Home

台湾をめぐる

新住民を代表して声を上げる

新住民を代表して声を上げる

総統府国策顧問 胡清嫻

文・鄧慧純  写真・莊坤儒 翻訳・山口 雪菜

3月 2018

初めての新住民国策顧問となった胡清嫻さん。(荘坤儒撮影)

日に焼けた肌、短くそろえた髪、背は高くない胡清嫻さんを人ごみの中で探すのは難しい。だが、彼女の声は大きくてよく通り、早口なので、声を頼りに探すことができる。実は多くの人の前で話しをすることが現在の彼女の仕事である。彼女は、屏東県好好婦女権益発展協会(「好好協会」と略称)の多元文化カリキュラムの講師であり、長年にわたって新住民(ここでは主に東南アジアから嫁いできた人々)の権益のために貢献してきたことから、蔡英文総統が彼女に総統府国策顧問就任を依頼したのである。

胡清嫻さんは、初めて総統府から電話がかかってきた時のことを思い出す。国策顧問をお願いできないかと問われ、彼女は「何をするんですか。私に何ができるんでしょう」と聞き返した。相手は、不定期に総統と面会し、新住民の気持ちを伝えてほしい、と言う。「同胞や新住民の仲間たちを助けられるなら、やってみたい。この機会に皆の心の声を集めて総統に会いに行こうと思いました」と語る。

子供たちに幼い頃からさまざまな文化に触れさせ、互いを理解することで偏見が消えていく。(胡清嫻提供)

家族が後ろ盾に

台湾初の新住民の国策顧問となった胡清嫻さんはベトナム出身、台湾に来て11年になる。当時彼女は家を出てホーチミンの工場で働くこと6年、将来が見えず、台湾に行くことを考えた。

彼女とご主人の許志成さんは結婚仲介業者に紹介され、二人は会ったその日に婚姻届けを出し、間もなく台湾での生活が始まった。姑は道理をわきまえた人で、「遠くから嫁に来てくれたのだから、大切に、娘のように接しなければ」と許志成に話したという。姑は彼女の手を取って料理を教え、一緒に食材の買い物に出かけ、嫁として必要なことを一つひとつ教えていった。

胡清嫻さんも学ぶことが好きで、中文やパソコンを学ぶほか、司法通訳の研修も受け、中華料理の資格も取った。今は大学のカリキュラムの準備をしている。これらはすべて、家族のサポートがあってこそできたことだ。

ユーモラスで親しみやすい司会をする胡清嫻さん。イベントに参加した新住民にマイクを向け、自分で故郷の料理を紹介してもらう。

「好好協会」での成長

好好協会で、胡清嫻さんは初めて公共の分野に携わることとなった。協会では長年にわたって新住民の人権に関心を注いできた。2011年に新住民のメンバーを募集した時、胡さんはその中の一人だった。その後、浩然基金会や台湾証券取引所などから資金支援を受け、新住民が好好協会で働き、学び、成長できるようにしてきた。協会の蔡順柔主任はこう話す。「当初、私は彼女たちに会議や訪問時の詳細な記録を任せました。大変ですが、これが中国語を聞き取ったり、漢字を書いたりする練習になります。笑い話のような聞き間違えもありましたが、みんな頑張ってくれて、大きく成長しました」

蔡順柔主任は胡清嫻さんに、政府機関などに予算を申請するための計画書の執筆を依頼し、またマイクを手に多くの人の前で自分の考えを発表する機会をあたえた。私たち記者が最初に胡清嫻さんを訪ねた時、彼女は好好協会が主宰する「新住民マーケット――コミュニティ参画型多元文化イベント」の司会をしているところだった。各国から移住してきた新住民が、鍋やフライパンを用意して、それぞれのお国の料理を披露するイベントで、彼女はインドネシア出身の新住民仲間である謝莉莉さんと会場を回りながら、それぞれの料理を紹介していた。二人の司会者は呼吸も合い、落ち着いていて楽しい雰囲気を造り出していた。胡さんは、料理を作っている新住民にマイクを差し出し、自分で紹介してもらったりする。

