
1996年、アトランタ五輪のキャンペーンソングが世界を驚かせた。電子音楽を背景に、広大な大地を感じさせる歌声は、台湾アミ族のディファン(郭英男)と妻のイガイの歌声で、ヨーロッパのバンド、エニグマのアルバムに収録され、500万枚の大ヒットとなったのである。
オリンピックを通して世界中の人々が台湾原住民の歌声を聴き、その苦境をも知ることとなった。「光華」は1996年8月号(日本語版9月号)のカバーストーリーで、この曲「リターン・トゥ・イノセンス」の著作権問題や人権に関する論争を分析し、また原住民集落の伝統文化が現代社会に直面した時に発生するさまざまな難題を指摘した。その記事ではアミ族の歌謡文化も紹介している。彼らの歌には歌詞や名前はなく、自然な合唱によって成立する。それはアミの人々にとってはごく自然なことなのである。
同年2月、「光華」は特集を組み、原住民が本来の名前を使えるようになったことを報じた。日本時代の「理蕃」と国民政府による全面的改名政策を経て、ようやく民族の名前を使えるようになったのである。これをきっかけに、民族の言語や祭典、工芸なども重視されるようになった。
社会の急速な変化で、集落の伝統文化も失われ、ディファンは取材に対し「今の子供たちは母語も話せず、豊年祭にも参加しないのですから、歌が歌えるはずがありません」と答えた。それから20年の努力を経て、今では原住民文化は台湾で最も貴い文化財とされるようになった。すべては彼らの歌声と祖先の名前から始まったのである。


