清明節は追憶の季節でもある。一家揃って花やお供えを用意し、墓参りに出かけたり、一人位牌に向って思いを向けたりと、そんな光景は誰でも馴染みあるものであろう。
しかし儀式から墓参りまで、その形式は変りつつある。花や木が点在する庭園で、伝統的な葬儀の煩瑣な手続きもなく、死者の遺灰を黙祷と祝福で大地に返す。風の音、鳥の声を聞きながら魂が洗われ、万物が一つに帰し、永遠の精神の存在を悟るかのように。
自然葬が台湾で行われるようになってすでに何年か経つが、新しいグリーンな葬儀埋葬文化の実践と反響をここに見てみよう。
土地が狭く、人口密度が高い台湾では、伝統的な土葬は土地不足を招き、景観を破壊し、環境衛生などの問題を引き起こす。そのため1970年代から、政府は火葬と納骨塔の共同墓を推進していて、1990年代になって火葬が一般的に受け入れられるようになった。内政部民政司の統計によると、2009年の火葬率は89.11%(都市部では99%)に及び、納骨塔への納骨を選択する人は毎年10万人と、火葬と共同墓が台湾の埋葬の主流となってきた。
しかし、持続可能な環境という点から考えると、山林の寺に大規模な納骨塔を建設するのも、根本的な解決策とは言えない。生命教育と環境風水理論で知られる高雄師範大学一般教養センターの黄有志主任は、入るだけで出ることのない納骨塔では空間を有効に運用できず、最後は行き止まりとなるし、不肖な商人が良い場所の値段を吊り上げるなど社会問題ともなると言う。そこで新しい埋葬改革が始まり、納骨塔から樹木葬や海洋葬に広げた自然葬が広まってきた。
火葬の後を受けた第二次埋葬改革は2000年に始まり、当時の内政部民政司の劉文仕は産官学を統合して、2年をかけた立法の結果、2002年6月についに葬儀埋葬管理条例が施行された。新法では行政の管理を強化し、葬儀埋葬サービス業を規制すると共に自然葬が条文に組み込まれ、地方自治体の推進政策を補助することになった。
(左)清明節の前日、員山福園の散骨地に咲く野の花。(右)遺灰が周囲に飛び散ったり、雨に流されたりするのを防ぐため、員山福園では竹筒を地中に埋め、そこに遺灰を入れるようにしている。確実に大地へ還れるようにするためだ。
自治体の中でも、人口が集中し地価が高い台北市で、自然葬が最初に重要な政策目標に掲げられた。2003年11月、文山区に位置する富徳公営墓地の富徳生命記念公園で正式に始まり、約200坪の土地に羅漢松、ガジュマル、キンモクセイなど15本が植えられている。一本毎に周囲1メートルに10の墓穴が設けられ、中央花壇は散骨区域に設定されている。
樹木葬を行う前に、家族は好みの樹木を選び、管理人に導かれてスコップで上部の砂利を取り除き、直径10から15センチ、深さ20センチの穴を掘り出す。生分解不織布の袋に入れた遺灰と生花を入れて、再び土を被せて終る。散骨では特定の位置はなく、指定された花壇に自由に散骨する。散骨した後、1センチほど土を被せて飛び散ったり流されるのを防ぎ、花びらを散らす。
推進のために樹木葬も散骨も無料だが、碑を建てることはできず、お香を焚いたり読経などの儀式も認められていない。
開始当初、一般に自然葬はなかなか受け入れられず、台北市葬儀管理処は少なからぬ抗議の電話を受けた。たとえば「遺灰を樹木の下に埋めて時が経つと、映画のように樹木の妖怪に支配される聶小倩(怪談映画のヒロイン)になって、成仏できなくなる」とか、「公園というからには子供が遊ぶべき場所なのに、遺灰を撒かれては縁起でもない」と文句を言われた。
こういった誤解に、台北市葬儀管理処は気長に説明を続けた。樹木葬も散骨も、中国人の土に入って安んずる伝統に叶うものだし、生命と自然が合一できる。公園としたのは、一般的な墓地の陰鬱な雰囲気を取り払い、ここに来れば遺族が静かな温かみある途切れることのない希望を感じられるようにしたのである。
実際、自然葬を選ぶ人は年々増え続け、今年2月現在、上述した公園と2007年にオープンした富徳詠愛園(1.2ヘクタール、6000の墓穴が設置され、10年期限で使用)には、すでに1799人が葬られている。そのうち半数が台北市以外の人で、自然葬が時代の流れとなっていることが分る。
