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グローバル・アウトルック

台湾が世界の客家研究の中心に

台湾が世界の客家研究の中心に

――多彩な研究で世界とつながる

文・李珊瑋  写真・林旻萱 翻訳・久保 恵子

4月 2019

各地から移住者から成る台湾では、どの料理の背後にも想像を超えた広大な文化の系譜が広がっている。(荘坤儒撮影)

苦難の歴史を耐えてきた客家だが、その呼称は土地に繋がりを持たぬ客家の悲哀を語る。数十世代に渡る流浪の結果、その足跡は全世界に及び、足を止めたところを寓居として生涯を過ごした。漂泊の中で歯を食いしばり、刻苦して生き抜いてきた。

決まった土地を持たない客家だが、台湾では30年前に「母語を取り戻す運動」が始まり、客家人としての自覚を呼び覚ました。民主的社会の中で、客家の人々は民族としての誇りを取り戻そうとしてきた。2003年に客家は学術機関の研究対象となり、それから15年余り、研究対象は多岐にわたり、現地化の視点から民族研究の領域が構築されたが、さらには目を世界に向けて、相互に交流しながら客家の軌跡を追い求め、

客家の学問研究の境界を広げている。

旧暦大晦日に祖先を祭ることは客家にとって重要な儀式である。敬虔な心で祖先に感謝する。(廖泰基撮影)

 客家とは誰か

「自分は誰で、どこから来て、なぜ客家と呼ばれているのか」と、謎多き客家にルーツ探求の火が着いた。清末民初の歴史学者で広東省興寧県に原籍を有する羅香林は、19世紀に広東省東部に起きた「客家の非漢族事件」に触発され、民族のルーツを求めて、悠久の歴史の中から微かな痕跡を追った。客家界説、客家の源流及び移転の軌跡などの学説を提唱し、客家研究の基礎を築いた。羅香林は、客家民系という術語を提唱し、血縁と地縁の関係から客家の民族としての変化に迫った。

「客家人は文化によってアイデンティティを構築しました」と、中央研究院民族学研究所の徐正光元所長は言う。第7回客家貢献賞を受賞した交通大学客家文化学院の張維安元院長は、「発想法が結論を決めます」と、台湾の客家研究の発展を語る。学問としての研究は多くの資料による証明が必要で、ジャンルを越えた方法論と関係理論、知識体系の構築により、民族的な感情の問題を乗り越え、歴史を本来の姿に戻すことが、学術研究の価値と言えよう。

「客家民族に関する羅香林の見解は、その時代背景が影響しています」と、台湾大学史学博士で国史館に勤務する林正慧は話す。羅香林の客家研究は、蔑称とされた客家の民族的自覚に基づき、学術的研究により民族的な正統性と優越性を確立しようとしたものだった。

客家という呼称は、他者が呼んだものと人類学及び社会学では証明されているという。土着の人と客家との争いと言われるが、客家は外から移り住んだものに対して、先住者が与えた呼称で、他者を意識し自己に気づく過程でもあった。張維安は自らの経験から、客家という言葉は民族境界(boundary)理論の結果であることを説明する。「私は客家集落で育ち、外の世界と接触がなかったときは、客家人とは何か、意味を知りませんでした」と語る。小学校に上り、同級生はみな南語(福建南部方言)を話すが、自分の話す客家語が話せなかった。異なる民族グループと接触して、ようやく自他の相違に気づき、自分が客家であるという自意識が目覚めたという。

社会学の概念では、民族とは歴史と文化の共通認識によるとされるが、現在の台湾の客家人認定も、血縁という条件に限られるものではない。客家基本法は客家の血縁あるいは客家と関係があり、客家という自己認識があれば客家人であると、実務的に定義している。

苗栗県南庄の客家集落では、今も昔ながらの暮らし方が続いている。(林格立撮影)