今では堂々たる司会ぶりだが、初めて壇上で話しをした時、聴衆は大勢の教師だった。手も声も震え、頭が真っ白になりながら、投影した画面を見ながら何とか報告を終えたという。それが今では堂々と司会も務められるのは、実は、講演に行く蔡順柔主任にいつも同行させられ、しばしば壇上で発表させられたからだという。こうして度胸をつけていき、また話し方なども直されてきた。蔡主任は「今では檀上で3時間の講演をしてもらっても、話は終わりません。彼女の潜在能力は鍛えられて発揮されたのです」と言う。胡清嫻さんも「私の講義はユーモラスだと思います。皆に起きて聞いてほしいので」と言う。彼女の話は、少し用語がへんな感じもするが、それが彼女らしさでもある。その愛らしい性格から、聴衆は「起きて」大笑いしながら話を聞いてくれる。

休みの日には夫の許志成さんも一緒にイベントに参加し、ベトナム文化を紹介する。(胡清嫻提供)

多元文化の講師

以前、台湾社会は文化の多様性に対する認識が浅かった。そこで、新住民や移住労働者に対するステレオタイプのイメージを変えるために、多元文化講師である胡清嫻さんや他の新住民の女性たちは、学校や地域で多元文化講座を開いてきた。小学校、中学、高校から大学まで、教師や地域の年配者まで、対象は幅広い。その時々の対象に合わせ、胡さんは講座でのコミュニケーションの方法を変える。地域の年配者が対象の時は、台湾とベトナムの文化の似ている点や違う点を話す。例えば、端午節にチマキを作る風習はベトナムにもあるが、チマキの形が違い、またベトナムではお焼きを作って食べる習慣もある。こうした話を通して、お年寄りたちは、自分の家の嫁の母国文化を理解してくれる。

この仕事を始めたばかりの時、彼女の気持ちは重かったと言う。学校で、母親の出身国の文化に劣等感を抱いている子供を数多く見たからだ。自分の子供もそうなのではないか、と思った。そこで、学校での多元文化の授業では、子供たちを観察するようになった。特におとなしい子供がいると、その子と個人的に接触し、母親が新移民かどうかを確認する。授業では、新移民の子供に、東南アジアへ行った時の経験を話してもらう。自信を持たせ、また他の生徒には異なる文化の優れた点を知ってもらうためだ。

また、状況が許す限り、彼女は自分の娘と息子を仕事に連れていき、子供たちに異なるエスニックに触れさせる。「私の仕事を通して接触があるからか、うちの子供たちは母親の出身地を隠すことはなく、むしろ大きな声で、お母さんはベトナム人です、と言いますよ」と言う。

胡清嫻さんは年に数百回もの多元文化の講義を行なう他、後進の育成にも力を注ぎ、各地でこの仕事に興味を持ってくれる新移民女性を探し、講師として育成している。台湾社会の多様な融合は、実はこうした人々が双方のコミュニケーションを促進してきたことで実現したのである。「台湾人と新住民が理解しあって融合すれば、新しい知識や人材が出てくるんじゃないですか」と胡さんが言うとおりである。

胡さんは、自分はおしゃべりで、おせっかいだから、新住民のリーダーになったのだと言う。思ったことは何でも口に出し、権力を恐れない。ある時は、屏東県の潘孟安・県知事に向って、「新住民の母語教育人材を育成したら、次の段階はどうするんですか。育てた教師たちには力を発揮する舞台が必要ですし、彼女たちの働く権利も保障しなければなりません」と発言した。

自分が公共の分野で働くことになり、さらには国策顧問になるとは思ってもいなかった。かつてベトナムから台湾へ嫁ぎ、人生の可能性を夢見ていた乙女が、今では勇敢に人の前に立ち、新住民のための声を上げている。

複雑な政治の世界に関わることとなり、胡清嫻さんは、正直なところ少し疲れる、普通の新住民女性のように平凡な暮らしがしたい、とこぼす。それでも、自分が彼女たちの代わりに声を上げなければ、彼女たちの権益はどうなるのか、とも思うのである。

台湾に来たことは少しも後悔していない。これは一つの縁であり、また自分で選んだ道なのだから、ただ前へ進むのみ、と締めくくった。

 

異国文化を紹介するイベントで、自信をもってダンスを披露する新住民の女性たち。

胡清嫻さんにとって家族こそ最大の支えである。