
台湾茶は世界的にその名を知られている。標高差が大きく、北回帰線を挟んで熱帯と亜熱帯の交差する台湾では、製茶技術も成熟しており、台湾茶特有の風味が生み出されるのである。
どこへ行けば台湾茶に出会えるのか。新春を迎えた今、販売店や茶芸館ではなく、茶畑の中で茶を生産販売する茶荘を訪ねてみてはどうだろう。茶畑や製茶の工程を見学し、茶を味わい、さらに近くの景勝地などを訪ねれば、生活の美を堪能できることだろう。
「千里の道も一歩から」と言われる。一年の計を立てる新春の夜明け前、標高1250メートルの阿里山隙頂に登り、御来光を拝んだ。茶畑と竹林の中を通る二延平歩道を歩けば、周囲の山々を背景に、眼下には緑の茶園を望む。運が良ければ、八掌渓と曾文渓の合流地点の気流が山に沿って上昇し、霧が滝のように流れ落ちる景観にも出会える。この「茶の歩道」の終点にある茶荘「飲山郁」で、阿里山茶の「利き茶」を体験できる。

飲山郁の「一日テイスター」体験では、品種や焙煎度合いの異なる阿里山茶を一度に10杯楽しむことができる。
茶のテイスティング
隙頂は阿里山高山茶の重要な産地である。阿里山公路55.6キロ地点にある「飲山郁」では、茶農家の二代目で梅山郷農協阿里山高山茶コンクール審査委員の黄昶升が来訪者に利き茶の方法を教えている。「器を手に取って、深呼吸してください。息を吸うだけです」深く息を吸い、清々しい香り、フルーツや花のような香りを感じた後は、目で評価する。
こうして10杯のお茶の香りをかいだ後は、スプーンで茶を口に吸いこみ、口の中にしばらくとどめてからゆっくりと飲み込む。爽やかな香り、奥深い香りなど、嗅覚と味覚がそれぞれのお茶に対して異なる反応をする。この茶荘「飲山郁」では阿里山を訪れた消費者のために「一日テイスター」体験活動を行なっている。まず茶園を案内されて一人一枚ずつ茶葉を摘み取り、金萱や青心烏龍など茶樹の違いを学ぶ。
テイスティング体験は梅山郷里農協が行なう阿里山高山茶コンクールの形式に則って行なう。一杯当り3グラムの茶葉を6分蒸らして冷ましてから味わう。正式のコンクールでは器に番号しか書かないが、利き茶体験では器の前に茶の名札が置かれている。「消費者は阿里山茶の価格を心配する必要はなく、1回200元の体験費用で、焙煎や発酵の度合いが違う10種類を飲み比べることができます」と黄昶升は言う。彼は、茶葉改良場の利き茶検定試験を受けた時、自分にその才能があることに気付いたという。この「一日テイスター」活動は、茶葉品評会のエッセンスを取り入れて、消費者に楽しんでもらうものだ。

きちんと整ったテイスティング・システムを通して、若い世代やもともとお茶を飲まない人も気軽に茶葉の世界に触れることができる。
花の香りと茶の香り
茶農家の二代目である黄昶升は2005年に淡江大学を卒業すると帰郷して茶の栽培と製茶を始めた。二代目と言っても気楽に引き継いだわけではない。帰郷して2年後、彼は父親から阿里山郷でも中央山脈南側に近い里佳集落の2ヘクタールの土地を任された。標高1450メートルの茶畑で兄とともに個別に努力することとなった。製茶の腕は上がったが、父の顧客に売ることはできず、同じ淡江大学貿易学科を出た妻の王雅婷が台湾各地の見本市などで市場を開拓し、生まれたばかりの子供は台北の妻の実家に預けるほかなかった。「飲山郁」ブランドは立ち上げたものの、ネット販売だけに頼っていた。こうして4〜5年、二人の最大の夢は、阿里山公路の傍らに自分たちの店を開くことだった。
実は阿里山公路沿線の土地はなかなか手に入らず、阿里山国家風景区管理処も駐車場用の土地が手に入らないほどだ。それが2009年の八八水害(台風8号)で阿里山公路は半年にわたって封鎖され、商売にならないことから沿線の地主が土地を売り始めた。こうして黄昶升は夢を実現し、土地の一部を阿里山国家風景区管理処の展望台と駐車場に寄付できたのである。この展望台のおかげで飲山郁を訪れるお客も確保できた。
飲山郁は自らバラの有機栽培も行なって窨花烏龍茶を作っており、これが若い消費者をひきつけている。また、テイスティング体験を打ち出すことで、茶荘でお茶を飲んだら茶葉を買わないと気まずいという消費者の心配を打ち消した。一杯ずつ茶を注文することもできれば、150〜180元で急須に入った阿里山茶を注文することもでき、高山茶の清々しい香りを楽しめる。