人生の終着駅で最も清らかな姿で大地に還れば、人生の価値をより円満にできるかも知れない。左は「員山福園」の静かな入り口。右は先例を開いた台北市の「富徳生命記念公園」。
2007年11月、環境にやさしい埋葬を訴えていた法鼓山の散骨公園「金山環境保護生命園区」がオープンした。敷地こそ僅か100坪ながら、この埋葬改革が大きな刺激効果を呼んだのである。
生命園区は台北県政府の散骨実施規定により設立された。園区の土地は法鼓山世界仏教教育園区の一部を用い、曹源渓の河畔にある緩やかな傾斜地の竹林で、設置完了後に台北県政府に寄贈され、日常の管理は法鼓山仏教基金会が行うことになっている。
生命園区の管理事務を担当する果選法師によると、聖厳法師は自身の後事について何ら禁止事項を言い置かれたことはなく、ご遺体の最良の処理方法は跡形も残さないことと考えられていたと言う。
「聖厳法師は、遺灰と精神生命には何の関りもなく、肉身の最後の燃え残りで、何の意味もないと仰っていました。遺骸や遺灰の置き場所を気に掛けているのは、毎日の抜け毛や皮膚の垢を収めて持っていくようなもので面倒であると考えられて、実際、亡くなった方が身をもって残された教えこそが、後の者が思い起こし学ぶべきものです」と続ける。
生命園区では平等、倹約、質朴の環境保護を徹底するため、散骨者は聖厳法師を含めて、すべて碑を建てず、名を記さず、散骨の場所を選べず、お祭りするときも花を供えず、蝋燭を灯さず、お香を焚かない。散骨する遺灰は5つに分けられて、5ヶ所の墓穴に入れられ、一定期間が過ぎると、管理者がこれを鋤き返す。土壌の回復を手助けすると共に、心の執着を取り除くのがその目的である。
果選法師によると、散骨園区の最終的な理念は、生命の芸術公園を創造することにあるのだという。聖厳法師がここに散骨されてから、散骨の希望者が急増したのだが(2008年の298人から2009年は647人に増加)、果選法師はきっぱりと「わが師はここにはおられません。師がここに眠っていらっしゃると思うことが執着なのです」と断言する。
「金山環境保護生命園区」では、まずボランティアが遺族に園内での儀式埋葬に就いて説明する。それから遺族とともに曹源渓にそって20分ほどゆっくりと歩いていくと竹が真っ直ぐに伸びる緑の埋葬地に到着する(右)。
台北県の後を受けて、環境保護の県を謳う宜蘭県でも、自然葬推進に力を入れている。2008年7月には員山福園の公営墓地で樹木散骨葬区(面積630坪)が開設され、3年を期限とし繰り返して使用される。樹木葬では1期に400人を受け入れ、散骨では600人が予定される。今年2月末までに、樹木葬13人、散骨31人が葬られ、多くは宜蘭県の県民である。
員山福園は、葬式から埋葬まで一元化して開発された、台湾では最初の公営墓地である。園内には葬儀場(冷凍室、化粧室、納棺室、霊安室から斎場など)、火葬場、納骨塔、土葬墓まで完備しているので、遺族は葬儀から埋葬まであちこち出向く必要はない。景観設計では元の地形を生かし、森林を残して、山水の交じる景色が作り出された。公園化墓地の手本で、学校や団体からの見学も多い。
宜蘭県立葬儀管理所の李永鎮によると、納骨塔や土葬に比べると、樹木散骨葬への県民の受容度はまだまだだという。しかし、環境保護を考えると、自然葬が将来の主流となるのは当然の趨勢であろう。
推進のために、ここでは伝統を重んじる心情に配慮し、指定した区域に小さな記念碑を集めた記念碑区を設置し、家族はここに記念碑を設けられる。数年の期間で新しい死者と入れ替えられるが、生者と死者をつなぐ場が残され、時間と共に次第に薄れていくのを待つ。こうして、一瞬の間に全てなくなるショックを和らげられる。何と言っても、年配の方にとってはなおのこと、散骨してしまって何もなくなるのは耐えられない軽さなのである。
将来的には員山福園では草花を植えて公園のイメージを高め、家族が樹木を引き受ける形で、樹木葬と植林を結合し、山林保護と埋葬改革の一挙両得を考えている。
樹木葬や散骨が花開きつつあるのに対し、海洋葬は開始こそ早かったが、いまだ余り普及していない。
2003年、台北市は樹木葬に継いで海洋葬の先鞭を着け、3年目には台北県と協力し台北県が主催し、翌年には桃園県も参加した。6年が過ぎたが、葬られた死者は僅か186人に過ぎない。ここ2年になり、台北県が積極的に指導し、合同海洋葬に参加した人数は2009年に53人に増え、5月14日を予定する今年は、申込が90人に達しそうな勢いである。
