この921大地震は集集大地震とも呼ばれる。台湾では百年来で最大規模のマグニチュード7.3で、2415人が亡くなり、1万1000人以上が負傷、全壊・半壊家屋は8万戸を超えた。
「光華」1999年10月号(日本語版11月号)では、本来は赤と青の表紙のロゴを特別に白黒に変更して全国民と共に哀悼の意を表し、特集の形で被災状況を報道し、また建築物の耐震基準や防災システムの不足を指摘した。同年11月(日本語版12号)では、台湾大地震に関する特集を組み、台湾の地質や断層、建築法規や復旧の物語を紹介した。当時の被災地の写真をめくっていくと、今も胸が締め付けられる。「光華」のカメラチームは被災地の惨状だけでなく、台湾人の温もりをもとらえていた。
この震災を経て、台湾の急難救助体制はようやく成熟し始め、またこの時に世界各国が救助隊を派遣し、物資を届けてくれたことに、台湾社会は深く感謝した。この十数年、世界各地で重大な災害が発生すると、台湾のレスキュー隊と医療団はすぐに被災地に駆けつけ、一般市民も惜しみなく義援金を贈る。自分たちが経験したからこそ、他者の痛みも分かるのである。
震災によって、台湾の山地開発や僻遠地域の整備、政府の災害対応システムなどの課題が浮き彫りになり、これらに関する現在の概念は921以降に確立されたものと言える。大地震は、何事も経済優先だった台湾に、人と大自然との関係を改めて見つめさせることとなったのである。