
近年、次々とオープンしている城市故事館(シティ‧ストーリー‧ハウス)は、その町を知るための一つの視点をあたえてくれる。
各地の城市故事館は古い建築物を再利用している。時間を載せた建築物には、かつての住民の記憶や感情がこもっており、その暮らしの軌跡が空間に漂い、物語を語りかけてくる。
台北エリアに隣接する桃園市は移住者の町だ。早くから開発されたため、南部の雲林‧嘉義‧台南などから働きに出てきた人が多い。また、開発のスピードが速く、町の風景は次々と変り、気付かないうちに一変していることもある。
「移住者の町だからこそ、故事(物語)の記録が必要です」と桃園市文化局の荘秀美局長は言う。家族の歴史が7~8代前までさかのぼれる古都‧台南とは違い、桃園での家族の歴史は1.5代前までしかさかのぼれない。そこで桃園市は古い建築物を保存して城市故事館へと変えることで、市民に自分が暮らす地域について知ってもらい、アイデンティティを持ってほしいと考えている。現在、桃園市には30余りの城市故事館があるが、いずれもコミュニティに根を張り、人々が地域の昔や将来を話し合う場となっている。
今月号では桃園市中壢区にある「中平路故事館」と「馬祖新村文創パーク」を訪ね、その周辺の物語に耳を傾けてみた。

築90余年の古い家屋が庶民の生活の記憶をとどめる故事館となり、町の物語を語ってくれる。
中平路故事館——リアルな暮らし
中平路故事館は桃園市の最初の城市故事館で、1939年代に建てられた日本時代の平屋の官舎を再利用したものだ。
敷地に入るとボランティアガイドの黄煜焜さんが建物について説明してくれる。ここはかつて日本政府が日本人文官を住まわせた官舎で、戦後は公務員宿舎となった。1946年に桃園県山地課に勤務していた王国治が入居し、1948年には教育局の廖運全が入居、二つの家族はここで2008年まで60年以上暮らした。王さん一家の子孫がこの建物の保存を申請し、2010年に歴史建築に登録され、修繕を経て2015年に「中平路故事館」として現地の物語を語り継ぐこととなった。
玄関を入ると、まず客間に当たる「座敷」があり、「床の間」が見え、もう一方には「押入れ」がある。床の間と押入れは今は展示スペースとして使われている。床の間側の壁面には、通風と西日をさえぎる「付書院」もあり、眺めの良い空間だ。奥の「居間」の押し入れには、かつてここに暮らした王さん一家の品が展示されている。その三男が医学の勉強に使った顕微鏡や、1950年の朝鮮戦争勃発時の中央日報紙、蓄音機やレコードなどは、一家が大切にしてきた本物の品々で、時々家族が来て展示品を入れ替えている。
黄煜焜さんは、その王家がコレクションしていた映画のチラシのファイルを見せてくれた。スチル写真にキャスト、映画のあらすじなどが書いてあるチラシで、「40.1.9」と書いてあるのは映画を観た日付である。民国40年ということは今から70年も前のもので、一家が散歩がてら映画を見に行った情景が目に浮かぶ。

故事館のボランティアは、町の物語を語り継ぐ重要な存在だ。
物語を伝え続ける
開館から6年、中平路故事館には多くの人が訪れている。新型コロナ流行前は月の入館者数は平均のべ3000~4000人に達し、ガイドの仕事も忙しかったという。
現在、この故事館を運営しているのは安鼎マーケティングPR社だ。その創業者である陳翠萍さんは、人気が絶えない理由をこう語る。「人も風水も磁場も良いのです。すべては元住人である王さん一家が、よく手入れをしてくださるおかげです」と言う。王家の四男はしばしば訪れて、建物の修繕や草木の手入れをし、ボランティアを続けているという。当時、王さん一家のスペースはわずか13坪で、多い時にはそこに22人が暮らし、子供たちは押し入れで寝ていたそうだ。庭では豚や鶏も飼っていた。
王さんと廖さんはいずれも客家人で、ここでは客家の暮らしにまつわるイベントを多数開いている。擂茶(炒った穀類と茶葉をすり潰して湯を注いだ飲み物)やキンカンソース作り、五福切り絵の体験イベントなどだ。参加者にもこの町での体験などを書いてもらい、物語を伝え続けていきたいと考えている。

