台湾でサツマイモはすでに「廉価なもの」というイメージを脱却し、今やあらゆる年齢に適した健康食材になっている。(瓜瓜園提供)
サツマイモは、形が台湾のようで、しかも強靭な生命力を持つことから、台湾人らしさの象徴とされてきた。16世紀のヨーロッパでは貴族の食べ物だったが、かつて台湾では貧しい人々の生活を支える食材だった。そして近年は多くの栄養素が含まれることがわかり、「スーパーフード」の地位を獲得して各種商品が開発され、廉価な物というイメージを払拭している。
元は「舶来品」だったサツマイモが台湾に根を下ろして400年、品種改良が重ねられ、幾世紀、幾世代にわたる物語をつむいできた。
サツマイモは、世界保健機関が選ぶ最も優れた10種の野菜の1位に輝く。台湾では「甘藷」「地瓜」「甜藷」「番藷(蕃藷)」などと呼ばれるが、その細長い形が台湾本島に似ていて、しかも劣悪な環境でもたくましく育つことから、「サツマイモは土の中で朽ちることを恐れず、ただ代々子孫を残すことを求める」という諺があるほどで、台湾人らしさを形容するものとされている。
サツマイモにまつわる台湾人の記憶は世代によって異なる。現在の70~80歳代は、社会が貧しく、サツマイモを小さく刻んでご飯代わりにした日々を思い出す。当時のサツマイモは「粗食」「貧困」の代名詞だった。
青壮年は、幼い頃に外で土窯を作って焼いて食べたことを思い出す。たきぎの火で土窯が真っ赤になったらサツマイモを放り込み、それから窯を崩して蒸し焼きにする。かくれんぼや縄跳びをしながら焼けるのを待ったものだった。また、焼き芋売りがカラカラとお馴染みの「番藷鼓(振り回すと竹片が鳴る道具)」を鳴らしながら町を売り歩いていた記憶もある。おやつにもサツマイモの蜜煮や焼き菓子などをよく食べた。
近年の健康ブームの中、ビタミンA・B・Cなどが豊富に含まれることがわかって、一躍「スーパーフード」の仲間入りをし、若い世代にも人気だ。加工品や創作料理も登場し、もはや「廉価」のイメージを抜け出しつつある。
雲林県水林郷のサツマイモ農家は産業の川上から川下を統合し、サツマイモの加工製品を国外に販売している。(阿甘藷叔提供)
サツマイモが鄭成功の助けに
台湾に例えられるサツマイモだが実は舶来品だ。国立故宮博物院書画文献処の副研究員・蔡承豪が著した『台湾番藷文化誌』によれば、現在のサツマイモの祖先はメキシコと北アメリカの野生種で、アメリカ大陸に来たコロンブスがサツマイモを携えて世界中を回り、広めたと一般に考えられている。16世紀のヨーロッパでは富裕層の食べ物だったが、今では熱帯や亜熱帯、温帯にも分布し、世界的な作物になった。
サツマイモが台湾に伝わった経路には諸説あり、中国大陸からの移民がもたらしたという説もある。蔡承豪は、フィリピンから黒潮に乗って台湾東部に入った可能性もあると考える。17世紀初頭に儒学者・陳第が著した『東番記』は、台湾でサツマイモが採れると記した最も古い記録だ。
鄭成功が海を越えて台湾でオランダ軍を撃退した際に、サツマイモは重要な役割を果たした。蔡承豪によれば、鄭成功軍が携えた食糧が足りず、台湾の住民に求めるとサツマイモが差し出された。それで兵士に開墾させてサツマイモを栽培し、それが充分な食糧となってオランダ人を撃退できたという。サツマイモは鄭成功のおかげで広く栽培されるようになり、中国大陸へも輸出された。
農業試験所嘉義分所園芸科の責任者・頼永昌は生涯をサツマイモの研究に捧げてきた。
日本統治時代に始まる改良
「鄭成功時代、日本統治時代のサツマイモは美味しくありませんでした」と言うのは農業試験所嘉義分所農芸科の責任者・頼永昌だ。当時のサツマイモは澱粉が多くパサパサして、豚の飼料にされていた。澱粉からアルコールを作ることも可能だが、費用対効果が悪かった。
