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産業イノベーション

この島で親しまれて400年

この島で親しまれて400年

台湾サバヒーの味

文・鄧慧純  写真・林格立 翻訳・永井 江理子

10月 2023

台湾の「国民魚」サバヒーには222本もの骨があることをご存知だろうか。これほど小骨が多い魚だというのに、サバヒーは台湾で愛され、専門的な産業チェーンを生み、美食となって食卓に並ぶ。台湾の人々は頭から尾までサバヒーを余すことなく活用しているのだ。

 

サバヒーは台湾の重要な養殖魚である(「サバヒー」は台湾語で、漢字表記は「虱目魚」。英名はMilkfish)。タンパク質豊富で、かつては大事な栄養源だったサバヒーは、台湾料理の「五柳枝」(揚げ魚の甘酢がけ)から、国民的人気を誇るサバヒー粥まで、さまざまな料理がある。また、『台湾光華』では廃棄物だった魚鱗を使って高機能ファブリックを開発した、台南の紡織業者を紹介したこともある。サバヒーはこの島でさまざまな物語を紡いでいるのだ。

いくつもの名を持つ魚

サバヒーはインド洋から西太平洋の熱帯、亜熱帯水域に広く生息している。学名は「Chanos chanos」で、分類学上、1科1属1種の魚である。

サバヒー加工の生産ラインは労働集約型で、多くの雇用機会を提供している。サバヒーは台湾のたくさんの家庭を養っているのだ。

長年、魚の食育に取り組み、『怪奇海産店(おかしな海産店)』の著者である国立海洋大学水産養殖学科副教授の黄之暘はサバヒーの名前についてこう語る。「サバヒーの目は脂肪性のまぶたに覆われ、加熱すると透明だった目が乳白色になるため『遮目魚』と呼ばれ、その発音から『虱目魚』という字があてられました。また、そのまぶたは膜になっているため『膜遮魚』と呼ばれ、その発音から『麻虱目』と表記されるようになったとも言われています」そして、専用試料の普及以前は、浅い養殖池の底に生える藻類を食べていたことから「海草魚」という名もある。その後、「牛乳魚」、「思慕魚」、「安平魚」などの呼称も生まれ、近年、中国大陸に輸出する際には「状元魚」と名付けられた(「状元」とは科挙の最終試験に主席で合格した者に与えられる称号)。中央研究院の鄭維中は史料から「虱目」の語源はスペイン語の「Sábalo」で、これはマニラの漢人から始まった呼称であると言う。また、鄭成功の聞き間違いにちなんだ「国姓魚」という名もあるが、この説はあてにならないと黄之暘は言っている。ともあれ、その名にはこんなに多くの由来があるのだ。

台湾に来て初めてサバヒーと出会った鄭肇祺は、より多くの人に「サバヒーの友」になってもらえるよう、サバヒーの紹介に尽力している。

野生から養殖へ

サバヒーをめぐる旅の案内人は国立台東大学文化資源とレジャー産業学科副教授の鄭肇祺だ。いかにも台湾人っぽいラフな服装をしているが、実は香港から来たシティボーイで、台湾で初めてサバヒーと出会ったそうだ。博士論文では台湾の養殖業の持続可能な発展に対するECFA(両岸経済協力枠組協議)の影響について書いている。

早朝、彼はフィールドワークを行っている嘉義市布袋の新塭地区に我々を案内した。

台湾におけるサバヒー養殖の歴史は長く、主に雲林、嘉義、台南、高雄などの温暖な地域で行われている。かつてサバヒーの稚魚は海に出て採捕せねばならず、非常に貴重なものだった。売買には公正で中立な第三者である「数魚人(数え手)」の立ち合いが必須で、そこから「数魚歌(魚数え歌)」も生まれた。稚魚を掬う杓子と、計算を助ける竹箸や竹札を手にして「数魚歌」を歌う姿は、今でもYouTubeで見ることができる。

けれどもこのような光景は現地ではもう見られない。1983年、「台湾サバヒーの父」と呼ばれる林烈堂が稚魚の養殖と量産に成功したのだ。「量産できてはじめて商業への応用が可能になります。人工繁殖のおかげで稚魚の採捕は不要となり、コストが大幅に下がって、サバヒーの生産量は大きく増えました」と鄭肇祺は言う。

西部浜海快速道路を走る車の中で、鄭肇祺は道路の両脇に連なる養殖池を指して語る。昔、サバヒーの養殖地は人間の脛ほどの深さしかなかった。底に生えている藻類がサバヒーの餌となっており、藻類の生育のため日光が底まで届く必要があったからだ。しかしサバヒーは寒さが苦手で、気温が10度以下になると死んでしまう。そこでここ数十年、水深2mほどの養殖池が作られるようになった。一つは保温、もう一つは一区画当たりの養殖数を上げるためである。さらに南の高雄市岡山に行けば水深5mの養殖池もあるという。

