彼らは虐待されているわけではなく
一人暮らしをしているわけでもなく
衣食に不自由しているわけでもない。
ただ、心から笑うことが少なく
笑ったとしても何か寂しさが残る。
誰にでも両親がいて
天と地とを支えてくれるが
彼らの人生にはその一方が存在せず
どこかが傾いてしまう。
親が離婚した子供が増えている。
彼らはその心を見せようとはせず
それゆえ心の傷を癒すのは難しい。
その物語に耳を傾け、
幸せを祈ってあげたい。
近年、台湾では離婚率が上昇し続け、アジアでトップになっている。世界と比べても、アメリカ、プエルトリコ、ロシア、イギリスに次いで世界5位だ。我が国の家庭崩壊の速さに驚かされる一方で、子供たちへの影響も心配になってくる。
家庭は子供を守る場である。親が離婚すれば、法律上、夫婦としての権利義務がなくなるだけでなく、家庭と親子関係にも重大な変化が生じる。親が離婚して家族がばらばらになれば、最も影響を受けるのは子供である。
父親と母親のどちらかとしか一緒に暮らせないことは、子供の心身にどのような影響をおよぼすのだろう。子供は自分の人生にどのような態度で臨むのだろう。
シングルペアレント
「母さんの苦労はあなたには見せない/その心には暖かいレシピがある/もっとその手を握ってあげよう/手をつないで一緒に夢を見る/母さんの言うことを聞こう、その心を傷つけないように/早く早く大きくならなきゃ彼女を守ってあげられない・・・」
歌手ジェイ・チョウ(周杰;倫)が作った「母さんの言うことを聞こう」の歌詞だ。この歌は多くの小学校教員を感動させ、音楽教材に採用されている。しかし、よく聞くと、一人親家庭で育った周杰;倫の重い心が感じられる。
香港の俳優トニー・レオン(梁朝偉)はマスコミのインタビューを受けた際、自分がまだ結婚しないのは両親の離婚の影響で、普段の憂鬱そうな表情も少年時代から変わらないと語っている。
離婚した一方の親に育てられる子供は、現在では少数派ではないが、幼少期に受けた傷は深く、大きくなっても心の奥深くにしまわれていて、なかなか人に見せることはない。中にはその傷の存在を忘れようとする人もいる。
「私は今すごく幸せだし、楽しくて」台北の有名高校1年生の小玟;は健康的で明るく、幼い頃にさまざまな家庭を転々としてきた早熟な少女だと知る人は少ない。
5歳の時に両親が離婚し、小玟;は突然母親から引き離され、田舎で父親と祖母と一緒に暮らすことになった。小学2年の時に叔母に引き取られ、1年ほどそこで居候生活を送る。小学3年の時に父は再婚し、継母と、血のつながらない姉と弟の家庭に入り、アメリカへ渡って寂しい2年間を過ごす。小学5年になるまで、小玟;はその家庭に馴染めず、夢の中で叫んだり殴ったりしていた。その後、継母の計らいで彼女だけ台湾へ戻って生母の下へ帰った。小学校の6年間で彼女は4つの学校、4つの異なる家庭を転々とし、さらに2つの異なる言語・文化を経験しながら不安と恐怖の中で過ごしたのである。
「小さい頃は、お母さんのいない自分がかわいそうだと思いました」と小玟;は穏やかに語る。父親からは、お母さんは浮気をして子供を捨てた「悪い女だ」と聞かされ、母親の写真さえない環境で育ったため、母親のイメージはほとんど消えかかっていた。
アメリカでの2年半は最も辛い時期だった。父親は就職するための英語の勉強に、継母は仕事に忙しく、血のつながらない姉弟は彼女をいじめた。小玟;は話し相手もなく、2年余りの間、彼女には一本の電話さえかかってこなかった。「毎日、学校の図書館で山のように本を借りてきて家で読んでいました。借りた本の数はクラスで一番でした」と言う。おかげで英語の読解力は伸び、それが唯一の収穫だった。