そこで日本統治時代に「農事試驗場嘉義支場(現在の嘉義分所)」を拠点として品種改良が開始された。現在までに嘉義分所は74品種、桃園区及び花蓮区の農業改良場は4品種を育成した。それぞれ特質や用途があり、台農62号は肉が赤くて収量も多く、台農63号はカロテンを多く含む。台農68号は揚げ物に適している。
現在台湾で最も人気があるのは台農57号と台農66号だ。台農57号は紡錘形で、肉はオレンジ色、きめ細かな口当たりだ。中南部で多く栽培されている。中北部で最も多いのが台農66号で、肉は赤みががって、水分が多いので口当たりが柔らかい。この2大品種を育てた人物は王侠と李良。二人は台湾のサツマイモに新たな時代を切り開いた。嘉義分所の頼永昌は台農73号「紫心」を育成。アントシアニン色素を多く含み、皮はピンク色だが肉は紫色で、口当たりは最も良い。
嘉義分所のサツマイモ試験園は新品種改良に使うイモを選ぶため、年1万個以上のサツマイモを生産している。(農業試験所嘉義分所提供)
東南アジア最大のジーンバンク
「台湾のサツマイモの生まれ故郷」と呼ばれる嘉義分所根茎類作物研究室は素朴な2階建てで、そこには台湾で育成されたり、世界蔬菜センターから移されたサツマイモの遺伝資源1400種余りが保存され、東南アジア最大のサツマイモ遺伝資源バンクとなっている。
遺伝資源バンクのそばにある組織培養室は、健康な苗を育てる場所だ。健康な苗を農家に供給することで、ウィルスの発生率を減らし、生産量と品質を維持することができる。
遺伝資源バンクの近くにある実験農園では、約6000平方メートルの畑に1年で1万個を超えるサツマイモが栽培されている。頼永昌は収穫したサツマイモを手に「軽く押して硬ければ新鮮です。根の辺りが黒ずんできたら、澱粉が変質してきたことを表します」と説明してくれた。
サツマイモから芽が出ると毒素があるので食べてはいけないと言う人がいるが、頼永昌によれば、発芽すると澱粉の量が減って味が落ちるだけで毒素はないが、新鮮なうちに食べた方がいい。
サツマイモの葉は台湾では庶民的な野菜で、飲食店でも葉をさっと茹でた料理をよく見る。だが頼永昌によると、葉を食用にするサツマイモは品種が異なり、15~30日で収穫できる。それに対し、イモを食べる品種の収穫は5カ月かかるので収穫時には葉は繊維化して食用には適さない。また、台湾には「芋仔番藷(タロイモとサツマイモ)」という、異なるエスニックの融合を例える言葉があるが、頼永昌によれば、タロイモとサツマイモは全く異なる科に属するので、交わることはできない。
蘇嘉益の生み出した餡入りサツマイモ団子は国内外で人気が高い。(阿甘藷叔提供)
加工品で国際市場へ
サツマイモは常温だと約2週間で発芽するので、今のところ輸出は主に加工品だ。が、コールドチェーンが導入されて8~10カ月の保存が可能になり、1年を通して供給できるし、貯蔵や運搬時に受けるダメージも減らせるようになった。
サツマイモの栽培面積は9000~1万5000ヘクタールを維持しており、彰化、雲林、台南の県と市で台湾全体の3分の2を占める。
台湾最大のサツマイモ栽培面積を有する雲林県水林郷で主に栽培されるのは台農57号だ。契約栽培を行ない、ブランド「阿甘藷叔(サツマイモおじさん)」として販売されている。
2000年に水林郷瓊埔地域発展協会の当時の理事長だった蘇淵源が、農家のためにサツマイモの付加価値を高めようと、一流ホテルで広東料理のシェフをしていた息子の蘇嘉益に故郷に戻ってサツマイモ料理のレシピを開発するよう説得した。
2013年、蘇淵源は「保証責任雲林県瓊埔合作農場」を設立。契約栽培や生産履歴システムの確立を進め、健康な苗を植える技術や、畑でのスマート監視システムを導入したことで、生産販売履歴認証や世界基準の農業認証Global G.A.P.を取得した。一方、蘇嘉益は食品の開発と加工、ブランド「阿甘藷叔」の立ち上げとマーケティング、そして栽培からコールドチェーン、加工、販売へと連なる産業チェーンを整えた。瓊埔合作農場のサツマイモは、今やセブンイレブンの蒸しサツマイモに使われているし、「阿甘藷叔」商品は日本、シンガポール、香港、オーストラリア、マレーシアなどにも売られている。