茶荘が提供する銘茶や茶園ガイドなどを通して、茶産業は文化としての意義を深め、多様な発展を遂げることができる。
紅玉と紅韻
南投県魚池郷は日月潭紅茶の産地である。山に囲まれた日月潭の美しい風景をながめた後、省道21号線横の香茶巷にある茶荘を訪ねた。オレンジ色のお菓子の家のような建物である。
ここが提供する「製茶体験」では、紅茶の手揉みを体験できる。自分たちで摘んできた一心二葉の台茶18号「紅玉」またはアッサムの茶葉を両手で揉んで葉の成分を揉み出し、それを製茶工場で発酵、乾燥させる。製茶の工程が理解でき、最後は自分の想いのこもった茶葉を持ち帰ることができる。
2階の紅茶品味館では単品の紅茶が味わえる。台茶21号「紅韻」はフルーツや蜜の香りがし、台茶18号「紅玉」はかすかにシナモンとミントの香りがする。
「和菓森林」総経理の石茱樺は、日月潭の「紅茶のブランド化」「製茶工場の茶荘化」の立役者である。その話によると、2005年に彼女が家業を受け継ぐために帰郷した時、紅茶の売れ行きは落ち込んでいた。「『紅茶のワイナリー』をやろうと思ったのは、当時の台湾では紅茶を飲む人がいなかったからです。考えた末、紅茶で酒を作れば、紅茶の寿命も売上も延ばせると思いました」

「飲山郁」ではバラの有機栽培をして窨花烏龍茶を製作しており、若い消費者に好まれている。
長年の経験がソフトパワーに
当時、石茱樺が直面していたのは台湾の紅茶産業全体の衰退である。父親の石朝幸はかつて台湾農林公司「持木紅茶工場」の製茶技師と工場長を務め、台湾紅茶の盛衰を経験していた。
日本統治時代、日本人は魚池郷の緯度がインドのアッサム地方に近く、風土や気候条件が合うと考えて紅茶栽培を開始し、後の1960〜70年代には紅茶の輸出で栄えた。1961年には栽培面積はピークに達し、魚池や埔里、水里を合わせて1700ヘクタールを超えていた。
「父の時代、紅茶は飲むものではなく、輸出して外貨を稼ぐものでした。しかし私が受け継いだ頃は輸出は衰退し、魚池の紅茶畑は100ヘクタールしか残っていませんでした」と言う。石茱樺は、苦労して紅茶の事業を続ける必要はないと考えたが、父親は高齢になり、また公務員家庭に育った夫の陳彦権が田園生活に憧れていたこともあり、茶畑を引き継ぐために帰郷したのである。
1999年の台湾大地震で日月潭も大きな被害に遭い、経済部中小企業処と魚池郷が紅茶を地域の特色ある産業として促進することを決めた。そして茶葉改良場が台茶18号、21号、22号の新品種「台湾味」を開発し、台湾紅茶に新たな風味をもたらしたのである。茶葉改良場はさらに、機械ではなく人手による一心二葉の摘採を推進したことで、台湾紅茶は輸出用から高級なブランド茶へと生まれ変わったのである。
「この追い風に乗って、レベルアップに成功しました」と石茱樺は言う。現在、日月潭は震災を乗り越え、魚池郷の紅茶畑も600〜700ヘクタールまで回復し、日月潭紅茶は華麗なる変身を遂げた。かつて機械で摘採していた茶葉は細かく切るしかなく、600グラム当たり12元にしかならなかったが、現在は人の手で摘むことにより200〜250元になり、都会で働いていた若者たちも茶栽培のために帰省するようになった。

「和菓森林」総経理の石茱樺(左)と夫で茶荘主の陳彦権は、日月潭の「紅茶ブランド化」と「茶工場茶荘化」の推進者でもある。(林旻萱撮影)
ライトアップ台湾茶
マーケティングを得意とする石茱樺は、和菓森林ブランドとして日月潭紅茶産地証明マークと生産履歴の認証を取得した。彼女は高級紅茶のブランド化と茶荘での体験や普及活動を通して、若い世代やもともとお茶を飲まない人々にお茶の世界を紹介している。外国人観光客からも「こんなにおいしい紅茶があるなんて!」という反響があり、帰国後にどうすれば手に入るかと聞かれる。そこで和菓森林は2018年からAmazonやeBayでの紅茶の販売も開始した。
阿里山の「飲山郁」と日月潭の「和菓森林」は2014〜2018年、農業委員会が選ぶ「ライトアップ台湾茶」茶荘28軒に名を連ねた。この28軒は台湾北部の文山包種茶、桃園・新竹・苗栗の東方美人茶、中部の凍頂烏龍茶、日月潭紅茶、南部の阿里山高山茶、東部の蜜香紅茶と紅烏龍などさまざまな生産地にある。消費者はその一つを選び、付近の景勝地と併せて茶荘の旅を計画してはどうだろう。茶摘みや製茶を体験してお茶を味わえば文化的な旅ができることだろう。
農糧署雑糧特作科の鄭永青科長によると、ライトアップ台湾茶は、台湾の茶農家が長年培ってきた製茶技術を打ち出してマーケティングの力を培うというもので、茶産業を、生産加工業からサービス・観光業へと発展させて付加価値を高めるというものだ。これによって茶荘と茶芸を結び付け、茶荘運営によって周辺の観光産業を牽引し、台湾の茶産業と茶文化を一層多様化させていく。

日月潭に向かう省道21号線上にある茶荘。日月潭の旅に茶の香りと趣を添えてくれる。(林旻萱撮影)

茶の生産地に近い景勝地と組み合わせて茶荘を訪ねれば、文化的な旅を楽しむことができるだろう。

ワインのテイスティングのように紅茶を啜って口に含めば、幾重にも層をなした味と香りを楽しめる。(林旻萱撮影)