「会った瞬間に抱き合って泣きました。何を泣いているのか分かりませんでしたが」継母が、公園で彼女と生母を会わせてくれた時のことを思い出し、小玟;は他人の物語を語るように穏やかに話す。取材をする側が耐え切れずに涙を流すと、小玟;もようやく眼を潤ませた。
親の離婚による心の傷には、関心を寄せて慰める必要があるが、子供は本音をなかなか語ろうとせず、学校も能動的に聞こうとはしないため、カウンセリングやサポートの体制強化が求められる。
親が離婚した後
両親が同じ家に暮らしていないという状況は台湾の50数万世帯で発生している。(現在は54.8万の一人親世帯のうち離婚家庭が約6割)。家庭によって状況は異なるが、子供や社会への影響を軽視することはできない。
台湾では児童虐待が深刻化しているが、児童福祉連盟が昨年発表した報告によると、昨年発生した深刻な虐待事件17件の大部分は背後に両親の婚姻問題があり、その8割以上は崩壊した家庭の子供だった。
児童福祉連盟の試算によれば、全国で約16万の小学生が平日の三食を自分で用意しなければならないという。さらに2万人の小学生が大人と同居しておらず、ほとんど一人暮らしの状態にあるというのである。大人の世話を受けずに生活しているこれらの子供の大半は、一人親家庭あるいは離婚した家庭の子供である。
親が離婚すれば、子供は父母のどちらかと離れなければならなくなる。両親が親権を奪い合うこともあり、親権を勝ち取った方が子供を引き取るが、その人に子供の世話をする時間や能力があるとは限らない。
多く見られるのは、子供を引き取った親(特に父親)が仕事や再婚などの要因で、子供を祖父母に預けるという事例だ。
幼年期は何の不安もなく楽しいはずだが、親の離婚によって子供は一夜にして成長しなければならなくなる。
おばあちゃんの息子
両親が離婚した時、阿国はまだ2歳前で、父親は再婚相手と台北に住み、阿国は花蓮の祖母に育てられることになった。15歳になるまで阿国は祖母と二人きりで暮らし、夏休みなどだけ両親や兄弟と生活した。
「僕が両親を思い出すのは特別な日だけです」と阿国は言う。下校時に雨が降っても誰も傘を持ってきてくれないし、PTAに親が出席したこともない。小学4年の時、阿国は祖母に頼み、市場での商売を休んでPTAに出席してもらった。その日、祖母は美容院で髪をセットし、真珠のネックレスをつけていたことを阿国ははっきり覚えている。
「僕の性格に強い影響をおよぼしたのは祖母です。芯の強い祖母は、夫、息子、孫という三世代の男のために働き続けてきました」と阿国は言う。小さい頃、彼は市場で野菜を売る祖母についていたため、早くから生活というものを理解していた。母親は、この祖母との関係がうまくいかないために離婚し、遠くへ行ってしまったのだが、阿国にとっては祖母が最も近しく、頼りになる人だったのである。幼い阿国の心の葛藤は、20年以上続き、今も完全には終わっていない。
15歳の時に祖母が亡くなり、阿国は父と継母と一緒に暮らすようになった。しかし彼は「もう自分の家はない」と感じたという。
「17歳になるまで母の顔を知りませんでした」と阿国は言う。再婚した生母は、自分と息子を会わせてくれなかった祖母が逝去したと聞き、はじめて阿国とマクドナルドで待ち合わせした。再会した二人は感動の涙を流した。
「母と子の心がつながっているとは思いません」一時的な感動の後、阿国は一緒に暮らしたことのない母親とどう接していいかわからず、少しずつ疎遠になった。自分が結婚する時も、知らせる気にならなかったという。
母親からすれば、阿国は祖母の側についた「裏切り者」なのかも知れない。あるいは、二度の結婚の苦労で阿国に関心を寄せる余裕がなかったのかも知れない。15年ぶりに再会できても、やはり母と子の縁はなかったのである。
両親が離婚した子供の多くは祖父母に育てられるが、そこにも多くの問題が潜んでいる。
子供の家はどこに?