客家語は民族識別の指標

言語は文化の媒体であり、民族研究に欠かせない重要な要素として、民族の歴史と運命を載せている。方言の形成にも歴史的背景があり、客家方言は客家の各族が移住を続けた中で、コミュニケーションを図るために生れた。

台湾の客家語には「四海永楽大平安」の異なる方言がある。これは四県、海陸、永定、長楽、大埔、饒平、詔安の地域の方言を指し、多くは広東省東部だが、一部福建省も含まれる。高雄市六堆に育った徐正光は「台北の大学に進学し、客家にも方言があると知りました」と言い、張維安は、日本時代に台湾の客家語は広東語と思われていたと言う。当時、日本軍は台湾の客家人を広東に派遣し通訳させたが、そこで両者の言語が全く異なることに気づいたという。

客家語の保存は、客家運動の重点であり、民族永続のための重要な要素と言えよう。「最初の客家語字典は、外国人宣教師が書いたものです」と、客家語の保存に尽力する張維安は語る。そのため、スイスのバーゼルで客家語の発音表を発見し、撮影してきた。スイスのバーゼルにあるキリスト教のバーゼル・ミッションは、広東の客家地域に布教した最初の教会であり、客家文化の保存と再興に重要な役割を果してきた。羅香林は当時このバーゼル教会の長老で、客家文化の保存と再興に大きく貢献した。一世紀を経て、26年をかけて翻訳された客家語の聖書が台湾で出版され、ここからも、キリスト教と客家文化の形成に緊密な関係があることが分る。

張維安と中央大学客家学院の張翰‬璧が編集した『キリスト教と客家文化』論文集は、海外の宣教師の客家語と文化に関する論述を集め、新しい客家研究の模範となっている。中でも長老教会客家宣教委員会の曽昌発主任委員は、ドイツの文学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744‐1803)の名言「民族にとって祖先より伝えられてきた言語より貴重な資産があるだろうか」を引用しながら、客家語の保存が一刻を争う民族の使命と語る。著書『客家人』で教育部の本土言語推進の傑出貢献賞を受賞した陳運棟は、さらに母語の重要性を訴える。客家地域の開放が進む中にあり、世界の客家語グループは次第に減少し、両親が客家人でも子供の世代は客家語を話せないことが多いと、学問的調査は危機意識を持ち、政府が参考とすべき指標を提供する。

民主主義の公平理念の下、「客家人は台湾人、客家語は国語」と謳われ、流浪の民族が台湾に根を下ろしたことを示している。2018年1月31日に施行された改正「客家基本法」では、客家語を国家の言語と明記した。講客、宝島客家、新客家などのラジオ局と、客家委員会のネット番組が、客家語推進の中心的存在となり、客家語が普及することで、客家のアイデンティティ強化、客家人意識の刺激に大きな役割を果すだろう。

客家特有の米食や料理は、すでに他のエスニックにも浸透し、今では台湾を代表する料理となっている。(荘坤儒撮影)

客家の移転地図

客家は分散しつつつながる民族とされる。客家研究において、世代に渡る移転は民族の重要な軌跡となる。客家人は鳥のように食料を求める民族というが、生存基盤が揺るがされると移転を始める。新しい環境に果敢にチャレンジする精神が、今日の広範な人口分布を形成した。「世界の客家人口は6000万人余りとされ、東南アジアからパプアニューギニアまで客家の足跡が確認されると、世界の客家研究に力を尽くす張維安は話す。各地を回り、フィールドワークを行い、民族文化の主体を研究している。

「居住地と生活習慣が客家文化に反映します」と、徐正光は言う。先に到着した者は肥沃で平坦な地域を選べる。後から来た者は、痩せた傾斜地に追いやられる。生きるために客家民族は厳しい環境の中で、強靭な性格を養った。

「客家の生活習慣を見ると、祖先の苦労が見て取れます」と言うが、客家人は漬物をよく作る。作物の採れる時期に漬物など保存食を作り、食べられる期間を延ばすためである。天地を敬い、生きるための場所を大切にする。また客家の女性には纏足の習慣はなく、これも山野を歩き、茶葉を摘み、家畜を飼うには、動き回れる足が必要だったからである。

