継続する物語
台湾塾は2015年10月に終了したが、人と人とのつながりは終わっていない。
高峰由美さんの計算によると、彼女が交流した人や台湾塾で台湾に来た人、そして台湾から訪ねてきた人を合わせると5627人になるという。これは冷たい数字ではなく、台湾塾を通してできた「関係人口」であり、将来的に無限に広がっていく人のつながりである。
穀東倶楽部を創設した頼青松さんは、宜蘭県の環境にやさしい農業の代表と言える存在だ。日本に留学し、帰国して農業を始めた。食と住の安全を追求するその理念は都会の人々の共感を呼び、海南島や香港、マレーシアなどからの訪問も受け、最後は日本人もやってきた。
「日本の農業技術や制度は台湾より進んでいると考えられていて、私も日本に学びに行きましたが、その日本人が私のところへ訪ねてくるということが大きな励みになります。日本人が台湾に学びに来るなら、私たちはアジアへ出ていけるのではないでしょうか」と言う。
そうして2015年、彼は「東アジアスローアイランド生活圏フォーラム」を開催し、宮崎、京都、香港、海南島、マレーシアなどの専門家を招き、農業での試みをシェアした。「首都同士の都市外交は私たちにとっては遠い存在ですが、地方と地方、農家と農家のつながりは築けます」と言う。こうしたつながりを通して、農業の可能性を考えていこうとしている。
政府も動き出した。2019年4月、台湾の花蓮、高雄、台中、台東、台南の農業改良場と農業試験所が「農業付加価値サンプルセンター」を立ち上げた。宮崎県のフード‧オープンラボに倣ったもので、政府が加工設備や技術を提供し、衛生や安全面の規範を指導して、農家が農産物加工品を試作できる場である。
財団法人農業科技研究院産業発展センターの林恒生副主任は、宮崎の方法を参考に、台湾にふさわしい形にしたと言う。日本と台湾では加工サービスの目的が異なる。「日本の目標は地方創生で、人口を地方にとどめることですが、台湾の出発点は製品に販売ルートを開き、そこから産業集落を形成して地域の特色にしていくことです」
従来、食品加工は経済部、食の安全は衛生福利部の管轄だったが、今は省庁を越えた法改正により、乾燥や粉砕、ローストなどの初級加工が農家の小規模工場でも行なえるようになった。こうすることで、過剰に採れた作物の問題を解決でき、多様な商品が作られることで、地方発展の新たな契機にもなる。
取材当日、南投県の農家の湯英華さんが胚芽米の糠をローストしに来ていた。加工室に入る前に、まず食品安全のための基本ルールを学ぶ。全身に作業着を着て、頭に衛生用ヘアネットをかぶり、マスクをつけ、手を30秒間洗う。農業改良場の研究助手‧蘇致柔さんが一つひとつ手順を説明する。湯英華さんは、家で採れた米を使って煎餅を作り、農村旅行に来た人に手土産として販売できればと考えている。蘇致柔さんは、このニーズを聞き取って開発に協力し、農家の試作を重ねて改善していく。
その日のローストの過程でも機械の操作を学ぶほか、時間や温度などのデータも記録し、後の参考にする。農家の人々は、こうした実践を通して食品加工について学べ、食の安全性も確保できるようになる。
偶然のおしゃべりがきっかけとなり、多くの人が集まって台湾塾の旅が始まった。台湾と宮崎という海を隔てた二つの土地に交流が生まれ、互いが関係人口となり、台湾と日本の友好関係が深まっていく。
農業県である宮崎県では、県が主体となって海外との交流を推進している。台湾塾もその一環だ。
台湾も宮崎県の方法に倣い、農家による食品加工に政府が加工設備や技術を提供している。農家がサンプルを試作し、それからマーケットを評価する。
頼青松さんは東アジア各島嶼の農家と専門家をつなぎ、ともに地方農業の可能性について考えている。
2019年、藤藪志保さん(奥に座っている女性)は台湾で料理教室を開いた。これも2015年の台湾塾がきっかけで広がった交流である。