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台湾をめぐる

懐かしく甘酸っぱい味わい

懐かしく甘酸っぱい味わい

文・謝宜婷  写真・林格立 翻訳・山口 雪菜

2月 2023

新鮮なフルーツを砂糖や塩で漬けると、皮の渋みや苦みが抜け、果肉は柔らかくなり、長く保存できるようになる。

40~50年前の台湾では、夏になると「四果氷」というかき氷がよく売れた。プレーンなかき氷の上に4種類の蜜餞(フルーツの砂糖漬け)をのせたものだ。木瓜籖(パパイヤの千切り)、李仔糕(スモモの砂糖漬け)、楊桃乾(乾燥させたスターフルーツ)、李仔鹹(スモモの塩漬け)などで、年配の人々にとっては懐かしい味だ。台湾ではさまざまなフルーツが大量に生産されており、昔の農家は生産過剰の問題を解決するために、フルーツを砂糖や塩で漬けて保存食にした。芒果青(砂糖と塩で漬けた青いマンゴー)なども、おやつとしてよく食べられていた。

砂糖漬けフルーツの産地としてよく知られているのは、彰化県の百果山、台南市の安平、そして宜蘭県の礁渓だ。現在では工場生産に変わったが、百年以上続く蜜餞の老舗の物語から、往時の「甘酸っぱい」味わいをしのぶことができる。

かつて台湾の夏の風物詩だった「四果氷」。

前菜に四品の蜜餞

台湾料理の推進に力を注ぐ作家の黄婉玲が主催する「阿舎宴」では、オードブルに「蜜餞(果物の砂糖漬け)四品」を供し、来賓に懐かしさを感じさせている。黄婉玲は4種類の蜜餞の味の調和を重視し、こだわりを持って選んでいる。木瓜籤(パパイヤの千切り)、蜜李(スモモの砂糖漬け)、橄欖(カンランの砂糖漬け)、無仔李鹹(種をとったスモモの塩漬け)などは、昔ながらの作り方を守っている蜜餞の店から購入する。生産量は限られているので、玄人の間でしか知られていない店だ。

黄婉玲は「良い蜜餞は、食べた後に喉の渇きや渋みを感じないものです」という。伝統的な作り方では甘草を加えるが、多すぎるとしょっぱくなり、その塩梅は老舗の技にかかっている。原料のフルーツは、漬ける前に押しつぶしたり、叩いたりするものもある。最後には十分に時間をかけて発酵させるため、伝統的な作り方を守ると数か月かかるのである。

味が良く染みた蜜餞を熱湯に浸して適量の梅子粉(梅の砂糖漬けを乾燥させて粉状にしたもの)を加えると、懐かしい「四果茶」になる。陶器の茶碗に蜜餞を入れて湯を注ぎ、茶碗の蓋でフルーツをよけながらゆっくり動かすと味が均等になる。果物の香りに、漬け込んだ砂糖や塩の味が加わり、黄婉玲にとっても忘れられない味だという。四果茶を飲み終えたら、小さなフォークで中の蜜餞を取り出して食べる。「お湯に浸した後の蜜餞は味が薄くなっていて、また別の味わいがあります」と黄婉玲は言う。しかし、現在はこの四果茶を売る店はほとんどない。四果茶に欠かせない木瓜籤を作る人が非常に少ないからだ。

雨が多く、土壌の排水が良い宜蘭では、キンカンが良く育つ。

宜蘭の百年の老舗

現在、創業百年を超える蜜餞の老舗は2軒しかない。ひとつは宜蘭の「老増寿」、もう一つは台南の「林永泰興蜜餞行」だ。蜜餞に関する歴史的文献は多くはないが、日本統治時代の資料によると、老増寿(昔の店名は老寿堂)の創業者である朱応賓の当時の戸籍上の職業は薬種商ということだ。漢方薬店を開いていたのだが、生薬を用いた砂糖漬けの果物も販売していて、薬を買いに来た人がついでに買っていき、そのうち口コミで広く知られるようになったのである。

日本統治時代の1903年、大阪で「勧業博覧会」が開かれ、台湾の「菓子類」として、李仔糕(スモモ)、鳳梨糕(パイナップル)、蜜楊桃(スターフルーツ)、白冬瓜(トウガン)、蜜柑の砂糖漬けなどが出品された。そのうち朱応賓が作った李仔糕が三等賞に輝き、また台北庁、台中庁、台南庁を代表して出品された果物の砂糖漬けが銀メダルをはじめとする賞を受けた。1907年、朱応賓は東京の勧業博覧会にも参加し、キンカンやスモモの砂糖漬けが受賞した。この二つは台湾のお年寄りが言う棗仔糕と李仔糕である。

「老増寿」の店内に入ると、入り口には日本統治時代に同店に贈られた賞状の写真が飾られている。お客が次々と入店してくる。外国に暮らしていてホームシックになっている友人に送るという人もいる。

