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東南アジアとつながる

東南アジアとつながる

人を中心とした異文化との対話

文・蘇俐穎  写真・林格立 翻訳・山口 雪菜

7月 2018

オーストロネシア語族の他に、華人移民や列強による植民地支配、熱帯気候、海との密接な関係なども台湾と東南アジアに共通する文化的要素で ある。(林格立撮影)

多くの人は、台湾が歴史上、東南アジアと密接に関わってきたことを知らないかもしれない。地理的にも、中国大陸を除くと我が国に最も近いのは日本ではなく、フィリピンなのである。私たちは地図上の東南アジアを見落としがちだが、豊富なつながりがあることを忘れてはならない。

先ごろ閉幕したばかりの、タイのバンコク国際ブックフェアに招かれて参加した台湾の先住民作家Sakinu Yalonglongは、交流の場でフィリピン人から、台湾は「mother island」だと言われたそうである。

台湾は「オーストロネシアの母」とされている。紀元前5000年より前、オーストロネシア語族は北から南へ、太平洋各地へと拡散していったとされているのである。

多民族の東南アジア。面立ちの違いが、それぞれに異なるバックグラウンドや物語を伝えている。

複雑かつ多様な東南アジア

オーストロネシア語族の他に、華人移民や列強による植民地支配、熱帯気候、海との密接な関係なども台湾と東南アジアに共通する文化的要素である。「台湾は東南アジアの一部と言うこともできます。ただ、私たちはこれまで、こうした脈絡で考えることがなかったのです」と文化部の丁暁菁政務次官は言う。だが現在、いかなる理由にせよ、新しい視点で東南アジアをとらえることが台湾にとって非常に重要な課題となっている。

台湾と東南アジアには類似点が非常に多いが、本質的な違いも少なくない。例えば台湾にはオーストロネシア語族がいるが、地理的には中国大陸に近く、明の鄭氏の時期から多くの漢人の移住とともに中国文化が台湾に入り、ここで華人社会が形成されてきた。そして華人文化が、早くから台湾に住んでいた先住民族の文化を凌駕して主流となった。だが東南アジアでは、常にオーストロネシア語族が主体である。

地理的条件から見ると、台湾はプレートのぶつかり合いでできた島であり、平地と高山の落差が大きい。一方の東南アジアは高山は少なく、港が多く開かれたため貿易が発達し、インドやペルシャ、アラビア、中国など近隣の民族との交流が盛んになり、それらの文化が融合していった。

さらに19世紀に入ると欧州の列強が進出し、天然資源の開発やインフラ建設のための人の移動により、多民族、多言語の東南アジアが形成された。「これこそ、私たちが東南アジアを理解しようという原動力をなかなか持てない原因かもしれません。あまりにも多様なのです」と暨南国際大学東南アジア学科の林開忠副教授は言う。

雨季のスコールに見舞われても、タイの人々は慌てることもなく悠然とやり過ごす。

先入観に隔たれた宝箱

東南アジアの多様性は、民俗学や人類学、政治学などにおいても注目されてきたが、一般市民が東南アジアを重視することは少なかった。

林開忠によると、大航海時代にヨーロッパ人が東南アジアを化外の地と見做したため、それが後の東南アジアに対する見方に影響してきた。また、台湾で受け継がれてきた伝統の中華文化において東南アジアを僻遠の異民族と蔑んだため、現在に至っても、こうした見方が影響している。

台湾には以前から多くの東南アジア華僑学生が留学してきており、台湾で就職する人も少なくないのだが、シンガポールを除く東南アジアにおいて華人は社会的に周辺に置かれており、華僑学生も母国にアイデンティティを持ち難い。そのため彼らが能動的に東南アジアの優れた点を紹介することが少ないことも影響してきた。

暨南国際大学東南アジア学科の李美賢教授は、特に資本主義の時代、人々は物質文明を重視し、それが私たちの世界観に影響を及ぼしていると考える。主流社会は欧米や北東アジアの先進国を崇めて発展途上国を軽視し、東南アジアに対する興味や認識を深めることもなかったのである。

バンコク、チャオプラヤー川の夜景。

身近な「人」から東南アジアを知る

中興大学台湾文学・跨国文化研究科の詹閔旭助教の場合、大学時代にマレーシア華僑作家、李永平の授業を受けたことがきっかけで、後に李永平の作品を研究することになったという。そして、身近な人の背景にある物語に関心を持つことで、マレーシアへの理解を深めていった。このことから彼は、東南アジアを知るには身近な人から始めるのが良いと考えている。

台湾には東南アジア出身の労働者が70万人、新移民が54万人も暮らしている。フィリピンから来た人々は詩を書くのが好きだが、そこから彼らの文学や生活に興味を広げることもできる。