離婚した親が子供の親権を奪い合うのとは逆に、互いに子供を押し付けあうケースもある。
特に収入の少ない若い夫婦にこうした事例が多い。子供は愛の結晶だが、愛情が消えた時、父母はそれぞれ新しい愛を求めていき、子供が負担になってしまう。
児童福祉連盟でソーシャルワークを指導する宋家慧さんは、こうした事例を多数見てきた。若くして結婚したある夫婦は離婚する時には4人の幼子がいた。パートで働く夫婦の収入は少なく、2人とも「子供を引き取った方が苦労する」と思い、協議では子供を養子に出すか、施設に入れたいという話まで出た。何度も協議を繰り返し、ようやく双方が2人ずつ育てることになった。
離婚した親が引き取ろうとしない子供は、たらいまわしにされることになる。親戚の家(最も多いのは祖父母の家、または叔父や叔母の家)、里親家族(社会福祉機関が紹介)、そうでない場合は施設に入ることになる。
「施設は親に頼れなくなった子供が最後にたどりつく場所です。ここに来た子供たちの多くは、すでにたくさんの傷を負っています」と話すのは中華育幼機構児童関懐協会の洪錦芳秘書長だ。その話によると、離婚当初は一方の親に育てられていたが、その後、誰も世話をする人がいなくなって「心の孤児」となる子供もいて、そうした子供の多くは家のイメージさえ思い出せないという。
永遠に残る傷跡
帰る家を失った子供は、心の拠り所も失ってしまう。
「親の離婚は子供の一生を変える。・・・最終的に良かろうと悪かろうと、人生の軌跡は親の離婚によって変えられる」カリフォルニア大学バークレー校社会福祉学部の名誉教授で臨床心理学者であるジュディス・ウォーラースタイン氏は、親が離婚した子供113人を25年間追跡調査して著した『それでも僕らは生きていく―離婚・親の愛を失った25年間の軌跡』にこう書いている。
親が離婚した子供の心の傷に関する社会学者の研究が増えている。親の離婚は、子供自身と家庭、そして社会にどのような影響をおよぼすのだろうか。
親の離婚による影響は子供の性格や環境、資源などによって異なるが、ある研究によると、なかなか人を信じられない、愛情の約束を恐れる、親密な関係を築きにくい、孤独、寂しさ、強い拘束欲、金銭重視、安定渇望、強い同情心、自立心、成功崇拝といった特質が出やすいという。
「親の離婚によって子供は暖かい家庭を失います。最も近しい人に裏切られ『お父さんは私を第一に考えていない』といった心の傷は深いものです。傷口はふさがるかも知れませんが、どんなに努力しても跡は残るのです」と話すのは馬偕;病院相談センターのカウンセラー呂奕熹さんだ。親の離婚が子供にあたえる傷の程度はさまざまで、落ち込んだり、人間関係が築けなくなったり、萎縮したり、反逆的になったりする。
注意しなければならないのは、近年子供の精神疾患が増えているのも家庭の崩壊と関わっていることだ。特に以前は少なかった境界パーソナリティー障害(人間関係や感情が不安定で、衝動的に自分を傷つける行為に出やすい)が一人親家庭の子供に多く見られるようになっている。呂奕熹さんによると、こうした子供は求めている愛情が得られず、自分の価値が見出せないため、絶えず人と自分の境界を探ろうとする。
父親の代わりを探す
離婚が一般的になっても、子供たちは一人ひとり自分で自分に向き合わなければならない。それぞれの性格や環境によって、結果も違ったものとなる。
親が離婚する時、小芬は小学3年生という、物心つくかつかないかの微妙な年齢だった。父の浮気を目の当たりにし、母が嘆き悲しんで鬱状態になるのを見て、少なからぬ衝撃を受けた。小芬はしだいに学業などどうでもよくなり、生活は乱れ、友達との関係も悪化し、3年間ロマンス小説ばかり読んでその世界に慰めを求めた。母親の精神状態がようやく回復して小芬をカウンセリングに連れて行き、やっと心の内を吐き出すようになった。
