00:00
台湾の風土がエッセンスとなって溶け込んだ台湾の地酒は、台湾ならではのピュアでプリミティヴな風味が楽しめる。
農産物が豊富な台湾では米、サツマイモ、サトウキビはそのまま食べるだけでなく、酒の原料としても使われてきている。かつて人々はこれらの原料と日用の道具を使って自らの手で酒を醸してきた。そうして出来た自家製の酒は台湾の地酒の始まりでもあった。
自宅で酒を醸造する自家製酒の文化は、日本統治時代の酒造税法や戦後の酒タバコ専売制度で制限され、2002年のWTO加盟をきっかけに自由化されるまで民間での酒造りは禁じられていた。
けれども記憶の中のその味は永遠に変わることはない。
恒器製酒の創立者・羅己能さんはその時の感動を思い出したかのような口調で、ある企業の70歳の董事長がサツマイモの酒を注文してくれた時のことを語った。「昔、自家製酒はご法度だったけれど、サツマイモが採れすぎるとこっそり酒を造り、どこかで祝い事があれば贈ったりしていたんだよ。この酒は私の祖父が造っていた酒の味とそっくりなんだ」と彼は言ったそうだ。
中福酒造と農家が協力して造った米酒にはっきりとブランドを示すマークはない。それは飲む人に台湾の米から醸された美味しさそのものに注目してもらいたいからだ。
サツマイモの自家製酒
実は羅さんが初めてサツマイモの蒸留酒を味わったのは日本でのことだった。サツマイモの甘い香りとコクがある芋焼酎は、どこか懐かしいような、それでいて今まで味わったことがない味がした。「なぜ台湾にはサツマイモの酒がないんだろう?」と思った彼は、台湾に戻ってサツマイモの酒を造る醸造所を作ることを決めた。
機械産業畑出身の彼は、2011年に酒造業を始めると、まず書籍や情報を集めて酒造りの仕組みを学び、さらに実際の作業を通じてサツマイモ酒製造のプロセスを確立していった。
桃園にある恒器製酒の醸造所に足を踏み入れると、濃厚な焼き芋の香りが漂っている。我々はそこで羅さんの説明を聞き、醸造と蒸留の工程について学んだ。その片隅ではサツマイモと酵母が機械の中で攪拌されている。
サツマイモは蒸留する前にまず蒸さなければならないが、イモの大きさは関係ないため、恒器では価格が安い規格外の台農57号を仕入れている。「農家の人に、『形が良いのは出荷して、不格好なのは私に売ってくれ』って言っているんですよ」。農家に安心して売ってもらい、同時にサツマイモの生育環境や安全性を確認するため、羅さんは何度も自ら産地に赴いているという。
外観やサイズのせいで市場に出せないサツマイモを購入すれば、農家の収入を増やすだけでなく、食品ロスの削減にもなる。たとえば「一分」(約300坪)の畑では3000~7000キロのサツマイモが収穫できるが、現行ではうち30%ほどが規格外になるという。
不格好でも蜜のような甘さは同じで、蒸留を繰り返すことで、その豊かな香りが抽出される。
サツマイモ酒を試飲させてもらうと、すっきりした飲み口でありながら風味は重層的で、口に含むとサツマイモ独特の芳醇な甘みを感じ、次の瞬間、爽やかな後口に変化する。
酒を味わっていると、羅さんは大切な人との出会いについて語ってくれた。コロナ禍の中、恒器は疫病退散の祈りを込めて、廟や寺の建物に彩色画を描く「彩絵師」にパッケージを描いてもらうことを決めたという。そして伝手をたどって雲林県水林郷の蕃薯厝にある順天宮の「彩絵師」洪平順さんに門神を描いてもらえるようお願いした。
最初は固辞していた洪平順さんだったが、お願いするために何度も足を運んで対話を重ねた結果、ついに首を縦に振って、自ら描いた門神の絵を貸し出してくれた。廟の入り口の扉に描かれるような門神をパッケージにした「門神礼賛サツマイモ酒」は市場で大きな反響を呼んだだけでなく、文化部お墨付きの国宝級絵師である洪平順さん自身にもあらためて注目が集まった。そして偶然にも水林はサツマイモ台農57号の主要な産地でもあった。