サバヒーに関するさまざまな知識を鄭肇祺はまるで宝物を数えるかのように語る。「台湾で食べられているサバヒーは生後4~8か月のもので、市場でよく見かけるのは900gほど。ご存知ですか。もし市場で1.2㎏以上あるサバヒーを見たら、それはたぶんハマグリと複合養殖したものなんですよ。サバヒーがハマグリの養殖池の藻類を一生懸命食べてくれるので、魚齢が1年を超えるまでそこで育てられます」

鄭肇祺はまたこう語る。都会の暮らしと違って、農業や漁業は今も季節と繋がっている。伝統的に嘉義、台南一帯の業者は4月、清明節を過ぎたら稚魚を池に放つ。成長を待って7月から収獲を始め、11月に収獲を終える。他の養殖地より北にある嘉義は早く冷え始めるため、11月には全て出荷してしまうが、温暖な高雄ではサバヒーを越冬させ翌年の4月に出荷する。時季を外せるのでよりいい値段で売れるし、おかげで台湾は一年を通じてサバヒーが食べられることになる。

サバヒー加工の生産ラインは労働集約型で、多くの雇用機会を提供している。サバヒーは台湾のたくさんの家庭を養っているのだ。

池畔の人類学的観察

養殖池の傍らに車を止めると、鄭肇祺は我々を案内してくれる。一つの養殖池に2台から3台の水車が取り付けられ水を攪拌している。鄭肇祺によるとサバヒーは酸素不足に弱く、酸欠状態になった途端に死んでしまうそうだ。そのため、早朝4時、5時に見回りに来る人もいるし、7、8月には池のそばに建てた見張り小屋に住み込む人もいるという。養殖池の主人によると、養殖で一番怖いのは停電だそうだ。停電して水車が止まると魚は全部死んでしまい、一度で2、300万元を超える損失を出してしまうという。鄭肇祺はまた我々に養殖池の近くに鳥がうろついていないか観察してみろと言う。病気の魚や死んだ魚は池の縁に寄せられるので、鳥はそれを狙うのだ。つまり、鳥さえも養殖池観察のポイントなのである。

サバヒー1尾を開くのに、1本の小型ナイフで30秒もかからない。

産地をめぐる知られざる知識

途中、鄭肇祺は水産物卸売会社の社長から、今日の仕入れ場所を知らせる連絡を受けた。「その日どこの池の魚を仕入れるか、魚を捕獲する作業員はその日の早朝に知らせを受けます。前日の夜に魚を消費地の卸市場に届けたトラック運転手は、翌朝、社長がその日の仕入れ量を決められるように、卸市場での売れ行きをしっかり観察して来なければならないんですよ」

我々はトラックの後について台南市学甲の養殖池に到着した。強い日差しの下、作業員は仕事に取り掛かる。鄭肇祺は「台湾のサバヒー養殖の発展の裏には専門的な分業があります。養殖する人、仕入れる人が分かれることで、長年リスクを分け合っているのです」と語る。産業チェーンには卵を孵化させる業者、3㎝ほどの稚魚になるまで育てる業者、成魚を飼育する業者がそれぞれいる。養殖池の主人はサバヒーを育てるだけで、集めて出荷するのは仕入れ業者だし、仕入れる際に現場で捕獲作業をするのは仕入れ業者の社員ではなく、日雇いの作業員だ。

作業員はまず作業場を設営する。テントを張って日差しを遮り、帆布で臨時の生け簀を作る。それから作業員2人が竹製のいかだを操って、養殖池にぐるりと網を張る。そして岸にいる作業員がその網を引っ張り、池の端に仕掛けておいた長方形の網の中に魚を追い込む。その時、魚は網の中でピチピチ跳ねる。躍動する生命力を写真家が熱心に撮影する。「早朝6、7時にはすでに人が来て魚を追い込んでいます。魚を驚かせて跳ね回らせることで、腹の中の物を排出させるんです。内臓をきれいにすると腐敗しにくくなりますから」と鄭肇祺は言う。またこうすることでサバヒーのワタに独特の風味が生まれるそうだ。その後、作業員はサバヒーをクレーンで吊り上げ、帆布製の生け簀に移す。続いて仕入側の作業員が見た目と手の感触を頼りに体型ごとに仕分けていく。小さすぎるものは別に選り分けて加工場に送り、その他のものは発泡スチロール製の箱に入れ、市場に出荷するために氷で覆う。

鄭肇祺はサバヒー養殖の「どうして」を一つ一つ説明してくれる。昼に収獲された魚は、午後4時頃にはトラックに載せられ北に向かい、消費地の市場に送られる。夜間や早朝に収獲された魚なら、その多くは地元か南部の市場に送る。伝統的に作業員は魚がまだ柔らかいうちにその体を曲げて籠の中に並べる。「これもまた市場の人が新鮮さを判断する材料になるんです」

