トロピカルフルーツの宝庫
新興の果物はアビウだけではない。同じアカテツ科に属するスターアップル(ミルクフルーツ)も近年、大きく注目されている。台湾で栽培されているスターアップルには皮の黒いものと緑のもの、その両者をかけ合わせたピンク色のものがある。横に切ると、放射状に並んだ種子の周囲が星のように見えるため、この名で呼ばれている。果汁は白く、ベトナムではこれをミルクと呼んでいる。そのためベトナムからの移住者が増えるにつれ、スターアップルは「ミルクフルーツ」とも呼ばれるようになった。
食べる時は、二つに切ってスプーンですくうが、ベトナム流の食べ方もある。果実を手で揉んでから小さな穴をあけ、口をつけて吸うのである。すると果肉がツルっと口に入ってきて、ミルクフルーツという呼び名を実感できる。
スターアップルが台湾に入ってきた時期は実はアビウよりずっと早い1924年である。また、最近よく食べられるようになったカニステルやドリアン、サポジラなどのトロピカルフルーツも、すべて日本統治時代に導入された。学生時代から熱帯植物を研究してきた王瑞閔によると、日本時代の台湾では熱帯作物の栽培が盛んだった。日本当局は緯度が日本より低い台湾の気候を活かし、ここを熱帯植物の研究基地とし、多くのトロピカルフルーツを導入したのである。
王瑞閔によると、これらの熱帯果物は日本による統治が終わってからも、ずっと中南部で小規模に栽培が続けられてきたという。彼は幼い頃に台中の花市でそうした植物を何種類も見たことがあるが、数は多くはなかったそうだ。1990年代以降、今度は東南アジア出身の新住民や移住労働者が増え、彼らが台湾に故郷のフルーツがあることを知って購入するようになり、それによって栽培する台湾人も増えていったのである。
東南アジアから来た新住民も台湾での暮らしが長くなるにつれ、自分の家の農地で故郷の野菜や果物を栽培するようになった。屏東県に暮らすベトナム出身の范氏秋(ファム‧ティ‧トゥー)さんもそうした中の一人である。
范氏秋さんは「ベトナムでは洋服を作ったり、先生をしたりしていましたが、野菜を育てたことはありませんでした」と言って笑う。しかし、台湾に嫁いできてから、同じくベトナム出身の周囲の女性たちが故郷の果物を懐かしがっているのを見て、自分で育ててみようかと思うようになった。台風が襲って育てた苗がほぼ全滅してしまったこともあるが、楽観的な彼女は笑って一からやり直した。手探りしながら十数年、しだいに果樹園の規模を備えるまでになった。取材に訪れた日、范さんの果樹園にはスターアップルやランブータン、ドリアン、ジャックフルーツ(パラミツ)など、さまざまなトロピカルフルーツが植えられていて、まるで東南アジアに来たかのような気分になった。東南アジア出身の女性が遊びに来ると、いたるところに懐かしい果物が実っているので、まるで故郷に帰ったような気分が味わえると大喜びしてくれるそうだ。
有機栽培を行なう荘庭渓さんはの果樹園で、大地は甘くおいしい果実を実らせてくれる。