
荘坤儒撮影
国泰金控(キャセイ·フィナンシャル·ホールディングス)の最高投資責任者(CIO)の程淑芬は、台湾ベスト·アナリスト、アジアのトップ·サステナビリティ·スーパーウーマンなどに選ばれ、気候変動に関するアジアの投資家グループ(AIGCC)主席も務める。長年にわたって世界の金融業の趨勢を観察し、環境にも関心を持ち続けてきた彼女は、気候変動に関する活動に積極的に参加し、企業に脱炭素への転換を呼びかけている。
雲林県の小さな村に育った負けず嫌いの少女だった程淑芬は、努力を続け、今では台湾のグリーン·ファイナンスの発展を牽引し、企業のESG導入に協力し、サステナビリティとネットゼロの大きな流れの中で、台湾を未来へと導こうとしている。
午後いっぱい開かれたエネルギー転換フォーラムを終えた国泰金控(キャセイ·フィナンシャル·ホールディングス)最高投資責任者(CIO)の程淑芬は、少しも疲れた表情を見せず、気候変動イニシアティブやサステナブル·ファイナンスについて生き生きと語ってくれた。さらに自分の生い立ちや人生哲学についても、穏やかかつ自信に満ちた口調で話し、聞いているだけでポジティブなエネルギーが湧いてくる。

程淑芬は国際的な気候変動フォーラムに頻繁に出席し、地球のために何をすべきか、各国の投資家と議論している。
間違って入った世界
程淑芬は雲林県虎尾に生まれた。家は裕福ではなかったが、両親の愛と支えの下、楽しい少女時代を過ごした。家の事情で進学できなかった父親は、その無念な思いから、子供たちには借金をしてでも勉強を続けさようと考えていたという。
程淑芬は自分は賢くはないと思っていたが、負けず嫌いで、親や先生の期待を裏切らないようにと努力し、台北一女から台湾大学へ進学した。健康保険制度のなかった当時、田舎では医療費を負担できない人も多く、父親は彼女が貧しい人々を無料で診る医者になってほしいと願っていた。だが台湾大学医学部には合格しなかった。他の大学の医学部には入れるのだが、台湾大学の演劇部に参加したいという思いから、台湾大学大気科学学科への入学を決めた。
文芸を愛する程淑芬は、卒業後は中文か東洋哲学の大学院に進もうと考えていたが、中学の恩師に招かれて母校で理科を教えることとなる。頼まれたことは完璧にやり遂げたいと思う彼女は、あまり成績のよくない学級を担当し、理科の成績だけは全学年トップにまで引き上げた。
その後、留学して財務の修士号を取得、アメリカで求職のファックスを送った時、自分が応募するのは学術機関の研究員だと思っていたが、面接に行ってみると、そこは証券会社だった。程淑芬によると、大学時代に株をやって儲けている同級生がいたが、投資に誘われても彼女はやらなかった。貪欲なマネーゲームは好きではなかったからだ。ところが思いがけないことに、間違って証券業界に入ってしまったのである。

陳淑芬(前列左)は国際フォーラムで知り合った米国のゴア元副大統領(前列左から6人目)を台湾に招き、台湾の企業経営者に気候変動への対応策を語ってもらった。
不人気産業に目を向ける
名利の追求に興味がないからか、皆が電子産業の株に注目している時、彼女は上司から指示された建設株を真剣に研究していた。人気のない業界の良い点は、経営者が暇なことだと程淑芬は笑う。そこで彼女は経営者を訪ねて回り、産業分析の力を高めていった。2年後、建設業が好況となり、彼女の精確な分析レポートが外資系企業の目に留まる。1997年、業界に入って3年目の時に、『アジアマネー』誌により、台湾で最も優れた建設業アナリストに選ばれた。
程淑芬は業界分析の範囲を金融業界にも広げ、『アジアマネー』と『インダストリアル·インベスター』によって台湾で最も優れた金融アナリストに選ばれた。
父親が願う医者にはなれなかったが、人のためになる仕事を、という教えは胸に刻まれており、それが後に公共政策の道へとつながる。
2005年、台湾ではカード破産の増加が大きな社会問題となったが、程淑芬は本当に必要な人が融資を受けられなくなることを心配した。「子供の学費を借りられず、ヤミ金融に行かざるを得なくなるといったケースです」と言う。そこで彼女は毎週、司法院で記者会見や公聴会を開き、政府に対し、破産法の制定はより周到に考慮するよう呼びかけた。「その時から、私は公共政策に関心を持つようになりました」と言う。

