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産業イノベーション

高山にサンバーを追う ——台湾の野生動物保全の最前線

高山にサンバーを追う ——台湾の野生動物保全の最前線

文・陳亮君  写真・顏士清提供 翻訳・山口 雪菜

11月 2017

サンバー(水鹿/スイロク)は台湾の高山における最大の草食動物で、かつて棲息地の破壊と乱獲のために、一度は絶滅の危機に瀕していた。その後の保護が功を奏し、今では数は増え続けているが、天敵がいないため別の問題も生じ始めている。サンバーの存在は、人と環境、特に高山の環境と緊密に結びついており、さまざまな問題を考えさせる指標となる生物種なのである。

もし山に動物がいなければ、その景観がいかに美しくても、その山は魂を持たないに等しい。サンバー(水鹿/スイロク)は台湾の高山における最大の草食動物で、かつて棲息地の破壊と乱獲のために、一度は絶滅の危機に瀕していた。その後の保護が功を奏し、今では数は増え続けているが、天敵がいないため別の問題も生じ始めている。サンバーの存在は、人と環境、特に高山の環境と緊密に結びついており、さまざまな問題を考えさせる指標となる生物種なのである。

子供の頃から動物が大好きだった台湾師範大学生命科学科の王穎教授、そして登山と大型動物をこよなく愛する台湾大学動物科学技術学科ポストドクターの顔士清。一方は十数年にわたって野生動物を研究してきた学界の権威、もう一方は若い研究者、この二人はサンバー(水鹿)研究の過程で困難や喜びを体験し、その保全において重要な役割を担ってきた。

タイワンサンバーは、針葉樹とヤダケが混生する林を好む。

「野生動物保育法」成立のために

80年代の初め、台湾経済は発達し、しだいに野生動物の保護に関心が注がれるようになった。王؟oは当時の状況を次のように記している。「1984年の墾丁国立公園の設立がマイルストーンとなり、台湾でもようやく正式な機関による野生生物保全がスタートした」と。王穎は1989年に「野生動物保育法」の草案策定に加わったが、その頃はちょうど、世界でも生物多様性条約に関する議論が盛んになっており、地域住民、特に先住民族の権利と伝統の知恵が注目されていた。

「野生生物保育法」が施行されると、保護の必要な絶滅の危機に瀕した生物種についての討論が始まった。当時、台湾最大の草食動物であるサンバーの数は非常に少なく、登山愛好家の間では、サンバーに出会える確立は宝くじに当たるのと同じぐらい低いと言われていて、野生動物を研究していた王穎の注意を引いた。「当時はサンバーの姿を見る機会は本当に貴重でした。2000年の頃、奇莱北峰でサンバーに1メートルの距離まで接近したことがあります」と王؟oは語る。

メスは子ジカと3〜4頭の小さな群れを作って行動する。

絶滅に瀕した野生のサンバー

当初は、これを人工繁殖しようと考える鹿牧場もあり、先住民がサンバーを捕らえて牧場に売ることもあった。当時、サンバー1頭の価格は普通の人の年収にも相当したと王穎は言う。こうして乱獲と棲息地の破壊が進み、サンバーの数は急速に減少していった。

1986〜87年、王穎は全国の野生動物資源利用状況を調査したが、野生の鳥獣を提供する飲食店でもサンバーの食用は非常に少なかった。1989〜90年には鹿牧場で肺結核が流行し、すでに希少となっていたサンバーの数はさらに減少した。「同じシカ科のキョンは万単位の数でしたが、サンバーは数百頭を残すのみで、数が激減した後の回復は非常に難しいのです」

顔士清は初めてサンバーを捕らえた時の情景を思い出す。学者や研究生たちが、経験豊富な先住民2人の指導を受けながら重さ20キロの網を持って山に入り、雨の中、2日間歩いて盤石西峰の小さな窪地にテントを張った。そして近くに網を仕掛け、そこに男性たちが小便をしてその匂いでサンバーを引き寄せるのである。

研究者は重い装備を背負い、山の中を2〜3日も歩いてようやく調査エリアに到達する。

サンバー追跡研究のマイルストーン

サンバーが現われた時に、どうやって網に追い込むか練習して夜を待った。テントから網の仕掛けまでは20メートルほどの距離である。夜になり気温が下がってくると、外から「麻酔を準備しろ!」という声が聞こえた。顔士清ともう一人の研究生が跳び出し、大声を上げながらライトをつけてサンバーを網の中へ追い込んだ。

網にかかったサンバーに獣医が麻酔を打ち、それが効いてきた頃、数名で飛び掛かって頭を押さえて足を縛り捕獲した。それからサンバーを吊るして体重や身長を計り、採血し、体表の寄生虫のサンプルも採り、無線発信機の首輪を取付けて放した。これは2009年の7月15日のことだ。こうして王穎と顔士清が率いるチームが首輪をつけることに初めて成功し、サンバーの追跡研究における重要なマイルストーンとなった。

サンバーは一頭ずつ性格が異なり、大人のオスは一般に大胆だ。写真は人見知りしない「好奇哥」。

困難続きの山中での研究

だが、順調なことばかりではなく、夜中に豪雨に見舞われることもある。山に挟まれた谷間にサンバーの罠を仕掛け、近くにテントを張ったところ、夜中にテントの下がぬかるんでいるのを感じて起きると、外の鍋やサンダルが水に浮いていた。そこで少し高い所へテントを移したが、そこも水に浸かってしまい、夜中に幾度も移動を繰り返した。

