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フォトエッセイ

ナショナル・アイデンティティの脱構築

ナショナル・アイデンティティの脱構築

曹良賓の『想像之所』と『如儀』

文・曹良賓  写真・沈柏逸 翻訳・山口 雪菜

10月 2020

基隆の忠烈祠 2016年

「移行期の正義」が強調される今日、台湾人の複雑なアイデンティティをどう考えるべきか。伝統の「忠烈祠」はいかにして同一イメージのアイデンティティを形成できるのか。今日の忠烈祠はまた、どのように多様なアイデンティティの共存を可能にするのだろう。

写真家であり「Lightbox撮影図書室」の発起人でもある曹良賓は、同図書室で台湾の写真アーカイブを展示するほか、写真の公共性を確立し、誰もが平等に写真に触れられることを目指している。それと同時に、彼は作品制作において「忠烈祠」が創り出す国家アイデンティティを思考してきた。彼が米国留学中に道路を撮影した作品『中途』は、個人の人生における漂泊の感覚を表現したものだが、帰国後に忠烈祠を題材にしたシリーズは、国家が確立した集団の記憶を脱構築し、批判し、思考して新たな公共性を探るものだ。つまり、Lightboxは写真アーカイブスのボトムアップの構築であり、彼の創作が批判するのはトップダウンの国家アイデンティティである。

台南の忠烈祠 2017年

『想像之所』——神聖と世俗の境界の流動

忠烈祠をテーマとするこのシリーズ作品『想像之所(イマジナリウム)』は、最初はTKG+での展覧会で発表された。展覧会場に入ると、大小さまざまなライトボックスが点在してかすかな光を放っている。それはまるで歴史が放つ微光のように、そのライトボックスが照らし出す写真へと私たちをいざなう。ライトボックスの正面の写真は曹良賓が台湾各地の忠烈祠で撮影したものだ。その中にはコスプレを楽しむ人々の姿や忠烈祠の牌楼や建物の写真、裏面には彼が民間から集めた忠烈祠の古い写真が展示されている。

興味深いのは、古い写真に写った人々の大部分は、忠烈祠を前に厳粛な表情を見せているのに対し、現在の人々は歴史の意義とは無関係に、歴史的建築物の周辺で、観光やコスプレ、結婚写真撮影などをしていることだ。曹良賓の創作の動機も、まさに忠烈祠そのものの矛盾と衝突に向き合うことでもある。かつては荘厳かつ神聖だった場が、今日は通俗的な存在へと変わり、『想像之所』は神聖と世俗との関係と、その境界線の変化を見つめる。

以前の人々が忠烈祠に抱いていた神聖なイメージは、政治や国家によって構築されたものである。それに対して、今日の、表面的には解放されたかのような通俗的なイメージも、実は同様に資本主義によって構築されたものである。かつてのイメージ構築の背後には政権による支配が明らかに見えるが、今日の消費ルールの背後は隠蔽されていて見えにくい。『想像之所』はこうしたイメージの操作メカニズムを暴こうとするものであって、決して忠烈祠を称えるものではなく、シニカルかつ批判的にそれを凝視し、問題化しようとするものである。

桃園の忠烈祠 2017年

『如儀』——最敬礼という姿勢

『想像之所』が「写真による記録」と「批判的距離を保った凝視」という方法で台湾人のアイデンティティとイメージを思考する作品であるとするなら、それに続く新たな作品『如儀』の形式は、写真家‧張昭堂が1962年に自らを撮影した頭部のない作品「板橋‧台北 1962」を思い起こさせる。これは、頭部のない人物の写真で、なくなった頭の部分に景色や建物が写り込み、身体がランドスケープと一体化しているように見える作品である。

とは言っても、歴史的背景の相違から、二つの作品の概念には大きな隔たりがある。張昭堂の作品はコントロールを失った状態、文化を取り去った歴史経験、集権統治のでたらめさ、主体のない歴史プロセス、そして個人としての存在と虚無の心境などを暗示している。これに対して『如儀』は、壮烈な犠牲をはらった烈士へ敬意を表さなければならないという道徳的ルールによる支配の色彩が濃い。

しかし、最敬礼という行為には心からの感動によるものと、政治的な儀式としてのものがある。『如儀』で曹良賓は、各地の忠烈祠に向かい、正装して最敬礼している。これは記録としての写真であるだけでなく、作者自身の肉体が介入している作品なのである。ここでの最敬礼という行為は表面的、形式的に深い感謝を表すとともに、より深い意味での批判と風刺が込められている。「権威体制下の烈士」と「民主化後の台湾」は一体どのような関係にあるのだろう。「最敬礼の姿勢」は『如儀』の中で、最敬礼の意義を抜き取った後の表面的な形式に過ぎず、曹良賓は改めてその姿勢を採ることで、国家の神話を脱構築しているように見える。

『想像之所』展覧会場 2018年 LEDの両面大型ライトボックスを用いて忠烈祠の現在と過去の写真を同時に見せる。写真作品を壁面に展示するという過去の手法を抜け出し、ライトボックスを床に置いたり、天井からつるすなどしてあり、見学者は点在するカラーとモノクロの写真の間を自由に行き来し、手掛かりやつながりを探すことができる。

流転する台湾のアイデンティティ

『想像之所』の展覧会から『如儀』計画まで、私たちは忠烈祠を通して歴史的に複雑な台湾の境遇と、歴史に対する人々の態度を目の当たりにする。忠烈祠のような歴史的建築物は、かつては党国体制のための道具とされ、今日は消費主義に取り込まれている。そして、忠烈祠に相対する人々の姿勢も実にさまざまだ。一部の人は忠烈祠に向かって心から最敬礼し、また一部の人はそれを背景のエキゾチックな建造物のひとつととらえる。いずれにせよ、曹良賓は忠烈祠における記録とそこにおける自らの実践によって、台湾人と歴史との関係をあらためて思考させる。この動態的な関係は、一つの国家の神話や安定したアイデンティティではなく、絶えず生成し、定義し難く、流動し、ボトムアップで構築される台湾のアイデンティティなのである。

苗栗の忠烈祠 2020年