宜蘭の百年の老舗
現在、創業百年を超える蜜餞の老舗は2軒しかない。ひとつは宜蘭の「老増寿」、もう一つは台南の「林永泰興蜜餞行」だ。蜜餞に関する歴史的文献は多くはないが、日本統治時代の資料によると、老増寿(昔の店名は老寿堂)の創業者である朱応賓の当時の戸籍上の職業は薬種商ということだ。漢方薬店を開いていたのだが、生薬を用いた砂糖漬けの果物も販売していて、薬を買いに来た人がついでに買っていき、そのうち口コミで広く知られるようになったのである。
日本統治時代の1903年、大阪で「勧業博覧会」が開かれ、台湾の「菓子類」として、李仔糕(スモモ)、鳳梨糕(パイナップル)、蜜楊桃(スターフルーツ)、白冬瓜(トウガン)、蜜柑の砂糖漬けなどが出品された。そのうち朱応賓が作った李仔糕が三等賞に輝き、また台北庁、台中庁、台南庁を代表して出品された果物の砂糖漬けが銀メダルをはじめとする賞を受けた。1907年、朱応賓は東京の勧業博覧会にも参加し、キンカンやスモモの砂糖漬けが受賞した。この二つは台湾のお年寄りが言う棗仔糕と李仔糕である。
「老増寿」の店内に入ると、入り口には日本統治時代に同店に贈られた賞状の写真が飾られている。お客が次々と入店してくる。外国に暮らしていてホームシックになっている友人に送るという人もいる。
五代目経営者の姉は、幼い頃に金棗(キンカン)の蜜餞を作る時、農家の人々が次々とキンカンを届けてくると、まず果実の大きさによって分類していたのを覚えている。大きさを分けて、それぞれ金棗糕、金棗飴、金棗乾を作っていた。この三つの違いは乾燥の度合いだ。金棗糕は比較的ねっとりしていて、金棗飴は表面に砂糖がまぶしてあり、金棗乾は天日干しにしたものだ。金棗糕が最も大きく、金棗乾は小粒で作る。
分類したら、まず木桶にいれて水に浸す。大量の水で表面の汚れを落とし、それから陶器の甕に入れて漬ける。味が付いたら再び水にさらし、最後に大鍋に入れて砂糖と水飴と一緒に煮込み、取り出して乾燥させる。ただ、現代社会では蜜餞の需要が高まり、従来の方法では対応しきれないため、老増寿では自宅にあった生産ラインを工場へと変えた。
キンカンは「宜蘭三宝」の一つで、地元の人々にとっては昔から親しんできた味だ。