ

基隆市文化局長の彭俊亨はこう語る。基隆の発展史はとても長く、スペイン人、オランダ人の上陸から今日まで、基隆は常に世界の発展とつながってきた。現在、基隆市が力を入れているのは、「地域の歴史的感覚を取り戻すことだ」という。見落とされてきた歴史を掘り起こすだけでなく、さらに重要なのは、人々がこの地を誇りに思えるようになることだ。地域に対する愛着や共通認識が育ってこそ、地域を大切にしようという思いが生まれる。

もちろん、歴史の記憶を掘り起こすのは簡単なことではない。歴史というのは、単なる事件の羅列ではないので、教育的意義や想像空間、美学などの点をきちんと考慮する必要があるからだ。しかも政府文化部もこう指摘している。「建築類文化遺産」については、国の空間利用政策でも明確な定義がなく、運用や保存面で困難をきたしている。最終的にはやはり「人」を中心に据えた「物語」というコンセプトで、現代人の歴史に対する関心を引き出し、現代と歴史を対話させる。そうしてこそ、これら大切な文化遺産は受け継がれ、歴史の活性化が実現できる、と。

彭俊亨局長は、基隆が将来「人文の都、芸術の町」になることを願う。そこでは、町全体が自分たちの美術館、或いはパフォーマンスの舞台となり、一人一人がその主人公となる。したがって、市の力だけでなく、その実現は住民全体の努力にかかっている。

林市長も「基隆港が発展してこそ、基隆市の発展があります。それと同時に、基隆市全体の発展は、基隆港の将来にとっても最大の支えとなります」と言う。市と港の統合、旧駅周辺の都市開発は、基隆というこの宝石をさらに輝かせることになるだろう。地域の統合や歴史の再現によって、市民の参加が進むことを市長は期待している。小学校でもそうした取り組みが実践できれば、人々は小さい頃から、「ここが自分たちの町であり、自分たちの故郷なのだ」という自覚が生まれるだろうという。

130年の紆余曲折を経て、海洋を向いていた基隆は振り返って自らを見つめ始めた。自分の物語を深く理解できてこそ、世界にはばたく力や勇気も生まれる。今回の歴史再建プロジェクトは、まさに新たな出発だと言えよう。明るい日差しの中、海はどこまでも青く、人々は過去の悲しみに別れを告げ、未来へと歩みを進める。これは基隆にとって、新たな船出となるだろう。

夜通し明りが灯り、仕入れの人出で にぎわう基隆の崁仔頂魚市場。

北は東シナ海に面し、残りの三方を山に囲まれた基隆は、台湾北部における最も重要な港湾都市として発展を続け、貿易や観光で栄えてきた。(写真は正浜漁港)

北は東シナ海に面し、残りの三方を山に囲まれた基隆は、台湾北部における最も重要な港湾都市として発展を続け、貿易や観光で栄えてきた。(写真は基隆港に面した陽明海洋文化芸術館)

「大基隆歴史景観再生プロジェクト」では地元の文化や歴史を全面的に見直し、空間と時間との対話を通してかつての暮らしを身近なものとし、それを通して過去と未来をつないでいく。上の写真は白米甕砲台。

空間を有効に活用して歴史をより内容豊富な完全な形で再現し、現代と対話させていく。写真は大沙湾石囲遺構(基隆市文化局提供)。

空間を有効に活用して歴史をより内容豊富な完全な形で再現し、現代と対話させていく。写真は旧造船所。

空間を有効に活用して歴史をより内容豊富な完全な形で再現し、現代と対話させていく。写真は旭丘指揮所(基隆市文化局提供)。

波による長年の浸食によって生まれた独特の景観は、北台湾の重要なランドスケープである。写真は基隆の和平島(林格立撮影)。