
『台湾光華雑誌』と台湾アジア交流基金会、そして国立政治大学東南アジア研究センターが共同で第2回「新南向文化サロン」が、初めて台東美術館で開催された。座談会には、東南アジアと深いつながりを持つ原住民族アーティストや関連分野の学者・専門家をお招きし、新南向政策の対象である東南アジア、南アジア、オーストラリアおよびニュージーランドなどと台湾の芸術文化発展および国際交流の現状を話し合い、将来的な多角的パートナーシップ確立の可能性を探った。
今年(2020年)8月、台東美術館で座談会「集落から世界へ——原住民族の映像・音楽再発見」が開催された。オーストロネシア系諸族の文化を研究する学者・専門家や、アーティストや文化人が参加して1泊2日にわたって開かれた。オーストロネシア文化に関する議論があり、また原住民族音楽関係者は、東南アジアや太平洋地域との交流の経験をシェアした。台湾の民間による国境を越えた活動や、音楽・アートといったソフトパワーがオーストロネシア系諸族と活発に交流していることがわかる。

今回の座談会には、東南アジアとの関係が深い原住民アーティストやプロデューサー、キュレーター、学者などを招き、国際交流の現状をシェアして活発な議論が行われた。
ダイヤモンド型の世界
最初の座談会の司会を務めた台湾アジア交流基金会の蕭新煌・董事長は、オーストロネシア系諸族はダイヤモンド型の世界を形成していると指摘した。北は台湾から南はニュージーランドまで、東はイースター島から西はマダガスカルまで広がっており、台湾の新南向政策の成功は、ここに文化の底流を見出せるか否かにかかっているという。台湾はこの文化圏を通して東南アジア全体とつながっていき、民間交流を増やしていくべきだと蕭新煌董事長は述べた。
『台湾光華雑誌』編集長の陳亮君は、40余年にわたる同誌の歴史を振り返り、原住民族に関する報道を、記録、ルーツ、教育、文化の四つの面から分析した。同誌では常に台湾における原住民族音楽の発展を注目してきていること、また、将来の報道の方向性について語った。
では、台湾はオーストロネシア系諸族において、いかに重要な地位を占めているのか。台東県政府文化処長兼台東美術館館長の鍾青柏氏は次のように説明した。オーストロネシア人の発展をめぐって学界にはさまざまな見方があるが、この十年ほど、台湾がオーストロネシア人の起源であるという見方を支持する研究者が増えている。「1400年前の台湾では、今の台東県都蘭が首都だった可能性があり、そこが玉器の中心地でした」と言う。
オーストロネシア人の起源について、台東生活美学館の李吉崇・館長は鍾青吉氏の見方に賛同する。その話によると、かつて台湾の玉は台東に運ばれて加工されており、「東南アジア各地で台湾玉の痕跡が見られます」と言う。言語面でも、東南アジアの一部の地域と台湾では驚くほど似ている部分があり、「もともと兄弟なのです」と言う。例えばアミ語の「目」はmata、「五」はlimaと言うが、これはマレー語の一部の言葉の発音とほぼ同じなのである。

台湾から来たカジノキ
考古学者の推論では、4000年前に台湾原住民族の勇者たちが太平洋に漕ぎ出し、風と海流と星を頼りに、現在のフィリピンに到着した。
その子孫たちがさらに未知の海に挑み、1000年余りをかけてマレーシアやインドネシア、ポリネシア、ニュージーランド、さらにはマダガスカルに到達したとされる。その移動ルートは地図をびっしりと埋め尽くし、八方へ放射状に広がっているが、その起点は台湾を指している。
これらの人々が話すオーストロネシア語族の言葉は、現在世界で使用人口が最も多い言語である。今では航海の技術を失った人々もいるし、現地の他のエスニックと融合した人々もいるが、先住民族の間には深い結びつきがあり、それは語彙や風習や儀式の中に残っている。
長年にわたり、民族音楽や台湾音楽史、原住民音楽を研究している台東大学音楽学科の林清財主任はこんな例を挙げる。パラオから訪れた芸術団の公演で披露された歌舞の形式や、歌の掛け合いなどは、台湾のプユマ族のみに見られるものだった。これは台湾とオーストロネシア文化との深いつながりを示す事例である。
もう一つ島と島のつながりを示す事例が2011年10月に発生した。林清財主任がニュージーランドのマオリ文化観光大臣をもてなして、台東のアミ族とプユマ族の集落を訪れた時のことだ。31日の夜、その大臣の夢の中に祖霊が現われて「おまえの祖霊はここから行ったのだよ」とほほ笑み、大臣は伝統の儀式を通して祖霊と交流したというのである。それ以来、台湾の原住民族委員会の官僚がニュージーランドを訪れると、必ず「兄弟が来た」と歓待してくれるそうだ。
林清財主任によると、この時の交流は台湾原住民族とマオリの関係を深めてくれただけでなく、間接的に台湾とニュージーランドとのANZTEC(経済協力協定)の締結を促し、同協定には先住民族間の協力に関する章も設けられた。
台湾史前文化博物館の王長華・館長は考古学の角度から二つの厳格な証拠を示した。一つは「台湾から来たカジノキ」だ。台湾、インドネシア、フィリピン、ハワイなどのカジノキの遺伝子配列を調べた結果、太平洋のカジノキの起源はすべて台湾にあることが発見され、またこれら地域の住民は同じようにカジノキの樹皮を使って衣服を作ってきたのである。
もう一つは台東の卑南遺跡から出土した精緻な台湾玉の彫刻だ。「すでに明確な考古学的証拠があり、今から2200~1000年前に、台湾の職人が台湾玉を持って海流に乗って南へと移動し、現在のベトナムやタイ、ラオス、フィリピンへ行ったとされます」と王長華館長は言う。

