台湾初のペットボトル再生繊維
彰化県伸港郷にある富勝紡織は、かねてより「織姫の故郷」と呼ばれてきた和美鎮の近くにあり、この一帯は台湾の繊維産業の中心地でもある。富勝に向う途中で聞いたタクシー運転手の話によると、かつてここには100に上る小規模工場があって大いに賑わっていたそうだ。その後、90年代に工場の海外移転が始まって彰化の工場も一つひとつ消えていったが、富勝はここに残った数少ない工場の一つだ。
富勝紡織は1968年に柯漢哲の父である柯金錫が創設し、レーヨンの織りを得意としていた。柯漢哲は幼い頃から生産工程と技術に親しんでおり、兵役を終えるとすぐに会社を継いだ。その繊維工場が世界から注文を受けるエコ繊維メーカーへと転換したきっかけは、仏教の慈善団体である慈済の講演会だった。
1990年、柯漢哲は慈済の創設者である証厳法師の講演を聞く機会があり、法師の「その手を環境保護のために使ってください」という言葉に強い感銘を受けた。彼は、子供の頃に遊んだ近所の小川が今はごみでいっぱいになっていて、誰かがきれいにしてくれればいいのにと思ったことを思い出した。その思いがよみがえり「一生、証厳法師についていこう」と決意したのである。
では、環境のために繊維産業に何ができるのだろう。そう考えている時、飛行機の機内誌でペットボトルを原料にしたアメリカのジーンズを紹介する記事を読んだ。「固いペットボトルがどうしてジーンズになるのだろう」と好奇心を持ち、そこから歩むべき方向を見出したのである。プラスチックに関する知識がまったくなかった彼は、研究に取り組み始める。その頃は1990年代、台湾の繊維産業は低迷し、工場は人件費削減のために次々と海外へ出ていったが、彼は大量の時間と資金を未知の技術に注ぐこととなり、父の柯金錫の理解も得られなかった。「本当につらかったです」と語るが、台湾にもできることを証明するために、歯を食いしばって研究を続けた。
回収したペットボトルを分類、洗浄、粉砕、溶融してチップ状にし、そこから紡糸、紡織を行なうという工程と技術を一つひとつ開発していった。こうして3年、1993年に台湾初のペットボトル再生繊維の生産に成功し「PETSPUN」という商標を登録した。「当時、世界でペットボトル再生繊維を作っていたのはアメリカの1社、ドイツの1社、日本の2社だけで、富勝は世界で5番目に再生技術を開発した会社でした」と柯漢哲は誇らしそうに語る。
職人の精神を持ち、全力で環境にやさしい繊維製品を開発する柯漢哲。