程淑芬は女性たちに自分の成功は自分で定義し、好きな分野で自信をもって力を発揮するよう励ます。
No ESG, No Money
長年にわたってグローバルな投資動向を観察してきたことから、程淑芬は早くから世界的に責任投資が重視されていることに気付き、また責任投資がサステナビリティに良い影響をおよぼすことを知っていた。そこで国泰金控のCIOである彼女は、2014年にグループの高級管理職を率いて責任投資小委員会を発足させ、台湾企業に脱炭素化への転換を働きかけることにした。
CSR(企業の社会的責任)の概念が、しだいに数値化できるESG(Environment環境保全、Social社会的責任、Governanceコーポレートガバナンス)へと転化し、それが企業の持続可能な経営の指標となっている。台湾企業もこの流れに乗らなければならなず、彼女は公の場で「No ESG, No Money」と呼びかけている。
世界的な脱炭素の流れにおいて、企業が環境への配慮をガバナンスに取り入れなければ、融資を受けられず、注文も入らなくなる。「No ESG, No Business」なのである。アップルやTSMCもネットゼロを提唱し、サプライヤーにも同じことを求めている。「サステナビリティとは、一つの企業があと100年存続することです。地球が持続可能でなくなり、皆が低炭素化への転換をしなければ、それ以外のサステナビリティも意味を持ちません」と言う。
台湾の中小企業が、情報ルートを持たないために、新たな流れに追い付けないことを心配し、程淑芬はリーダーフォーラムに参加したり、港都会、盤石会などの企業団体を訪ね、経営者に会う機会を見つけては、低炭素化への転換はコストではなく投資であると説いてきた。「私はおせっかいなので、機会さえあれば一社でも多くにこの考えを伝えてきました。ESGに向うことは世界にとって良いことなのですから」と言う。

脱炭素は避けられない道であり、程淑芬は資金の力を活かして企業に低炭素化への転換を呼びかける。(荘坤儒撮影)
サスティナブル·ファイナンス
一人より、大勢で歩んだ方が遠くまで行ける。国泰金控は台湾における責任投資の先駆けとなっただけではない。程淑芬は国泰金控を率いて気候変動イニシアチブClimate Action 100+に参加し、世界の700の投資機関とともに影響力を発揮している。国泰と国際投資家の働きかけで、鴻海(ホンハイ)、中鋼(CSC)、台湾セメント、台湾プラスチックは、2050年までにゼロカーボンまたはカーボンニュートラルを達成することを約束した。「この四社で台湾の二酸化炭素排出量の20%を占めるので、大きな意味があります」
対象は台湾企業だけではない。気候変動に関するアジア投資家グループ(AIGCC)の議長も務める程淑芬は、香港やインドネシアの電力会社など、アジアの他に国への働きかけも行なっている。気候変動の問題がますます重視される中、程淑芬は、次は生物多様性と水資源の課題が、産業が関心を注がなければならないテーマになると見ている。そこで国泰金控は、国際環境NPOであるCeresとオランダ政府が共同で発足させた「Valuing Water Finance Task Force」に加入し、水資源を大量に使用する、あるいは水資源を汚染する企業に対して、ともにこの課題を正視するよう働きかけている。

(荘坤儒撮影)
成功の定義は自分で決める
各地から頻繁に講演を依頼される程淑芬は、気候ガバナンス、サステナブル·ファイナンスについて語り、また教育や政策についても論じる。そんな彼女が最も関心を寄せている対象は、学生と女性である。
壇上でエレガントかつ堂々と話をする程淑芬を見ると、幼い頃は自信を持てない子供だったなどとは想像もできない。ものごとをきちんと処理する習慣は、嫌われたり、叱られたりするのが嫌だったからだと言う。「問題に直面しても言い訳はしませんでした。とにかくやれることをやり、要求はあまりしません。皆のためなら、我慢して耐えるのも厭いませんでした」と言う。これは女性に対するかつての台湾社会の要求であり、程淑芬も少しずつ習慣として身につけてきた。だが、我慢し続けていたのでは、年を取ってからも楽しくないことに気付き、少しずつ自分で考え、自信を取り戻していったという。
女性の能力に関する講演では、いつも自身の成功体験を語ってほしいと依頼されるそうだ。だが彼女にとって、成功の定義は肩書や資産の多さではなく、自分がなるべき姿になっているか否かだと言う。英語のsuccessという単語が、ラテン語の語源ではsub(~の次という意味)と、cedere(行くという意味)の組み合わせであるように、しだいに近づいていくことを象徴している。だからこそ、彼女は他人の定義で自分の成功を決めないようにと呼びかける。常に進歩していくことこそ大切なのである。「バスの運転手なら、最も楽しい運転手になる。道路清掃の仕事なら、責任範囲を誰よりもきれいにする。一人ひとりが、己の仕事を自分の最高レベルまでやりとげることが成功なのです」そして「自分を知り、自分を受け入れ、自分を好きになってこそ、己の力を最大に発揮できます」と、相変わらず軽やかかつ力強く語ってくれた。