Home

台湾をめぐる

宴席料理からストリートフードへ:爌肉飯

宴席料理からストリートフードへ:爌肉飯

文・蘇俐穎  写真・莊坤儒 翻訳・山口 雪菜

8月 2022

B級グルメとして知られる爌肉は、もとは宴席料理に欠かせないご馳走の「封肉」だった。

かつて著名な人類学者のクロード·レヴィ=ストロースは「料理の三角形」という定義を打ち出した。それによると、直火で焼いたものや燻製は「自然」な調理過程であり、一方、食材を鍋に入れ、水を介して火を通す方法は「文化」的行為に分類される。この概念は世界中の料理に当てはまり、台湾においては、脂身のついた豚肉と風味豊かな醤油を一緒の鍋に入れて火にかける料理は、一つの文化と言え、決して侮ることはできないのである。

台湾語では、食材を水分で煮る料理方法のことを「煮」「炕」「   」と書く。フードライターの陳淑華の著書『灶辺煮語』によると、「煮」は水を介して火を通すこと、「炕」はずっと沸騰させて食材を柔らかく煮込むことで、家庭料理の豚の醤油煮は「    豬肉」と呼ばれる。「炕」はしっかりした食材を柔らかく煮込むことを指し、食堂などで出される豚の角煮は「炕肉」、一般には「爌肉」「焢肉」などと呼ばれる。食文化を研究する台湾師範大学台湾語文学科の陳玉箴教授は、爌肉の起源は宴会料理の「封肉」だと言う。豚肉を主なたんぱく質源とする台湾で、封肉は最も代表的な料理と言える。

バラ肉の塊を長時間煮込んだ「大封」は昔はおめでたい席でしか口にできなかった。そこから生まれた小さな肉の塊を煮た料理は「小封」、より細かい肉の場合は「肉燥肉」と呼ばれ、すべて同じ源から生まれた親戚関係にある。

レストランを経営して22年になる黄守正は、各系統の爌肉料理を融合させ、独自の一品を創作している。

さまざまな系統の流れを受け継ぐ

福建料理から来た台湾の爌肉(コンロウ)だが、さまざまな系統の料理が混在する台湾では、蘇州·杭州料理の東坡肉や、客家料理の封肉、梅干扣肉など類似する料理もよく食べられる。

フュージョン料理レストラン「阿正厨坊」を経営する阿正シェフ、黄守正はこう説明する。台湾の封肉と客家の封肉、それに東坡肉の調理方法に大きな差はなく、食材や調味料などに細かな違いがある程度だ。東坡肉は紹興酒を用い、台湾料理と客家料理は米酒を用いる。台湾の封肉にはタケノコを入れることがあり、客家の封肉には梅干菜(カラシナの古漬け)やメンマを入れることもある。日本の職人から京都料理を学んだ彼は、各種技法を融合させ、自分のレストランでは独特の「蒜苗長方」を出している。

彼は宜蘭県の出身で、母親がよく蒜苗(葉ニンニク)と塩漬け肉の料理を作っていたところから思いついたという。これに、余計なものを取り除いていく日本料理の美学を生かして食材本来の味を出している。「私の料理は、味付けではなく、食材の味を最大限に引き出すことを目指しています」朝6時、彼は市場に黒毛豚と宜蘭の葉ニンニク、トウガラシを買いに行く。これでほぼすべての食材だ。調味には紹興酒も米酒も使う。紹興酒は香りがよく、米酒は甘味がある。また、砂糖の代わりに甘味の穏やかな本みりんを使う。

この料理に手間はかからないが、時間はかかる。大きな塊肉は最初に鉄鍋で焼き、表皮をそぎ落とす。それを鍋に入れて醤油と一緒に火にかけ、煮汁は5回沸騰させ、沸騰したら火を消して肉を浸したまま3日間寝かせる。こうすると葉ニンニクのさわやかな甘みが肉の香りと一体化し、赤身肉もパサつくことなく、しっとりと仕上がるのだそうだ。

