
台北市士林区の文昌橋の下にある文昌堂は24時間開放されており、神に語りかけるために訪れる人が絶えない。また地元住民のふれあいの場でもある。
台湾の街で最も目につくものは何だろう。コンビニ、それともドリンクスタンドだろうか。だが、また別の観点もある。内政部(内政省)の統計によれば、台湾には1万2000以上の廟があり、これはコンビニの数に匹敵するという。多くは目立つ看板もなく、赤い色が目印のそれらの廟は(廟の多くが赤色を基調とした装飾)、街のあちこちにひっそりとたたずみ、信徒を守っている。
これらの廟の建つ場所といえば、橋の下や河川敷、水路、田畑、或いは道路の真ん中や三角地などの変形地にも見つかる。およそ「ない所はない」といった状況で、「なぜこんな所に?」とも思ってしまう。

台北市万華区の水濂宮は2本の高架橋と堤防に挟まれた三角形の空間に建つ。
台湾独特の風景
これは台湾人にとっては見慣れた日常の風景だ。だが、九典聯合建築師事務所のチーフアーキテクトである頼伯威さんは、長年海外で留学・仕事をしてきた経験から、そこに特別なものを見出した。2010年、米国インフラコンサルタント大手・AECOM社の上海オフィスで働いていた彼は、台北市万華での国際ワークキャンプに参加する機会があり、万華を歩いていて水濂宮を見つけた。「水濂宮は都市に建つ廟の極端な例です。2本の高架橋と堤防に挟まれた三角形の空間にあるのですから」と頼さんは言う。「それを見た時は驚きました。でも思えば、子供の頃から私はこうした廟を多く見ていたはずです。それで、いつか台湾に戻ったら、ほかにもどんな廟があるか調査して、皆に知らせたいと考えたのです」
2013年、台湾に戻った彼は成功大学で教えながら調査を開始した。4年間かけて廟を探し資料を集め、建築と都市という観点で著した『寄生之廟:台湾都市夾縫中的街廟観察,適応社会変遷的常民空間図鑑(台湾の都市の狭間に息づく街廟観察、社会の変遷に適応する庶民の空間図鑑)』を完成させた。大きく立派な廟はあまり扱わず、街なかの微妙な場所に建つ廟を対象としたものだ。説明は立体図や写真を主体とし、廟建築自体ではなく廟と周囲の関係に重点を置いた。中文と英文が併記された解説について、頼さんは「この研究を国際的なものにする準備です。外国人にもっと台湾を理解してもらいたいのです」と語る。
これらの廟の多くは、都市の発展より早く、つまり1世紀ほど前に建てられ、その後の都市化に柔軟に適応し、街と共存してきた。そして台湾の建設管理当局も、その廟を拝む人がいる限り、原則として人々の信仰を尊重している。
廟と都市のこうした共存形式は、ほかの国には見られないものだと、長年海外にいた頼さんは言う。香港やシンガポール、マレーシアの華人居住区にも廟はあるとはいえ、その建てられ方は台湾ほど多様ではない。「全く異なるというわけではないけれど、台湾の廟は特にユニークで、活発に運営されているのです」

頼伯威さんは、台湾の街なかにある廟がその環境と結びついて建つ様子は非常にユニークだと指摘する。ほかの国の華人地区にも同様の例はあると聞くが、台湾は最も特別で活発に運営されていると。
人的ネットとデジタルの駆使
廟探しはまず人的ネットワークに頼った。頼さん個人の好奇心から始まった調査だったが、次第に多くの若い建築家を惹きつけ、自主的に加わった外国人の友人もいるほどだった。エリアごとにチームに分かれて週末に調査に赴き、撮影した写真をLINEグループにアップした。そしてそれを頼さんが確認・分類していった。
デジタル通信の恩恵にあずかりながら、やがてさらに良い方法を発見する。民政局のサイトに、登録・未登録を含めた3万を超える廟の資料があったのだ。それら廟の住所をGoogle Earthで検索すると、収集すべき廟がすぐ見つかった。仲間は出張や旅行、帰省時を利用してそれらの廟を訪れ、撮影した写真を次々と送ってきた。
それらの廟がどんな環境と共存しているかで、頼さんは分類した。例えば自然とともにある「大樹下の廟」「海蝕洞窟の廟」というように。
建造物と共存する例は多くが都会にある。駐車場や市場の片隅にあったり、土地不足の都会では、道を跨いで建つ場合や、建物の上階に据えられた廟もある。或いは、まるで都市の公共物と連携するかのように橋の下や堤防の脇、歩道の上、道路の真ん中にも建ち、おもしろいことに電話ボックスの中に収まった廟まである。
同著では、廟のできた年代、廟構造の完全性、立地場所(天/地/山/水)、建築物内/外、可動性、構造材料といった属性もピクトグラムによってタグ付けされており、その廟の持つ多重な特徴がわかるようになっている。
「我々は4年間で次々と廟を見つけていきましたが、実は2年目以後は数は増えても新種の廟は見つからず、調べた500~600の廟のうち、36の廟を選んでこの本で紹介しています」