五代目経営者の姉は、幼い頃に金棗(キンカン)の蜜餞を作る時、農家の人々が次々とキンカンを届けてくると、まず果実の大きさによって分類していたのを覚えている。大きさを分けて、それぞれ金棗糕、金棗飴、金棗乾を作っていた。この三つの違いは乾燥の度合いだ。金棗糕は比較的ねっとりしていて、金棗飴は表面に砂糖がまぶしてあり、金棗乾は天日干しにしたものだ。金棗糕が最も大きく、金棗乾は小粒で作る。

分類したら、まず木桶にいれて水に浸す。大量の水で表面の汚れを落とし、それから陶器の甕に入れて漬ける。味が付いたら再び水にさらし、最後に大鍋に入れて砂糖と水飴と一緒に煮込み、取り出して乾燥させる。ただ、現代社会では蜜餞の需要が高まり、従来の方法では対応しきれないため、老増寿では自宅にあった生産ラインを工場へと変えた。

キンカンは「宜蘭三宝」の一つで、地元の人々にとっては昔から親しんできた味だ。

宜蘭人が懐かしむ金棗糕

農業委員会の調査によると、台湾のキンカンの9割は宜蘭県で生産されており、主に礁渓や員山のあたりで採れる。雨が多く、土壌の排水が良いため「キンカンの郷」と呼ばれている。

宜蘭の歴史や文化を研究する荘文生さんは、まず店の位置から分析を始める。多くの蜜餞店が中山路に集中しているが、清の時代、ここは商店や漢方薬店が集中している通りだった。荘文生さんが幼い頃は、キンカンの季節(11月~3月)になると、どの家も通り沿いでキンカンを処理していたので、通り一面が黄色に染まっていて、中山路は「金棗街」と呼ばれていたという。

キンカンは皮に甘味があり、果実は酸っぱいので、宜蘭の人々はキンカンの実を刺して果汁を抜き、それから砂糖漬けにしていた。荘文生さんも自分で簡単な蜜餞を作る。果汁を絞り出した後、塩と氷砂糖に漬けて冷蔵庫に寝かせておくと、おいしい砂糖漬けになるそうだ。春節には、荘さんも食卓にキンカンの蜜餞を出す。丸い黄金色の見た目がおめでたいということで、「キンカンを食べれば、よい年が送れる」と言われている。

また、キンカンには喉や肺を潤す効能がある。宜蘭は歌仔戯(台湾オペラ)の発祥地であり、役者たちは舞台に上るまえにキンカンを食べ、キンカンの蜜餞にお湯を注いで飲んで喉を潤したと言われている。

「橘之郷」では、蜜餞に砂糖と塩しか使わないことにこだわっている。

自然派のキンカンブランド

現代では蜜餞の需要が増していて、伝統的な作り方では供給が追い付かないため、多くの業者は甘味料や保存料などの添加物を加えている。しかし、宜蘭の老舗「橘之郷」では砂糖と塩だけしか使わず、屋内の生産環境を厳しく管理している。

初代の女性経営者は宜蘭農工職業高校食品加工科で主任を務めた洪美芳さんだ。彼女は、キンカンの蜜餞に必要なのは砂糖と塩だけで、水分をうまく掌握すれば、それだけで腐りにくくすることができると言う。

消費者に「宜蘭三宝」の一つであるキンカンのことをもっと知ってもらおうと、洪美芳さんは、一部の製造工程を開放して観光工場にした。キンカン農家の写真もたくさん貼り出して説明している。「キンカンの収穫は大変です。果実の熟し方は一粒ごとに違うので、機械でまとめて収穫することはできず、農家の人は手で一つずつ採らなければなりません」という。館内には体験エリアもあり、見学者はキンカンのジャムを作ったり、キンカン茶を味わったりできる。蔡英文総統もここを訪れたことがあり、国交のあるハイチからも加工や販売などを学びに来たことがある。

清の時代には、酸っぱくて好まれなかったキンカンだが、先人たちの砂糖漬けの技術によって、甘くて食べやすい蜜餞となった。キンカンの他にも、甘草橄欖、李鹹なども台湾で昔から愛されてきた蜜餞だ。春節の時期、台湾料理を教える黄婉玲の提案の通り、お茶をすすりながら蜜餞を口に含み、昔懐かしい甘酸っぱい台湾の味を楽しんでみてはいかがだろう。

キンカンの蜜餞は甘酸っぱく、お茶請けにふさわしい。

雨が多く、土壌の排水が良い宜蘭では、キンカンが良く育つ。

「老増寿」が販売する蜜餞の種類は多く、甘草橄欖(カンランの甘草風味漬け)や無籽李鹹(種をとったスモモの塩漬け)などもある。

キンカン(金棗)の砂糖漬けは乾燥の度合いによって金棗糕、金棗糖、金棗乾に分けられる。写真は金棗乾だ。