3〜4歳の子供は言葉では感情を表現できないが、その行動や描く絵などから、親の離婚に対する不安や恐怖が読み取れる。
呂奕熹さんによると、離婚しようとしている親に連れられてカウンセリングに来る子供の中には、わざと泣いて暴れて、両親が離婚の話し合いをするのを「阻止」しようとする子供もいる。また「私の家族」という絵を描かせると、自分と父親しか描かない子供がいるが、実はいつも面倒を見てくれているのは母親であることもある。黒と赤だけで描かれた絵は、家庭の中の衝突と子供の焦燥や不安を表している。
家庭が壊れていくプロセスで、暴力を目にしたり、暴力を振るわれたりした子供は、心理的、感情的にドメスティックバイオレンスと離婚という二重の影響を受ける。特に子供の未熟な論理では、父が怒る原因は自分にあると考えがちで、また母親を守る能力がないことで自分を責める。
父親が初めて母親を殴った時、小雨はまだ4ヶ月だった。2〜3歳になると、普通の子供なら泣いたり駄々をこねたりするものだが、小雨は自分を抑圧することを知っていた。騒ぐと父親が怒って母親を殴ると思うからだ。4歳を迎える直前に、母親はついに離婚を決意する。母親と一緒に家を出る日、小雨は風邪を引いて40度の熱を出したが、それでもおとなしくベッドから起き上がって自分の玩具を片付けた。
母親と一緒に暴力の恐怖から逃れたことで、小雨は少しずつ明るくなり、自分を抑え込むこともなくなった。父親は時々会いに来たが、小雨はそれを喜ばず、幼稚園の活動などで他の子供の父親が来ても、羨ましく思うどころか逃げ出そうとした。だが母親に男友達ができると、小雨はすぐに仲良くなり、そこに「父親の代わり」を求めようとした。
失われた幼年時代
親の離婚によって突然成長し、自らが「世話をする側」になる子供もいる。
前述の小玟;の場合、小学5年の時から、毎年夏休みになると一人で飛行機に乗ってアメリカにいる父親に会いに行く。彼女にとって、これは子の義務なのである。
母親の話では、小玟;は不安があるためか、とても優しくて誰にでも愛される。クラスメート全員の誕生日を覚えていて、電話をかけたりカードを送ったりするのでクラスの人気者だ。中学2年の時にボーイフレンドができたので、母親は彼女を一時台中の叔父の家に住まわせた。叔父の家では進んで朝食を作り、従兄弟たちを起こす役割を果たしたという。
中学1年の小真は8年前に親が離婚し、今は母親と姉妹の4人で暮らしている。次女の彼女は自立していて思いやりがあり、小学3年の時から自分のことは自分でするようになった。学校から帰宅すると自分で宿題をやり、時間になると自分でバスに乗って塾へ行く。小学5年の時、合唱で海外のコンクールに参加することになった時も、自分で荷物を作り、同級生に頼んで一緒に空港まで送ってもらった。彼女は母親の苦労も理解しており、幼いながら「主婦」の役割を果たし、簡単な料理も作れるという。
こうした思いやりは好ましく思えるが、専門家は、子供が「自分を犠牲にして他者のためにつくす」状況を心配する。自分を抑え込んで、感情の捌け口がないため、大人になってから鬱症状が出たり、怒りやすくなったり、自分を傷つけるなどの行為が見られることもある。また、親が離婚した子供は、自分が結婚してから親と同じ道を歩むことが多い。
たっぷりと愛情を注がれることで子供は養分を吸収し、立派な大樹へと育つことができる。
呪われた男女関係
一般の人は、親の離婚が子供に与える衝撃が最も大きいのは、子育てが必要な幼少期か、心身の変化が大きい思春期だと考える。しかしアメリカの学者ジュディス・ウォーラースタイン氏の研究結果は全く異なる。「男女関係が最も重要な成年になってから、さまざまなマイナスの影響が次々と出現し、その後遺症には驚くべきものがある」と言うのである。