産地と酒とアーティストの繋がりはマーケティングにおいて強力な宣伝材料となるはずだが、羅さんは「洪平順師匠のことをみなさんに知っていただけただけで十分です」と言い、商品を無理に消費者に押し付ける気持ちはまるでない。「何よりもみなさんにこの香りを知ってもらい、そこからこの酒に込められた物語をご自身でひも解いてもらいたい」と、あの70歳の董事長が恒器のサツマイモ酒の香りの奥に、かつて家々で造っていた酒の香りを見つけ出したのと同じように、より多くの台湾人がサツマイモ酒の香りの中に故郷を思い出してくれることを願っている。
蒸留されたサツマイモの酒は水のように透き通っている。
米酒の無限の可能性
米酒は台湾で最もポピュラーな酒であり、家庭料理にも欠かせない。
宜蘭県三星郷の人々にとって、料理酒といえば中福酒造の米酒だ。地元の人がスクーターに乗って中福酒造に酒を買いに来る姿は日常のひとコマだ。創業者の馬何増さんによれば、ラベルに彼の父親の肖像が印刷された「蘭陽米酒」をわざわざ台北から買いに来る人もいるそうで、「みなさんテーブルにお金をポンと置くと、酒を手にしてサッと出て行かれていて、うちはまるで大きな雑貨屋のようです」と笑う。
この「雑貨屋」は実は宜蘭県で最初に酒造許可を取得した酒造所で、ここを訪れる見学者の多くは、玄関ホールにある、薬酒を並べた蜂の巣状の飾り棚と50年前の精米機にまず驚かされる。けれどもその隣のテイスティングルームの四方を囲むキャビネットに並ぶさまざまな酒こそが、中福酒造見学のハイライトだ。
馬さんは7本の瓶をテーブルに並べた。左から順にノンアルコールの甘酒、スパークリング米酒、吟醸酒、米酒、梅酒、茶酒、コーヒー酒だ。この順番は同時に米酒製造の工程の順序でもあり、中福酒造20年の歴史の縮図でもある。
台中糯70号というもち米で作ったノンアルコールの甘酒と細かい泡が口の中に広がるスパークリング米酒を味わいながら馬さんは振り返る。当時、馬さんは兵役を終えたばかりで、台湾資本のバイオテクノロジー企業で働くために中国に渡り、その後すぐに清酒製造を目的とした麹菌培養研究プロジェクトのため台湾に戻った。
酒造りについて何も知らなかった彼は軍隊生活で鍛えられた実践精神で中福酒造初の清酒を完成させた。けれども当時は清酒への認知度も低く、売れ行きは振るわなかった。会社のためになんとか売り上げを増そうと、彼は清酒を蒸留して「磨耐閤」と名付けたが、それは台湾語の「どうしようもない(無奈何)」にかけた命名だった。
中福酒造の清酒が遠回りをすることになった話をした後、馬さんはラベルのない小さな瓶を手にして、中の液体をグラスに注ぐと、それが卓上に並ぶ酒のどれか当ててみるよう我々を促した。
透明な酒は香り高く、滑らかな口当たりだったが、どの酒か当てるのは難しかった。すると馬さんは笑みを浮かべて「米酒ですよ」と言った。中福の米酒の味は市販の料理酒と全く同じではないため、説明なしに味わうと、客はみな何か別の酒だと思ってしまうのだ。「こうした機会に米酒に対する固定概念を打ち破って、シンプルに米酒を味わってほしいんですよ」と馬さんは言う。
これは2015年に財政部の優良酒認証の米酒分野で銅メダルを受賞した「蘭陽米酒」で、中福の転換点ともなった酒である。高い醸造技術が評判となり、地元の人々がお得意さんになってくれただけでなく、余った米で酒を造りたいという農家が数多く現れたという。
けれどもさらに遠くを見据えていた馬さんは、彼らの酒造りを後押しするだけでなく、計画的な酒米の栽培を指導したり、100年以上前に酒米として生産された「吉野一号」の復活栽培に関わったりもしている。米酒の横に置かれた「吉野吟醸」は、中福酒造と、日本統治時代に「吉野」と呼ばれた花蓮県吉安郷の青年、任永旭さんの長年にわたる努力の結果、2020年に正式に発売された吟醸酒である。
梅酒、茶酒、コーヒー酒は中福酒造が米酒のために考え出した工夫の一部に過ぎない。「ここにあるすべての酒について語るには三日三晩あっても足りません」と馬さんは笑う。それぞれの酒に醸造に携わる造り手の真心とこだわり、原料となる米や果樹を丹精込めて育てた農家の人々の汗と涙が込められているからである。
発酵させたサトウキビの搾り汁とキビ砂糖を蒸留することで、サトウキビの収穫期に虎尾製糖工場に漂っていた甘い香りをラム酒の中に閉じ込める。
サトウキビのあの香りを再び
