浮き彫りになる人情
便利さ、効率、管理など、どの点でも雑貨店はコンビニに敵わないが、人情だけは別だ。これは、どの作品からも感じられる。
阮光民のまなざしは、常に市井の人々に注がれる。彼の漫画が少年漫画でなく、日本の谷口ジローや弘兼憲史のような、人間関係や人生をしみじみと描く青年漫画であることも関係しているだろう。しかも幼い頃に祖母の雑貨店で育ち、店を手伝った経験がこの『用九商店』を生んだ。現代社会に生き残った雑貨店を舞台に、庶民のふれあいや暮らしを淡々と描く。作品にあふれる温かみは、まさに雑貨店の経営精神と呼応する。
一人称を用いた随筆形式の『画説宝春姐的雑貨店』は、徐銘宏の実家が半世紀余り経営してきた雑貨店を語るものだが、彼の思いは複雑だ。「私にとって雑貨店は、常にそばにあって、絶えず悩みのタネでした」
高校で都会に出た後、2回ほど帰省して店を手伝う機会があった。経営方法を刷新しようとした結果、家族の不興を買ってしまった。3度目の帰省では自分に変化が現れた。「こっちが正しいという思い込みを捨て、両親のペースに合わせてみると店の良さが見えてきました。つまり、人情です。それが、両親がこの店を続ける理由なのでしょう」
それ以来、店のことを書き記すようになった。あちこちで買える物でも、必ずうちで買ってくれるお客さんのこと。客が名前を思い出せない商品を、店の者総動員で「これだろう」「いやあれだろう」と助け船を出したこと。野菜売りのおばさんの荷物を軽くするため、母親が籠のすべての野菜を買い上げたこと。雑貨店にあふれる助け合いの精神が再現される中、幼い頃からのわだかまりも溶けていく様子が感じられる。
こうした葛藤は彼だけではない。林欣誼は記者として個人的立場や思いを挟まずに報道することに慣れていたため、どんな目線で書けばいいのか悩んだという。最初は客観的に書くあまり、硬い文章になってしまった。幾度か書き直した結果、出来事を具体的に描写し、たまに作者の姿を入れてみるスタイルに落ち着いた。
確かに筆者が前面に出る文章ではないものの、細かく丁寧な描写と温かみのある言葉から、雑貨店への作者の深い思いが伝わってくる。
林欣誼は、1年余りにわたった、息子を連れての夫婦取材旅行をこう語る。たいてい事前に告げることなく店を訪れ、あれこれ尋ねるのだが、親切に応じてくれる店主が多かった。「おしゃべりに没頭して話が終わってみたら、うちの息子が食事をごちそうになっていたということもありました」だからこそ、各エピソードの最後には決まって、一言二言、作者の感想が添えられる。
夫の曽国祥もこう言う。商業カメラマンの彼はこの仕事を趣味の延長的なものとしてやろうと最初に決めた。だからストロボを使わず自然光で、スナップ風に撮影した。近距離からの撮影だが、人物はまっすぐレンズを見つめており、店の温かいサービスそのものだ。
阮光民は作品『用九柑仔店』で金漫賞を受賞し、その版権はフランスにも販売されている。(荘坤儒撮影)