最もよく見られるのは「約束からの逃避」だ。彼らは、良好な結婚生活の手本を見ていないので、他者と親密に触れあい、バランスを取ることができないのである。「初めて会った人をダンスに誘って踊っているよう」とウォーラースタイン教授は形容する。
「なかなか結婚を決められず、軽々しく離婚もできませんが、離婚は僕にとって選択肢の一つで、越えてはならない一線ではありません」と話すのは前述の阿国だ。過去を振り返ると、中学の頃から恋愛が始まったが、幾度か結婚の機会を失してきた。その原因は「まだ自分に準備ができていない」ということだ。「人とどのように親密に触れ合っていいのか分からず、自分の悩みや気持ちを人と分かち合うこともできません。一人の人と一生一緒に暮らすというのは、僕にとって大きなチャレンジです」と言う。
親が離婚した子供の中には、大人になっても結婚しない、あるいは子供を産まない人がいる。アメリカの社会学者カール・ザッカー氏は「あなたが子供に対するのと同じように、子供は社会に対する」と述べている。結婚せず、子供を産まない人が増えている原因を、すべて「親の離婚」に帰することはできないが、ウォーラースタイン氏の研究によると、親が離婚した子供の3分の2が、自分と同じような思いをさせたくないと思い、成人してから子供を持たないことを決めている。
回復力
だが幸いなことに、子供には回復力がある。
カウンセラーの呂奕熹さんによると、一部の子供は幸運にも「代替対象」を見出している。例えば、本気で関心を寄せてくれる先生や友人は、それが一時的な愛情であったとしても、彼らに大人や自分自身への信頼を取り戻させることができる。
台湾大学社会学部学生の陳若喬さんと鄭麗珍教授は、青少年期に親の離婚を経験した大学生を対象に調査を行ない、これらの学生が親の離婚というストレスに対応する時に支えとなった要素を探った。その結果、親の離婚時に彼らは不安や無力感を抱いたが、多くは客観的な態度で親の決定を受け止めており、両親を恨んだり、自分を責めたり、世の中を憎んだりはしていない。また、優位な性格(楽観的、明朗など)、同居している親との良好な関係、同居していない親からの関心なども、回復に有益なことがわかった。
楽観的に見れば、親が離婚した子供は自立心を備えている。他人を思いやることができ、自分の生活に責任を負い、「離婚しても幸せになれる」といった考え方を持つことができる。
親の離婚を経験したタレントの阿宝は、著書『阿宝日記』に「両親の離婚が私にあたえた影響を語るとすれば、それは選択を間違え時に間違えたままで人生を送らなくてもいいことが分かったことだろう」と書いている。
「離婚した夫婦の心の傷は回復が可能ですが、子供にとっては、成長する中で両親が一緒にいないという欠落感を補うことは難しいものです」と阿国は言う。自分が幼年期に失ったものは、自分の子供には失わせたくないと彼は考えている。
同じく両親が離婚した阿如は、傷は消えないものの、生活に影響はなく、心の傷も悪いものだとは思わないと言う。「むしろ人生の出口のようなもので、将来何か傷つくことがあっても、これが免疫になってそれほど深くは苦しまないと思います」と言う。
両親と一緒に暮らせないのは子供にとって悲しいことだが、社会からの関心が深まり、多くの人が経験を語るようになった今日、子供たちの一生の遺憾とならないようにしなければならない。
始まったばかりの人生の方向は大人たちの手に握られている。
夜も更けたのに、子供たちはなぜ家に帰らずにネットカフェにたむろしているのだろう。家庭崩壊が進む今日、子供の心には大きな関心を注ぐ必要がある。