野生から養殖へ
サバヒーをめぐる旅の案内人は国立台東大学文化資源とレジャー産業学科副教授の鄭肇祺だ。いかにも台湾人っぽいラフな服装をしているが、実は香港から来たシティボーイで、台湾で初めてサバヒーと出会ったそうだ。博士論文では台湾の養殖業の持続可能な発展に対するECFA(両岸経済協力枠組協議)の影響について書いている。
早朝、彼はフィールドワークを行っている嘉義市布袋の新塭地区に我々を案内した。
台湾におけるサバヒー養殖の歴史は長く、主に雲林、嘉義、台南、高雄などの温暖な地域で行われている。かつてサバヒーの稚魚は海に出て採捕せねばならず、非常に貴重なものだった。売買には公正で中立な第三者である「数魚人(数え手)」の立ち合いが必須で、そこから「数魚歌(魚数え歌)」も生まれた。稚魚を掬う杓子と、計算を助ける竹箸や竹札を手にして「数魚歌」を歌う姿は、今でもYouTubeで見ることができる。
けれどもこのような光景は現地ではもう見られない。1983年、「台湾サバヒーの父」と呼ばれる林烈堂が稚魚の養殖と量産に成功したのだ。「量産できてはじめて商業への応用が可能になります。人工繁殖のおかげで稚魚の採捕は不要となり、コストが大幅に下がって、サバヒーの生産量は大きく増えました」と鄭肇祺は言う。
西部浜海快速道路を走る車の中で、鄭肇祺は道路の両脇に連なる養殖池を指して語る。昔、サバヒーの養殖地は人間の脛ほどの深さしかなかった。底に生えている藻類がサバヒーの餌となっており、藻類の生育のため日光が底まで届く必要があったからだ。しかしサバヒーは寒さが苦手で、気温が10度以下になると死んでしまう。そこでここ数十年、水深2mほどの養殖池が作られるようになった。一つは保温、もう一つは一区画当たりの養殖数を上げるためである。さらに南の高雄市岡山に行けば水深5mの養殖池もあるという。
サバヒーに関するさまざまな知識を鄭肇祺はまるで宝物を数えるかのように語る。「台湾で食べられているサバヒーは生後4~8か月のもので、市場でよく見かけるのは900gほど。ご存知ですか。もし市場で1.2㎏以上あるサバヒーを見たら、それはたぶんハマグリと複合養殖したものなんですよ。サバヒーがハマグリの養殖池の藻類を一生懸命食べてくれるので、魚齢が1年を超えるまでそこで育てられます」
鄭肇祺はまたこう語る。都会の暮らしと違って、農業や漁業は今も季節と繋がっている。伝統的に嘉義、台南一帯の業者は4月、清明節を過ぎたら稚魚を池に放つ。成長を待って7月から収獲を始め、11月に収獲を終える。他の養殖地より北にある嘉義は早く冷え始めるため、11月には全て出荷してしまうが、温暖な高雄ではサバヒーを越冬させ翌年の4月に出荷する。時季を外せるのでよりいい値段で売れるし、おかげで台湾は一年を通じてサバヒーが食べられることになる。
サバヒー加工の生産ラインは労働集約型で、多くの雇用機会を提供している。サバヒーは台湾のたくさんの家庭を養っているのだ。