白いご飯に豚の塊肉をのせ、豚の角切りが入った醤油だれをかけ、大根の漬物を添える。これが台湾式爌肉飯の定番だ。

24時間いつでも食べられる爌肉飯

現代人は油分と塩分の摂取を控えるようになり、大きな肉の塊の爌肉料理は、宴席などでしか見られなくなった。しかし小さめの塊肉に白米を合わせた料理は日常的に食されている。特に彰化県では、爌肉飯(コンロウファン)、肉圓、猫鼠面が「彰化三宝」と呼ばれ、舒国治は爌肉飯を彰化の「市吃」と呼ぶ。「誰もが食べ、いつでも食べられ、どこでも食べられる」と言う通りだ。彰化地方文化体験プラットフォーム「旅庫」を運営する邱明憲は「週に一度は食べます。朝食、昼食、夕食、夜食のどの時間帯にも食べます」と言う。南方書店三代目の陳峻昕も「外食なら、まず爌肉飯です」と言う。

爌肉飯を扱う店の密度は彰化県が最も高く、しかも独特の産業エコシステムを生み出している。爌肉飯を出す店は、互いに職人としてのこだわりを持ち、暗黙の了解がある。食材の鮮度や料理の質を保つために、互いに営業時間を二食の時間帯に限っているのである。例えば、朝食と昼食、あるいは午後3時の「おやつ」の時間帯から夕食まで、あるいは夜9時から日付が変わるまでの夜食の時間帯などと、自主的に時間を制限しているのである。

どの時間帯に営業するかは、店の立地や客層によって変わってくる。例えば彰化魚市場の横にある「魚市場爌肉飯」店は、本来は市場で働く人のために夜9時過ぎから営業を開始していたが、その後、店の名が知られるようになり、観光客も来るようになって、早朝6時からの営業に変えた。三明市場近くの「老朱爌肉飯」では市場の人出をターゲットに早朝6時から営業している。彰化ではリレーのように店が営業しており、24時間、いつでも爌肉飯が食べられるのである。

宴会料理から来た「爌肉飯」

彰化の爌肉飯がこれほど発展したのには理由がある。俗に「福州から台湾へ渡るには、刀を三丁携えていく」と言うように、手先の器用な福州人は、裁縫用の裁ちばさみ、料理用の包丁、理髪用のカミソリの三つの技能を手に台湾にわたってきた。彰化に移り住んできた五大エスニックは、漳州、泉州、潮州、福州、汀州の出身者で、中でも福州から来た人が最も多かった。清の時代から日本統治時代までの間、彰化は台湾中部の行政の中心地で、商業の一大拠点でもあった。そのため宴席の需要が多く、酒楼や食堂も多く、宴会料理の料理人が大勢いたのである。その後、時代は変わり、飲食業が衰退すると、これらの料理人は屋台などで軽食を売るようになった。そうした中でかつて宴席で豪勢な料理とされた爌肉を簡素化し、一般大衆に売るようになったのである。

「だからこそ、彰化を代表する軽食類には、どれも受け継がれてきた優れた技法があるのです」と邱明憲はいう。彼について彰化の街頭の屋台や食堂で売っているスープの「燉露」を見ると、漬物と豚モツのスープ、仏跳牆、クコの実とウナギのスープなど、どれも手の込んだものばかりで、これもかつての宴会料理の名残なのである。もちろん爌肉飯もあり、これはかつての「封肉」をアレンジしたものだ。見渡すと、彰化市内の至る所にこうした店があり、どこでも気軽に手の込んだ料理が食べられるのである。

かたまりの肉と白いご飯こそ、満ち足りた日常の象徴だ。

他とは違う彰化の爌肉飯

爌肉飯が彰化を代表する「市吃」になったのには、この地域の物産の豊かさも関係している。濁水渓の水を引き込む用水路の八堡圳が広大な平野の田畑を潤している。良い水は醤油の醸造にも向いており、百年以上の歴史を持つ醸造所も多数ある。彰化は畜産業も盛んで、養豚の頭数は全国で3番目に多い。さらに海の幸も捕れる。爌肉飯の材料を見ると、豚肉、醤油、ネギ、それに一部の店ではサトウキビやハマグリを加えてうま味を出している。一杯の爌肉飯に現地の海と山の幸が融合しているのである。