一年を通じて市場で売られているサバヒーは、台湾の「国民魚」だ。

たくさんの家族を養う魚

我々は養殖池から水産物を扱う旭崗企業の加工工場に向かった。さっき集めた小さめのサバヒーが送られ最初の加工が行われるところだ。「加工の基礎は『三去三清』。ウロコを取り、エラを取り、内臓を取ります」と鄭肇祺は手を動かして説明する。まず機械でウロコをこすり取り、頭を落として内臓を除去し、洗って開く。すべての作業を1人で行い、1尾開くのに小型ナイフ1本で30秒もかからない。ある人は金属製のスプーンで身をこそいでいる。こうして俗に「魚のフィレ」と呼ばれる骨なしの切り身が出来上がり、こそいだ部分はツミレの材料となる。処理の過程で出る廃棄物も動物の飼料となるので、サバヒーで無駄になるところはまったくない。「サバヒーの処理は労働集約型産業で、多くの雇用機会を提供しています。サバヒーは台湾のたくさんの家庭を養っているんですよ」と鄭肇祺は続けた。

サバヒーを出荷するため力を合わせて網を引き、池から引き上げる。

サバヒーの味

台湾のサバヒーの年間生産量は約6、7万トンで、そのうち8割は国内消費されている。「サバヒーは台湾の国民魚です。地元で生産されているだけでなく、我々の食文化そのものに関わっているんです」と黄之暘は言う。サバヒーの調理方法は地域ごとの食習慣、味の好みを反映しているそうで、たとえば台北の都市部では骨がなくて調理しやすいものが好まれ、食卓にのぼるのはサバヒーのフィレとサバヒー粥が多い。けれども産地であり主要な消費地でもある西南の沿海地方ではバラエティーに富んでいる。

西南の沿海地方の道路沿いでは「肉燥飯鮮魚湯(肉そぼろ飯と魚スープ)」という6文字が書かれた屋台をよく見るが、サバヒーは魚スープの定番だ。黄之暘によると、客はまずサバヒーの頭の煮込みをつまみながら主食を選び、そこにスープを合わせる。北部でサバヒーの皮のスープを頼むと生姜の千切りが付くが、南部だと生姜がいいか「西瓜綿」(間引いた小さな西瓜の漬物)がいいか聞かれる。あるいは茹でた魚の皮にタレを添えたものか、魚のワタを焼いたものを選ぶかもしれない。もしサバヒーのハラミを頼まなければ100元もしないし、何より楽しくお腹いっぱいになる。

「魚の味を分かっている人は、わざわざフィレなど頼みません。調理方法が単純で食べる楽しみ少ないからです。一番面白いのはサバヒーの頭、あるいはサバヒーのワタです」と黄之暘は言う。サバヒーの頭には身は少ないが、舌先でわずかな身とゼラチン質と脂が混じった汁を吸い出して食べ尽くせば、ちょっとした達成感が得られる。もし内臓が嫌でなければ、黄之暘はサバヒーのワタを薦める。この珍味は店でも真っ先に売り切れてしまうという。ふつう一皿に腸、レバー、胃袋が盛られるそうで、胃袋は歯ごたえがあり、腸は柔らかく、レバーはしっとりしていて、それぞれ違う食感が楽しめる。ワタは茹でてわさび醤油を添えても、塩コショウでソテーにしても美味しい。

台湾では24時間いつでもサバヒー料理が食べられる。庶民が愛するサバヒー粥から、サバヒーが主役の台南の宴会料理「五柳枝」まで、庶民的な店でも雅趣に富むレストランでも使われる食材である。焼いたサバヒーは海外に住む台湾人の郷愁を誘い、パイナップルと豆豉(トウチ)を漬けた調味料でサバヒーを煮れば、多くの人が懐かしく思う味になる。最近ではカリッとするまで焼いたサバヒーの背の部分を酒の肴として出すシェフもいる。またサバヒーを丸ごと使ったスープエキスも栄養食品として売り出されている。頭の先から尾の先まで、内臓から皮まで、さまざまな方法で食べられているのだ。

台湾をもっと知りたいなら、400年以上に渡って台湾人とともにあったこの魚がたくさんの物語を伝えてくれるだろう。

池から引き上げたサバヒーを、大きさで分別して消費地の市場へと送り出し、小さすぎるものは加工場に送って開きにする。

サバヒー産業は分業が進んでいる。卵の孵化、3㎝ほどの稚魚になるまでの飼育、成魚の飼育にそれぞれ専門の業者がいる。(鄭肇祺提供)

サバヒー(虱目魚)の名は、両目が脂肪性のまぶたで覆われていて、加熱すると乳白色になることからつけられたという。