シェフだった蘇嘉益は、雲林産のピーナッツと組み合わせたスナック菓子や、屏東・万丹産の小豆を使ったサツマイモ団子を開発した。ほかにもサツマイモコロッケ、サツマイモとヤマイモの汁粉、サツマイモとヤマイモのチキンスープなどは香港人に好まれている。日本人に人気があるのは台農57号を使ったチップスで、紫芋との2色チップスが東京などで売られている。冷凍焼きイモはアメリカの華人市場向けに輸出されている。
蘇嘉益は、サツマイモはおやつから食卓のメインディッシュへと進化したと言う。「上質の台湾農作物を用い、添加物などは一切加えず、そのままで『グルメの味』を創り出します」
台南市新化区にある瓜瓜園は、創設者・邱木城がサツマイモの小売りから始めて40年になる企業だ。1980年代にマクドナルドの進出でフライドポテトブームが起こると、邱木城はあるアイデアがひらめいた。形が悪くて売れ残りそうなサツマイモをフライドポテトやハッシュドポテトにして、ファストフード店の「頂呱呱」や「香鶏城」に売り込んだのだ。それが成功し、後には加工工場も設立してハラール認証も取得。現在はファミリーマートにも焼き芋を卸している。今年(2024年)には農業部(農業省)の立ち合いの下、サツマイモ製品を沖縄で販売すべく、日本の企業と覚書を交わした。
安定した品質維持のため、瓜瓜園は20年余り前から農家と契約栽培を行ない、冷凍焼きいもやチップスを輸出してきた。現在の契約面積は1000ヘクタールを超え、近年は健康な苗の供給や委託栽培に力を入れている。またサツマイモの「生態故事館」も開設した。入場者はサツマイモについて詳しく知り、その場でサツマイモを掘ったり、サツマイモ料理を食べたりできる。
農家の負荷を軽減するため、農業部と農家が協力してサツマイモの収穫機を導入した。(郭美瑜撮影)
サツマイモ産業戦略聯盟
3年前、邱木城の呼びかけで、サツマイモ産業の川上から川下の農家や企業が集結し、「台湾サツマイモ産業戦略聯盟」が設立された。栽培、技術、販売に関する経験を共有し、国際市場進出を推進するためだ。
しかし、台湾では各農家の耕作面積が狭く、機械導入はコストに見合わないので、多くが手作業だ。収穫時には腰をかがめ続けたり、重いイモを運んだりするので、長期続けると労働災害になりかねず、若者は尻込みしてしまう。
今年の春の終わりごろ、農業試験所嘉義分所と瓜瓜園とが協力して導入した植付機、自動マルチ張り機(畝をシートで覆う機器)、収穫機の使い方が畑で実演され、多くの農家が見学に訪れた。
「以前なら約6000平方メートルの畑の収穫に10人で8時間かかったものですが、機械ならわずか3人で約8000平方メートルが収穫できます」と嘉義分所の副研究員・黄哲倫は言う。
「コンビニに入れば目のつくところにサツマイモがあるのがすごいでしょう」と蔡承豪は言う。小さなサツマイモに400年にわたる台湾の風土が織り込まれる。それを皆で力を合わせ、さまざまに生まれ変わらせて価値を生み出しているのだ。
台湾のサツマイモを一口食べれば、その甘さだけでなく、台湾の価値やイノベーションの力を味わうことができるだろう。
歯ごたえのある「紫心甘藷」は、台湾のサツマイモの品種に新たな彩りを加えた。(農業試験所嘉義分所提供)
台農57号は、甘くてきめ細かく、国内外で人気が高い。(農業試験所嘉義分所提供)
農業試験所が育成した台農66号は、台湾市場で人気の品種の一つだ。(農業試験所嘉義分所提供)
農業試験所嘉義分所は東南アジア最大のサツマイモ遺伝資源バンクを有し、1400種余りのサツマイモ遺伝資源を保存している。
廉価な食材というイメージを脱したサツマイモは、歴史と文化に結びつく「民族食」だ。
サツマイモは土窯で焼かれる定番食材だった。
大地に根差すサツマイモは、台湾という地の価値や精神の象徴でもある。(瓜瓜園提供)