古い建物がレトロな雰囲気を醸し出す。
馬祖新村——古き良き時代を残す
1957年に建てられた馬祖新村(馬村)は、馬祖列島に駐留していた陸軍第84師の軍人の家族が暮らしていたエリアで、洋風建築に米国風の庭が取り入れられている。赤レンガに灰色の瓦、赤と白のストライプの扉、緑の窓枠が特徴で、一戸ずつ前後に庭がある。桃園市文化局文創影視科の陳瑋鴻科長によると、ここには多くの高級将校が暮らしていて「将軍村」とも呼ばれ、家々には軍人としての階級を象徴する星がつけられていた。
それが2004年に歴史建築に指定されると文化局が修繕を行ない、眷村(軍人とその家族が住む地域)が桃園市で初めて文化財として保存されることとなった。一般の故事館は一軒家だが、馬祖新村の敷地は2.6ヘクタールもあり、幾度かに分けて改修して公開することとなった。
その間に住民から聞き取ったオーラルヒストリーを読むと、眷村での暮らしが目に浮かんでくる。一家の主は前線に赴く前に、近所に声をかけて留守の間のことを頼み、残された女性たちは一人で子供を育て、内職や裁縫などをして収入を補っていたのである。
治安が良く、夜間の戸締りも必要なかった時代、子供たちはいつも徒党を組んで外で遊んでいた。自分の子も近所の子も同じように叱り、子供たちは近所の家でご飯を食べるなど、近所同士は家族のように暮らしていた。
大晦日には中国大陸の故郷の住所を読み上げたものだが、異郷だった台湾がしだいに故郷へと変り、それぞれの家が物語をつづってきた。
これらのオーラルヒストリーを通して、文化局は当時の眷村の光景を再現しようと考えた。新村の中の一軒を「眷村故事館」として時代の物語を保存することにしたのである。陳瑋鴻科長によると、ある年配の婦人は、屋内に入って明星花露(昔からある香水)の香りをかぎ、角にある古いミシンを見て、昔を思い出し涙を流したという。また、以前の住人は毎日ここまで散歩をしてきて、大陸訛りの言葉で軍隊での歳月を語ってくれるという。時代は変わったが、当時の景観が残っていることが、彼らの心を慰めている。

中平路故事館には、かつての住人である王さん一家の暮らしを彷彿とさせるコレクションが展示されている。
空間の活性化とイノベーション
眷村は台湾特有の文化的景観と言えるが、次々と再開発が進み、当時の記憶は遠ざかっている。そのため若い世代の多くは「眷村」という言葉しか知らないのである。
そこで文化遺産を保存するほかに「活性化とイノベーション」が運営の重点となり、多様な活用を目指すこととなった。例えば、ドラマ「一把青」や「虎尾」などのロケ地として貸し出したり、収集したオーラルヒストリーの物語を演劇化して、それをガイドに活用するなどしている。これらを通して眷村の暮らしに接してもらえば、より大きな反響が得られる。また、文化局は「洄遊創生」チームと協力してクリエイティブ商品を作り、毎月開かれる馬村マーケットで販売している。「往時の眷村を歩き、馬村の暮らしに触れる」というのが彼らのスローガンだ。
修繕を経た馬祖新村の活動センターは、今は桃園光影映画館となり、かつての眷村での映画鑑賞の記憶を留めると同時にドキュメンタリーフィルムに関わる人材育成の場ともなっている。しばらく前には馬村民宿もオープンした。「当初から『眷村一日生活パーク』というコンセプトで構想を練ってきました」と陳瑋鴻科長は説明する。旅行者は眷村の民宿に一泊し、昼間は文化クリエイティブ業者が提供するサービスやワークショップを体験し、夜は映画を観たり、あるいはレンタサイクルのYouBikeに乗って近くの龍岡操場や忠貞市場、罌粟花故事館などに足を運んで軍の文化に触れることができる。また、かつて雲南省とミャンマーの国境地帯に取り残された国軍が台湾に移ってきた物語を理解し、現地の米粉麺などを食べれば、龍岡エリア全体を踏破できる。
ひとつの地域を知ろうと思ったら、文章や映像からイメージを膨らますこともできるが、リアルな空間に入り、五感でその歴史を感じれば、より理解は深まるはずだ。過去の記憶とつながり、未来のイメージを作っていく。城市故事館は、その町に刻まれた物語を語り継いでくれる。

老樹、ネコ、東屋、眷村料理、木製の椅子などが馬祖新村の独特の雰囲気を生み出している。



老樹、ネコ、東屋、眷村料理、木製の椅子などが馬祖新村の独特の雰囲気を生み出している。


若い世代に馬祖新村を知ってもらおうと力を注ぐ陳瑋鴻さん(左)と邱子軒さん(右)。

古い家屋を城市故事館として再利用する。中に入って五感で歴史の流れを体験し、過去の記憶とつながれば未来への想像もふくらんでいく。