食材が良いため、味もシンプルなものが好まれ、彰化の爌肉飯は香料や漢方薬を加えない。「あくまで醤油がメインで、シンプルな塩味と香りを楽しみます」と語るのは、故郷の美食を考察した後に『彰化小食記』を著した陳淑華だ。

食感については、福建省から渡ってきた人々の子孫は歯ごたえがあるものを好み、それが彰化の爌肉飯の特色となっている。白米は粘り気が少なくさっぱりしているので、そこへ醤油味の煮汁をかけてもべたべたしない。

肉の部分は、彰化の店は一般的なバラ肉ではなく、腿肉を選ぶ。調理する時に切りやすいだけではない。彰化の爌肉飯は、東坡肉や客家の封肉が「口の中でとろける」のを追求するのとは違い、長時間煮込んでも皮は弾力があり、肉はしっかりと噛み応えがあるのが好まれるからだ。そこで脂肪分が少なく、筋肉がしっかりした腿肉が最良の選択となる。

だが、腿肉に味をしみ込ませ、しっとりと仕上げるには工夫が必要で、ずっと弱火で煮続けるわけにはいかない。店ごとに秘訣があるが、加熱と冷却を繰り返し、何回かに分けて火を入れる店が多い。また皮と肉が離れないように、皮と赤身肉に楊枝を指して固定させた特殊なスタイルが、彰化爌肉飯の特徴となっている。

彰化人は、ステーキを食べるのと同じように爌肉飯にこだわりを持っている。写真は店主がお客のために肉を選んでいるところ。

一人ひとりの理想の爌肉飯

爌肉飯は店ごとに味が違う。「一人ひとり味覚は違います。人によって仕事も違えば、生活リズムや環境も違い、どの店のが好きかと聞いても、同じ家族の中でも答えが違う可能性があり、それぞれの好みを主張して口喧嘩が始まるかもんしれません」と、彰化で文化クリエイティブショップ「後門」を経営する謝佳吟は大まじめに言う。

邱明憲は私たちを「魚市爌肉飯」に案内してくれた。この店は彼が経営する「旅庫」の近くにあるため、彼は常連客だ。現地の人と一緒に店に入り、少し指導を受けると、私たちもまるで常連客のように、自分の好みの肉の部位を選ぶことができるようになる。「魚市爌肉飯」では、皮つきスネ肉と赤身のスネ肉を組み合わせた定番の部位のほか、ロース肉や、珍しい豚皮、豚一頭から2つしかとれない足の腱、それに豚足まであるし、さらには骨付きの赤身だけの部位もあり、自由に好みの部位を選べるのである。

では、彰化の人々はなぜこれほど爌肉飯が好きなのだろう。彰化の市街地を歩くと、食事時ではなくても、多くの人が忍耐強く行列に並んでいる光景が見られる。観光客だけではなく、地元の人々も行列を作っているのである。「老朱阿賛爌肉飯」の3代目は、こんな説明をしてくれた。「彰化人が爌肉飯を食べるのは、一種の感情で、それが最高の境地です」と。店には何の内装もなくても、移転をしても、休業してから再営業しても、昔からの常連客が必ず足を運んでくれる。幼い頃の思い出の味を求めてくる人もいれば、中にはまるで自宅のように週に幾度も来店し、自分で肉をとったり、スープを注いだりする人もいる。

邱明憲もこう語る。「子供の頃から、試験や仕事の前には『爌肉飯を食べていかないと力が出ないぞ』と父に言われたものです」と。台湾は、すでに物資の乏しかった農業時代ではないが、「民は食を以て天と為す」という原則が変わることはない。馥郁とした肉の香りと、白いご飯は、満ち足りた日常の象徴であり、常に力を与えて再出発させてくれるもので、ここに何の理由がいるだろう。このように簡単に手の届く幸せだからこそ、何世代にもわたって受け継がれて来たのではないだろうか。

長時間煮込むため、スネ肉と皮を竹串で刺して固定させる。

新鮮な豚肉を湯通しして形を整え、竹串を刺し、醤油やサトウキビとともに鍋で煮込む。

彰化旅行情報を提供する「旅庫」を創設した邱明憲は、生まれ育った彰化の食文化を誇らしそうに語る。

豚肉は部位によって風味も違ってくる。