詹閔旭は、堅苦しく国や地域として東南アジアを研究する必要はなく、身近にいる東南アジアの人々や物事に触れることから始められるはずだと語る。

経済が急成長する東南アジアではショッピングセンターが 林立し、人々の購買力に驚かされる。

「相互理解」で偏見をなくす

現在でも外国人労働者を蔑視する風潮がある。李美賢は、世界中の移住者はしばしば主流社会から排斥されており、これは台湾だけの現象ではないという。その背景にあるのは、物質文明がもたらした文化の格付けである。理解しようとせずに特定のエスニックにステレオタイプのレッテルを貼り、それが民族間の対立を生み、悪循環をもたらしている。

「偏見を払拭する第一歩は互いを知ることです。文化は対等というのも重要な概念です。ただこれは容易なことではなく、教育に長い時間をかけることが必要です」と李美賢は言う。

教育の第一線にいる彼らに嘆いている時間はない。暨南国際大学東南アジア学科は、台湾で初めて設立された東南アジアを専門とする学科である。学科設立以来すでにタイやベトナム、カンボジア、ミャンマーなどから来た東南アジアの学生が50人ほど卒業していることからもわかる通り、知識を教えるだけでなく、実際の交流の機会も提供している。「この学科では、台湾人学生は強い立場にはなく、皆が平等で、互いに学習しています」と李美賢は言う。

それだけではない。東南アジア学科を中心とした暨南大学の教員が、台中市と教育部から助成金を得て、台中駅付近のASEAN広場内に「SEAT|南方時験室」を設けた。以前は廃棄されたままだった空間に今では東南アジアの商店が並び、休日には大勢の移住労働者が集まって買い物を楽しんでいる。まるでリトル東南アジアといった様相である。この場所を選び、東南アジアからの移住者グループと台湾社会のつながりを目的としたことには大きな意義がある。

南方時験室では数々のイベントを催している。休日のガイド活動には多くの人が参加し、台湾人と東南アジアの各エスニックとの交流の機会を提供している。

また暨南国際大学では台北にも東南アジア学科の修士コースと社会人コースを設けており、東南アジアに関わる仕事をしている公務員や小中学校の教員などが通っている。学生の多くが教育の第一線に立つ教員であるため、授業では対話を通して考え方も変えていく。すぐに観念を変えるのは容易ではないが、少しずつ成果が上がっている。

自らもマレーシア華僑の林開忠は、マレーシアの民族や教育への疑問から東南アジア研究の道に進んだ。

普遍的なテーマでの交流

蔡英文政権が「新南向政策」を打ち出したことで、東南アジアが再びホットなテーマとなった。しかし、台湾が東南アジアに関心を注ぐのは現在が初めてではなく、早くも日本統治時代から東南アジアに目を向けていた。当時の日本の総督府は大東亜共栄圏を打ち立てるために、学者や専門家を東南アジアに派遣して情報を収集し、それらの記録文献が台湾各地に残されている。第二次世界大戦後、国民政府が台湾に移って来てからは、国民党と海外華僑が密接な関係にあった。シンガポールやマレーシアにも興中会の支部があり、学界では華僑研究が盛んになった。その後、李登輝総統の時代になると、南向政策が打ち出された。このように東南アジアに対する台湾の関心は時代ごとに変わってきたのである。

林開忠が特に指摘するのは、東南アジアに対する台湾の興味は、主に経済上の考慮から来ており、また同時に東南アジアの華人圏に限られてきたため、長期的な視点がないという点だ。しかし、現在政府が推進している新南向政策には、教育部、内政部、文化部などによる計画もあって着目する分野は広がっている。特に台湾の経済は東南アジアの多くの国より発展しており、地域振興や持続可能な発展といったテーマにおいても先行している。さらに経済発展の過程で直面する文化の喪失や土地の帰属問題、環境汚染といった課題についても、台湾は東南アジアと交流できる。

丁曉菁によると、文化部でも東南アジアの芸術家を台湾での創作や展覧会、研究などに招いている。また台湾はアジアの多くの国より民主化が進んでいるためNGOの活動が活発であり、多くのNGOが台湾に本部を置いたり、訪問・交流を行なったりしている。

台湾と東南アジアとのつながりは、当面は経済交流を中心とするが、林開忠は、普遍的な価値というテーマを切り口とし、そこから国によって異なる複雑な政治環境や経済環境などを理解していくというのも可能な方法ではないかと考える。「こうした点こそ私たちのソフトパワーだからです。自分たちを華人圏に閉じ込めるのではなく、そこから出ていくことで、新しい道が見出せるでしょう」と前向きに締めくくった。

急成長する東南アジアでは、都市の景観も急速に変化している。

タイとミャンマーの国境地帯は台湾のNGOによる支援を受け、希望の笑顔を見せる。

東南アジアの多様性は、民俗学や人類学、政治学などにおいても注目されてきたが、一般市民が東南アジアを重視することは少なかった。