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台湾とシンガポールの共同制作華語ドラマ

台湾とシンガポールの共同制作華語ドラマ

『你那邊怎様,我這邊OK』

文・陳群芳  写真・拙八郎創意執行 翻訳・山口 雪菜

7月 2019

シンガポールの監督ドリーン・ヤップ(左から3人目)と台湾のクルーは、しだいに交流を深め、息の合った仕事ができるようになった。

台湾とシンガポールの初の共同制作ドラマ『你那辺你怎様,我這辺OK(ALL is Well)』が8月に放映される。ATM不正引き出し事件を扱った内容で、シンガポールの役者が台湾の風景を背景に、台湾の役者が大都会シンガポールで冒険する。双方の美食や風景、文化などがドラマの中に織り交ぜられ、大きな期待が寄せられている。

今年初め、台北の圓山飯店にスターが勢揃いした。映画監督の王小棣が率いる拙八郎創意執行と台湾テレビ、シンガポールのメディアコープが揃い、『你那辺怎様,我這辺OK』クランクイン記者会見を開いたのである。台湾とシンガポールの俳優が次々とステージに上がり、我が国の文化相や警政署長も祝賀に駆けつけた。

撮影に全面的に協力した台北の圓山飯店。ドラマを通して台湾の中国式宮廷建築が視聴者の目の前に再現される。

共同制作のきっかけ

シンガポールでは台湾のバラエティ番組やドラマがよく放送されており、現地の人々は台湾の俳優やタレントをよく知っている。

毎年シンガポールで開かれるアジア‧テレビ‧フォーラム&マーケットには台湾も優れた作品を出展している。映像作品を通した交流のほかに、版権取引や投資などのビジネスにとって重要な場なのである。またシンガポールの映画は台湾の金馬賞に出品しており、2013年の作品『イロイロ ぬくもりの記憶(爸媽不在家)』は第50回金馬賞の最優秀作品賞、最優秀新人監督賞など4つの賞を獲得した。

両国の映像交流は頻繁で、これまで途絶えたことはない。そうした中、王小棣監督はこの交流をパートナーシップへと発展させた。

2017年、王小棣がシンガポールのメディアコープに招かれてパフォーマンスの講座を開いた時、共同制作というアイディアが浮かび、双方の意見はすぐに一致した。王小棣はシンガポールと台湾の両方を舞台にしたドラマを考え、一年余りにわたって討論を繰り返し、ようやく二つの物語が固まった。二つの物語は個別に見ても面白いが、合わせて見ると物語が複雑に交錯している。

小棣監督(右)とメディアコーポのプロデューサー、レオン・ライリンは一年余りの努力の末、ついに二つの物語が交錯する複雑な脚本を完成させた。(荘坤儒撮影)

謎解きのドラマ

『你那辺怎様,我這辺OK』の物語は、2016年に台湾で起きた多国籍犯行グループによるATM不正引き出し事件からアイディアを得たものだ。ハッカー集団が台湾の第一銀行ロンドン支店にサイバー攻撃をしかけて、そこから台湾本店のシステムに侵入し、遠隔でATMを操作するというものだ。受け子はATMを操作せずに現金を取り出すだけで、一晩に台湾各地の40数台のATMから現金が引き出された。この事件で台湾は国際組織と協力し、解決にこぎつけた。

王小棣は物語の場を二つに分けた。シンガポール編では藍正龍(ラン‧ジェンロン)が台湾系銀行シンガポールエリアのマネージャーを演じ、シンガポールの俳優デスモンド‧タンが運輸会社の御曹司を演じる。二人はシンガポールで企業間の争いを繰り広げている。台湾編では、シンガポールの俳優エルヴィン‧ウンが正直者のハッカーを、ロミオ‧タンが台湾に調理修行に来た海南鶏飯レストランの後継ぎを演じる。二人はわけあってATM不正引き出し事件に巻き込まれ、警察から追跡から逃れるために台湾で冒険の旅を始める。この二つの物語はそれぞれ独立して成り立っているが、両方見れば物語がより明確にわかる。

例えばシンガポール編の中では、ラン‧ジェンロンが台湾に電話をかけて何かを指示するシーンがあるだけだが、台湾編を見ると、その電話を受けた人の表情や、その後の行動がわかる。メディアコープのプロデューサー、レオン‧ライリンは「物語は複雑で一度見ただけでは足りません。もう一つのバージョンを見た後、また最初から見直したくなるはずです」と言う。

4組のクルーは、より良い効果を上げたいという思いから、海へ山へとロケに奔走した。

近づくことで親しくなる

役者から裏方までの緊密な共同制作は台湾とシンガポールとの間でも初めてのものだ。

台湾側では王小棣がドラマ全体のディレクターと脚本統括、二つの物語の企画を担当、シンガポールではメディアコープのレオン‧ライリンがシンガポールでの撮影とポストプロダクションを担当した。台湾編は台湾の柯貞年とシンガポールのドリーン‧ヤップが監督し、それぞれに台湾のスタッフがついた。シンガポール編は台湾の曾培善とシンガポールのマーティン‧チャンが監督し、それぞれに現地のスタッフがつくという形を採り、監督が自分のスタッフを連れて撮影に行くという従来の方法と大きく異なっている。