台北市葬儀埋葬管理処によると、経費と参加者数から、合同海洋葬は年に1回、5月の海の穏やかなときに行われる。1週間から10日前に家族に主催者側が通知し、遺灰あるいは遺骨を葬儀管理処に預ける。そこで生分解可能な安息箱に分け入れておき、儀式当日に合同葬を執り行う。海洋葬への航海中は、事前に家族から提供を受けたデータを編集した思い出のビデオを放映する。儀式全体が簡潔だが、荘厳な雰囲気を損なわないものである。
現在の樹木葬や散骨では通常は碑を建てず、名も記さないが、員山福園では折衷方式をとり、統一の記念牌と位牌を置いて遺族の追悼に供している。2〜4年後には次の埋葬者に場を譲り、サステナビリティを保っていく。
中華生死学会の李日斌事務長によると、華人社会の葬儀埋葬は儒教の孝と礼の思想を受け継ぎ、数千年に渡り土葬を受け継いできて、多くの王朝では家族倫理に悖るとして火葬を禁じていたという。台湾で火葬改革が成功したのは、政府や民間で土地利用の飽和が切迫していたという認識を共有していたためであるが、また仏教では火葬(荼毘)を尊び、さらに東洋の宗教が多神教で包容性を有し、時代により葬儀の方法の調整が可能だったこともある。
しかし、自然葬の普及を推進しながら、まだ指導段階にとどまっている原因を、李事務長は以下のように分析した。
1.根強い伝統的観念:樹木葬や散骨、海洋葬は、遺骨がまとまった形をとどめず、死者が死後に葬られる場所もないという、昔から忌み嫌われる状況がイメージされ、伝統的な葬礼と異なりすぎる。
2.心の拠り所が必要:自然葬では樹木葬や場所を決めた散骨などが受容度が高いが、これは遺族には心の拠り所が必要なためで、位牌やお骨がなくとも、樹木や公園があれば追憶の拠り所がある。海洋葬は渺茫と繋がる所がなく、家族は安心感をもてない。
3.葬儀は家族全体の問題:死者が生前に遺言を残していても、家族がそのとおり処理するとは限らない。深層の民俗観念の変化には長い時間が必要で、政策の指導に加え、学校教育でも生命教育の実施が必要である。
4.葬儀業者の葬儀埋葬を行う既得権益を護るため、また一般の自然葬の認知度も低いので、政府の政策執行に対する十分な協力が得られず、なかなか進まない。
「金山環境保護生命園区」では、まずボランティアが遺族に園内での儀式埋葬に就いて説明する。それから遺族とともに曹源渓にそって20分ほどゆっくりと歩いていくと竹が真っ直ぐに伸びる緑の埋葬地に到着する(右)。
長年生命教育に携わり、著作もある黄有志は、葬儀埋葬文化の改革の早道は、各個人から始めることだと提案する。自身の最後の時には、環境にやさしく、簡潔で、人の心に訴える葬送の儀式を自覚的に要求することで、これがいわゆる葬儀の自主権である。
また、環境保護の実践は自然葬だけとは限らない。臨終の前に臓器提供を遺言しておくこともあるし、葬儀は合同葬で行い、家族の思い出にはホームページやビデオ記録を利用できる。政府も死後にまず火葬し、それから告別式を行うことを奨励している。これで遺体の保存や化粧などの手続きと資源の消耗を減らして、儀式の簡素化の効果を達成できる。
古詩に曰く「落紅是れ無情の物ならず、化して春泥と作りて更に花を護る」とあるが、生命の愛を大地に帰すことは、個人の短い生が長く受け継がれていくのみならず、天地万物に対する深い祝福なのである。
先人を思うこの清明の時節に、自分と家族への生命教育の旅を試みてはいかがであろうか。そこから生死が交じり合い、万物が一つに帰す境地を感じ取れるかもしれない。
聖厳法師は「死は喜事でなく喪事でもなく、荘厳な仏事である」と述べた。写真は2009年2月に法鼓山が聖厳法師の遺言にしたがって散骨を行った時の様子。
遺族は1分間黙祷し、それから遺骨を5つの穴に分けて入れ、花を散らして土で覆い、再び1分間黙祷すれば儀式は終了する。
人生の終着駅で最も清らかな姿で大地に還れば、人生の価値をより円満にできるかも知れない。左は「員山福園」の静かな入り口。右は先例を開いた台北市の「富徳生命記念公園」。
万物の縁起縁滅を諦観する。別れの時は、もう一つの新たな生命の始まりでもある。