流転の生活は楽ではないが、客家人は子女の教育を重視し、教育の力で貧困を抜け出そうと考えた。「一流の人は忠臣で親孝行であり、農耕と読書で家を守っていく」というのが、客家人が子孫に教える訓戒であった。

また見直すべき観念として、「一定以上の経済力がなければ、家族を連れて遠路を移転することはできません」と徐正光は別の論点を指摘する。交通大学人文社会学科の研究員徐雨村は、マレーシアのサラワク州での客家研究について、1900年代初期に現地政府が土地を農民に分配したため、農業を行う客家人が大量に集まり、集団移民としてサラワク州を開墾したと述べている。

視野の広さが研究の深さと広さを決める。世界に散らばる客家の多様性と地域性に対し、客家研究は学際的な比較研究の手法、視点と理論を必要とする。ジャンルを越えた対話により客家研究の幅とレベルを引き上げられる。2003年の中央大学を皮切りに、わが国の学術機関に客家学部が設立されるようになった。学部を単位とした学術機関が制度化され、専門の理論と科学的手法で、客家の言語、文学、歴史、社会、文化、政治、経済、法律と政策などのテーマを全方位的に研究している。近年ではさらに文学、宗教、マスメディア、地理、言語、演劇など学際的な比較研究が行われるようになってきた。

新竹県北埔郷にある国定古跡の北埔金広福公館。清朝の支持を受け、福建出身者と広東出身者が資金を出し合って結成した開墾組織で、台湾における両省出身者の協力の手本とされた。

世界に目を向け、多方面を探索

「公的部門の参加は、客家研究が世界的に広がる大きな助けとなりました」と、張維安は語る。設立して17年の客家委員会は、定期的に世界客家文化会議、海外客家クラブ責任者交流会議、世界客家懇親会などを開催し、相互の交流と連絡に努めてきた。そして客家文化の継承、学術研究へのデータベース提供などに大きく貢献している。

張維安が編集する雑誌「全球客家期刊」は、客家研究のための交流の場でもある。地理的な境界や時間に縛られることなく、学術研究と地域における経験の交流を通じて、客家研究の成果が蓄積されている。

学術機関は国際セミナーにより、定期的に研究論文をまとめている。2018年11月13日から15日にかけて、交通大学客家文化学院が国際的なセミナーを開催して、韓国、日本、タイ、アメリカ、インドネシア、マレーシア、ニュージーランドの研究者が集まり、それぞれの知識を交換した。

世界客家研究連合会議において、領域を越えた共同研究及び新しい領域の開拓という台湾客家研究の特質が多彩な研究成果を上げ、世界の客家研究の中心の規模を具えてきた。何事も受け入れる客家の精神から、世界各地より研究者が集まり、新しい研究がここから始まる。

客家文化発展センター図書資料センターには、宣教師ドナルド・マッキーバーが1905年に完成させた「中英辞典客家方言編」の初版が所蔵されている。

客家文化発展センター図書資料センターは、客家の典籍や研究論文の収集保存に力を入れている。

中央研究院民族学研究所・元所長の徐正光は客家研究の学術化に力を注いできた。

第10回国家文芸賞文学部門を受賞した李喬は、苗栗県大湖郷番仔林で生まれ育った客家である。

交通大学客家文化学院の元院長・張維安は世界各地を奔走し、客家の文化と継承を研究してきた。

新竹県新埔鎮にある褒忠亭義民廟は、林爽文事件を受けて建てられたもので、県定古跡に指定されている。

百年余り前、マレーシアは客家の重要な移住先だった。そこで客家委員会客家文化発展センターは2018年9月15日に台湾客家文化館で「錫金歳月−客家マレーシア錫鉱展」を開催した。