砂糖の原料になるサトウキビはオランダ統治時代に台湾にもたらされ、高温多湿な気候のおかげで大量に生産されるようになり、米とサツマイモに次ぐ酒の原料となった。
サトウキビの搾り汁を何度も煮返し、「離仔土」という石灰類の粉末を加えて砂糖を作るが、その過程で出た水分を使うのが伝統的な製法だ。品質によって等級分けされていて、一番質が良いのが「頭水」で、別名「甘蔗酒」と呼ばれ、その次の「二水」は不純物から来る雑味があり「離仔酒」とも呼ばれた。「糖蜜酒」とも呼ばれた「三水」は不純物が多いだけでなく臭みさえあった。
けれども個人が許可なくアルコール類を製造することが禁止され、さらに製糖業自体が衰退するとサトウキビ酒も次第に消えていった。
台湾糖業公司の虎尾製糖工場は、台湾に現存する2つの製糖工場の1つで、12月中旬の収穫シーズンになると、新鮮な甘い香りを振りまきながらサトウキビ運搬列車「五分車」が高架橋を走る台鉄の列車と交差するように進む珍しい光景を目にすることができる。
「それが子供の頃、私が大好きだった香りなんです」と虎尾醸酒造の創設者・鄭文維さんは言う。彼が製造するラム酒で再現することにこだわっているのがその香りなのだ。
虎尾醸の醸造所に入ると、原料の処理から蒸留、熟成に至るまでのラム酒製造の工程を鄭さんが説明してくれる。けれども虎尾醸のラム酒造りはそれほど順調にはいかなかった。
2013年に酒類醸造免許を取得後、鄭さんは虎尾で採れる米とサトウキビを主原料とすることを決め、2016年にまずライス・ウィスキーを発売した。けれどもサトウキビを原料としたラム酒はなかなか完成には至らなかった。
その理由は出来上がったラム酒の風味がサトウキビ収穫期のあの香りと重ならなかったからである。何度も試した結果、カギは原料の形態にあると鄭さんは気づいた。市場で主流のカリブ海地域で生産されるラム酒はサトウキビの糖蜜を水で薄め、酵母菌で発酵させた後、何度も蒸留をして造られているが、そこに彼が求める風味はない。
けれどもカリブ海にある仏領マルティニーク島産のラム酒(「フレンチ・クレオール・ラム」として知られる)は、アグリコール製法という特殊な製法でサトウキビの新鮮な搾り汁をそのまま発酵させて造っており、そこからヒント得た鄭さんは、その製法にさらに改良を加えてラム酒を造った。出来上がったものを2年間樽で熟成させ、ついに2020年に「虎尾醸ラム酒」として発売した。
「虎尾醸ラム酒」は発売後わずか数か月で完売し、あるフランス人ソムリエからは「今まで台湾で飲んだラム酒の中で虎尾醸のラム酒が一番美味しかった」と言われたそうだ。
「味に正しいも間違っているもありません。臭豆腐がみんなに愛されているわけではないのと同じです。虎尾醸のラム酒が伝えたいのは、生まれ育った虎尾という土地に繋がる記憶なんです」。それは虎尾醸創立時の「職人の心で土地の記憶を酒に醸す」というモットーと同じだ。虎尾醸の酒を飲めば、虎尾ならではの味が楽しめるのだ。
蒸留所に残っていた最後のひと瓶を慎重に開けて琥珀色のラム酒をグラスに注ぐと、サトウキビの繊細な香りが漂ってくる。飲めば口の中に糖蜜の甘い香りが広がり、かつて「糖都」と呼ばれた虎尾のサトウキビ収穫期の賑わいが目に浮かんでくるようだ。
見学者が集まる虎尾醸のテイスティングルームで、創業者の鄭文維さん(左)はグラスにラム酒を注ぎ、その中に込められた物語を語る。
貯蔵室に置かれた樽すべてに鄭文維さんの思い出の中の米の香りとサトウキビの甘さが詰まっている。
規格外のサツマイモは不格好だが、サツマイモのスピリッツの香りの決め手になっている。
恒器酒造の創業者・羅己能さんはサツマイモのスピリッツにウィスキーの熟成樽や果実酒などを組み合わせて、甘い香りだけではないサツマイモの新たな顔を生み出している
中福酒造に足を踏み入れた見学客は、薬酒がぎっしり並べられた蜂の巣状の飾り棚を目にする。
棚に並ぶ1本1本の瓶の背後には、台湾の米の新たな可能性を探る、中福酒造の創業者・馬何増さんと多くの農家の努力の物語が隠されている。
虎尾製糖工場を走る「五分車」(サトウキビ運搬列車)は地元の人々にとって共通の思い出だ。(荘坤儒撮影)