そこから月形池というところへ移動した後も強い風雨に見舞われてテントも設置できず、別の研究チームからテントを借りて6人で寝たところ、テントの下にまた水が溜まってきた。そこで同行していた先住民のベテラン猟師ダマ・リンガヴに尋ねると、彼は一つの物語を話してくれた。かつて集落の老人が話したことだが、何人かが猟に行き、悪天候に見舞われて水に浸かってしまった時、その場にとどまった人々は無事だったが、場所を移した人々は全員亡くなってしまったというのである。これを聞いた皆は顔を見合わせ、その場にとどまることにした。テントの中に水の通り道を掘り、6人でひとかたまりになって長い夜を過ごしたのだという。

もちろん楽しいこともある。サンバーは一頭一頭性格が異なるため、研究チームはそれぞれに名前を付けている。好奇心いっぱいの「好奇哥」は大きなオスで、まったく人見知りせず、テントの近くをうろうろする。捕らえて首輪をつけられた翌日もキャンプへ戻って来て研究者たちが何をしているのか観察しているのだという。すばしっこい「機霊哥」は、仕掛けた網の中に入ってエサだけ食べ、周囲に少しでも動きを感じると、素早く逃げていく。しばらくすると戻って来て再びエサだけ食べて逃げていくので、研究チームは疲れ果ててしまった。ある時は、角にひっかかった網を引きずりながら逃げていき、いくら探しても見つからなかったが、翌日また現われた。

驚嘆号池のキャンプ。研究チームは、ここに1〜2週間も留まる。

環境への不安

近年、保護が功を奏してサンバーの数が少しずつ増えてきたが、サンバーには天敵がおらず、林業に影響が出始めた。特に標高の高い地域の針葉樹林で、ニイタカトドマツやタイワンツガなどが死んでしまい、中でも玉山国立公園で大きな被害が出ているのである。

屏東科技大学野生動物保育研究所の翁国精准教授の研究チームが玉山でサンプリングして調査したところ、サンバーの排泄物に見られる寄生虫の数が他の地域より高いことがわかった。樹皮とサンバーが各地で食べるヤダケに含まれる縮合型タンニンの量を調べたところ、樹皮によってタンニンの含有量は異なるが、ヤダケからはまったく検出されなかった。縮合型タンニンは消化器の寄生虫の駆除に役立つ。したがって、サンバーが寄生虫駆除のために樹皮をかじっている可能性もある。ただ、この仮説が成立するかどうかは、実験の完了を待たなければ分からない。

こうした悪影響の可能性だけでなく、良い研究成果も出ている。太魯閣国立公園管理処保育課の孫麗珠課長は、太魯閣国立公園内のサンバーの生態を研究してきた。4年余りにわたって、国立公園外の地域も含め、1000点以上のサンバーの排泄物のサンプルをとって遺伝子を調べたところ、台湾のサンバーは10万年前の高山氷河と雪による障壁に隔てられ「太魯閣雪覇」と「中央山脈」の二大グループに分けられると推論されるという。これは重大な新発見であり、サンバーに対する国民の理解を深めるものとなるだろう。

アンテナを手に、山の中のサンバーの行方を追跡する顔士清博士。

環境と経済と動物保全のバランス

台湾では「野生動物保育法」というように「保育」という言葉を使っているが、このことについて王؟oは次のように説明する。「30年余り前、私はconservationを『保護』ではなく『保育』と訳しました。当初、アメリカでは多くの動物が絶滅の危機に瀕しているというので保護を開始し、それをpreserveと言いましたが、それらの動物の数が増えてからはconserve(日本では保全と訳される)という表現を使うようになったのです」conservationというのは、保護によって数が増えた後、人間が利用するという概念だと説明する。顔士清は日本のニホンジカを例に挙げる。百年余り前、ニホンジカは絶滅の危機に瀕していた。そこで鹿猟を禁止すると、間もなくシカの天敵であるニホンオオカミが狩猟によって絶滅してしまった。その後、ニホンジカの数は増え続けたため、狩猟が解禁されたのである。現在、北海道では年に8万頭のニホンジカが狩猟の対象となっているが、それでもまだ多すぎ、農業や森林に大きな損失をもたらしているのである。

現在の台湾のサンバーの状況は50年前の日本のそれとよく似ている。王穎によると、保護対象の生物種の数が増えれば、一般の人々のエコツーリズムの目的として開放できる。エコツーリズムを通して人々が間近で観察することで、サンバーの棲息環境を守ろうという機運が高まり、環境保全の意識も高まる。また一方では特定の区域で先住民による狩猟に開放することで、その数を適正に維持することも可能だ。それにより、サンバーの数が増えすぎることによる環境へのダメージを抑えられ、また先住民族伝統の狩猟の祭儀やそれによる尊厳も守ることができ、狩猟の技術も受け継がれていく。こうすることで、サンバーは環境と経済と動物保全の架け橋となるのである。

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サンバー捕獲の様子。

角があるのがオス、ないのがメス。