豪華朗機工は、廃棄物を再利用して台東の山並みのイメージを表現した。(荘坤儒撮影)
非常に似ている発音
台湾の原住民音楽家は世界各地で原住民音楽を広め、またオーストロネシア系諸族との共通性を見出している。金曲賞最優秀原住民歌手賞を受賞したアミ族の歌手Chalaw Basiwali氏は、オーストロネシア系諸族に共通するルーツを探そうと、5ヶ年計画を立てた。彼は音楽パートナーであるKilema氏の故郷マダガスカルを訪ねたところ、現地の人々がアミ族と同じ方法で漁を行ない、同じくSalamaという言葉で挨拶を交わすこと、それに数字の1から10までの発音が非常によく似ていることを発見した。
また、アミの歌手Suana Emuy Cilangasay氏はマレーシアの中学校で子供たちに原住民族の歌謡を教え、手をつないで簡単なステップを踏みながら一緒に歌ったところ、多くの生徒がフェイスブックにコメントを送ってくれたという。

フィリピンの芸術家デクスター・フェルナンデスが、台東のアートビレッジに滞在して完成させた作品。その作品からは台湾とフィリピンの島々とのつながりが見て取れる。 (荘坤儒撮影)
原住民音楽を世界へ
オーストロネシアの文化を研究する台東曙光芸術村創設者の呉淑倫氏は、台東で集落の女性たちの自立を支援しているが、このことがインドから来たアーティストを感動させた。このアーティストはインドへ帰国した後、アーティスト・イン・レジデンス計画を開始し、多くの芸術家を招いて音楽やパフォーマンスなどを通して現地のカースト制度や男女平等といった社会問題の解決に取り組むようになった。
2日にわたる座談会の最終回では、原住民音楽の著名な研究者であるアメリカ人のEric Scheihagen氏が、レコード時代からCD時代までにわたる、台湾原住民族と東南アジア音楽の交流を振り返った。先住民音楽の軌跡からも台湾とこれらの地域のつながりが分かると言う。

世界中のどこを訪れても、台湾原住民族の音楽は人々を惹きつけ、共鳴を起こす。 (Chalaw Basiwali提供)
南との交流における台東の重要性
台湾の活力と創造力に惹かれて多くのアーティストが来訪し、台東の原住民文化からインスピレーションを得ようとしている。
2018年の「南方以南大地芸術祭」で台東を訪れたフィリピン人アーティストのデクスター・フェルナンデス氏は、言語も似ているということでしばしば原住民族の家に招かれ、家々の壁面に作品を描くことができた。
1泊2日にわたる素晴らしい討論と対話を通して、参加者はオーストロネシア系諸族の文化に対する認識を一層深め、また台湾と南の島々からなるダイヤモンド世界の重要性を再認識した。
今後の新南向政策における文化交流という点でコンセンサスが得られるとともに、将来の方向性に関する提案もなされた。国立台東大学公共および文化事務学科の蒋斌教授は、台湾が「オーストロネシア語族」という概念をもって新南向政策を推進する際は、これらの国々がそれぞれ持つエスニックの分類や社会・文化面を軽視してはならず、台湾中心の思考で政策を推進してはならないと指摘した。
政治大学東アジア研究所の楊昊教授は、「台東はすでに南方以南の共同体の形成を呼びかけている」と述べた。これまで、台湾の政治経済の中心である台北に対して、僻遠の地とされてきた台東が「誇りをもってヒューマン・ランドスケープの中心であると宣言できるのです」と言う。
このような概念の転換は、現地に暮らす原住民族の若者たちの覚醒を促すだけでなく、自分たちのルーツへのアイデンティティを取り戻すことにもつながる。さらに新南向文化交流に一層多くの基礎をもたらし、海と国境を越えた南方との緊密な連携へと歩み出させるものである。

台東の曙光芸術村を創設した呉淑倫は、インドのアーティスト・イン・レジデンスに参加し、芸術創作を通して現地の女性の権利向上を試みた。(呉淑倫提供)

台東の音楽家やアーティストが一緒に造り上げた鉄花村音楽集落は、台東の情熱とロハスな雰囲気に満ちている。

初めて台東美術館で開催された『光華』座談会では、台湾と新南向政策対象国との多角的な文化交流の可能性について議論された。

長年にわたって芸術文化の発展に 力を注いできた台東は、すでにオ ーストロネシア系諸族の交流の場 となっている。