台北の浜江市場の立体駐車場にはスロープ道の脇に福徳宮があり、市場の営みが昼夜滞りなく続くよう神に見守られている。
環境との共存
頼さんは道路の真ん中に建つ廟を例に、これらの廟がこうした場所にある原因を説明してくれた。「廟は最初からあの場所にあったはずで、道路の方が後から作られたのでしょう」「原因としては神様が引越ししたがらなかった、或いは人々が適当な引越し場所を見つけられなかったことが考えられます」
宗教建築というものは、ある程度「日常とは一線を画した空間」だと考えられがちだが、頼さんは台湾ではそうではなく、「台湾人にとってそれは日常空間であり、使用頻度も高い場所です」と言う。廟は単なる宗教的な空間ではなく、地域のことを話し合う自治会センターのような役割も果たし、高齢者にとっては近所の人たちとお茶を飲んでおしゃべりする社交空間なのだ。
そのため廟は家から500メートル内といった近くにあることが好まれる。祖父母の世代以上の人々は進んで寄付し、いつでもすぐ足を運べる所に廟を建てた。頻繁に訪れては祈りを捧げ、祝い事や悩み事を神に聞いてもらうのだ。
これらの廟は早くからその場所に存在し、都市の発展に合わせて環境に適応したため、このように多様な共存形式が生まれた。それらを頼さんが記録したことで、台湾社会の日常がいかに神々と親しく結びついているかを、我々は改めて知ることができる。

頼伯威さんは立体図によって廟と周囲の関係をわかりやすく説明している。上図はロータリー中央に建つ廟とその周辺。(頼伯威さん提供)
庶民のパワーと創意
最もおもしろいと思うのはどの廟かと頼さんに問うと、まず桃園市大渓区頭寮の池の中に建つ土地公(土地神)廟を挙げ、「そこにはもともと水はなかったのです」と説明してくれた。そこに貯水池を作ることになったが、土地公に伺いを立てると「引越したくない」と出た。そこで廟のある場所を高くして人口島を作り、周りを掘って池にした。その後の参拝は船で行くようになった。
ほかに台北の浜江市場駐車場にある福徳宮(土地公廟)も興味深いという。市場にはそこで働く人々がお参りする廟があるものだが、たいていは市場の店と並んで建つ。ところが浜江市場の福徳宮は立体駐車場のスロープ道の脇にあるため、土地公がそこで安全を見守ってくれているのをドライバーが必ず目にするようになっている。
台北の大稲埕にある有名な法主公廟のように、都会の土地不足のせいで垂直方向に移動したタイプもある。道路拡張のため幾度も建て直され、1階部には道が突き抜けているという、道をまたぐ形のユニークな廟だ。
「これらには、台湾の庶民のパワーや創意が感じられます」と頼さんは言う。その例としてまた、基隆河の両岸にそれぞれ建つ通称「打帯跑廟(ランアンドガン廟)」と「昇降廟」がある。台北の百齢橋の下にある「打帯跑廟」こと百齢寺は、廟建物の下に車輪が四つ設置され、屋台のように押して移動させることができる。「違法建築などで取締りがあった際に、役所の人や警察から逃げるためなのかと最初は思ってしまいましたが、それは洪水から逃げるためでした」。台風などが来ると高台に移動させるというわけだ。
その対岸の三脚渡区にあるのが、建物が昇降する天徳宮だ。ハイテク工法により、洪水が来ても最高7メートルの高さまで建物を持ち上げることができる。よく見ると建材もコンクリートではなく鉄板を用いて重さを軽減している。基隆河両岸で、同じ洪水問題に対して人々がそれぞれ異なる対処法を考え出したというわけだ。
「本を出版したのは資料の収集と整理、そして保存のための一形式で、これがゴールではありません。我々は今後これを、GIS(地理情報システム)によって観光マップと組み合わせることを考えています」
台湾人にとって隣人のようなこれらの廟は、今も変わらず街のあちこちで人々を見守り続けている。その風景は人々にとって馴染み深いものであり、その存在があるからこそ安心して暮らせるのだろう。

台北市中山区の生福祠は「変形地廟」タイプに分類される。廟の話では、同廟は1914年にはここにあり、当時は田畑に囲まれていたという。やがて周囲にビルが建ち並び、このような姿となった。

大自然と共存する廟はよく見られ、人々の信仰を集めていることがわかる。写真は「大樹下の廟」。(林旻萱撮影)

基隆河左岸にある百齢寺は建物の下に車輪が設置され、洪水などの際に高台に移すことが可能だ。(頼伯威提供)

基隆河右岸の三脚渡区にある通称「昇降廟」の天徳宮は、ほかの場所で行き場を失った神像も多く収容している。

洪水に備えて昇降可能な仕組みを持つ天徳宮は、住民の創意や都市環境の柔軟性を物語っている。

台北の東門聖母宮は「防火巷(防火帯となる路地)廟」と呼ばれる。都会の限られた空間を最大限に活用した例だ。

台湾の廟は街の日常風景だ。毎日多くの人が訪れ、社交場ともなっている。