4組のチームが2ヶ国の4ヶ所で同時に撮影し、物語が2編に分かれているため、脚本について双方で時間をかけて話し合い、撮影方法などを統一し、さらに両国それぞれの文化的特色を自然にドラマに取り入れることにした。双方とも華語を話すが、風土や文化の違いもあり、シンガポール人は英語や他の方言を交えながら話す。例えばシンガポールでは随意に英単語の初めの部分を形容詞的に使う。例えば、「そんなにエモになるな」などと言われると台湾人には分からないが、エモーショナル(感情的)の意味なのである。

シンガポールの映画でも登場人物は華語と英語を入り混ぜて話し、語尾にラとかロをつけ、独特のシンガポール式英語を話す。王小棣はシンガポール人俳優のセリフにはシンガポール式英語を多く取り入れたが、後になってシンガポールのTVドラマでは、方言を入れず標準の華語を使うというルールを知り、調整する必要があった。

4組のクルーは、より良い効果を上げたいという思いから、海へ山へとロケに奔走した。

シンガポール人の初体験

ドリーン‧ヤップによると、シンガポールでは多くの専門用語は英語をそのまま使うが、台湾のスタッフはすべて華語で表現するため、最初は戸惑ったと言う。だが、しだいに暗黙の了解で言葉を通さなくても通じ合うようになった。

シンガポールのメディアコープグループ傘下には、テレビ局やラジオ局、雑誌社、芸能人事務所もあるため、通常ドラマ制作では所属俳優を採用し、役者同士も互いをよく知っている。だが今回、台湾の役者は複数の事務所に所属しているため、今回の撮影開始前に、王小棣は演技指導を行なった。これがロミオ‧タンにとっては特別な経験となった。先生の指導を受け、中にはプライベートな悩みなどを話す人もいて、笑いと涙を通して互いに親交を深めることができた。

ドラマは全40回。シンガポール編と台湾編がそれぞれ20回である。シンガポールでの制作期間は約2か月半と過密スケジュールだったが、すべて予定通りに進んだ。一方、台湾ではセットや照明などに力を入れ、4~5ヶ月をかけて制作し、ストーリーのために臨時にシーンを加えることもしばしばだった。エルヴィン‧ウンは、台湾人俳優の即興演技の力に感服したと言う。シンガポールでは事前に脚本があるのが当たり前だが、台湾では臨時に呼ばれて撮影することもあり、最初はうまくできないのではないかと心配だったが、これによって自分の演技力も高まったと感じている。ロミオ‧タンとエルヴィン‧ウンは台湾での分業体制にも驚いた。シンガポールでは衣装も自分で覚えておかなければならないが、台湾では何もかもスタッフがやってくれるのである。

4組のクルーは、より良い効果を上げたいという思いから、海へ山へとロケに奔走した。

互いの風景の一部に

ドラマは人生の縮図であり、視聴者はそこにその国の文化を見る。シンガポールは大都市であり、マリーナベイ‧サンズやシンガポール‧フライヤー、競馬場などが背景として好んで選ばれる。台湾のスタッフはシンガポールでのロケハン時に、公営住宅や海南鶏飯などに驚きの声を上げた。これを見たレオン‧ライリンは、自分が見慣れた風景を違う角度から見つめることを考えた。監督たちがどのように異国の風景をとらえるかも、このドラマの見どころと言えそうだ。

台湾編のスタッフは新北市の淡水や烏来、野柳、それに基隆などでロケを行なった。ロミオ‧タンとエルヴィン‧ウンもクルーとともに海へ山へと移動し、撮影のために露天風呂に入ったり、バイクで山道を駆け抜けて台北市内を見降ろしたりした。台湾の豊かな自然景観は、都会に暮らすシンガポール人にとっては新鮮に映る。

『你那辺怎様,我這辺OK』(そちらはどう?こちらはOK)というのは、友人同士の簡単な挨拶の言葉であり、相手への気遣いとともに好奇心も込められている。制作に携わった人々は、両国の視聴者がこのドラマを通して互いに興味をもって理解を深め合えればと願っている。またネットでの放送によって、より多くの人に台湾とシンガポールを知ってもらい、互いに協力して華語ドラマを世界に届けたいと考えている。

4組のクルーは、より良い効果を上げたいという思いから、海へ山へとロケに奔走した。

林格立撮影

シンガポールのイケメン俳優デスモンド・タン(中央)はドラマの中で悪役を演じ、その演技力を発揮する。(林格立撮影)

シンガポールの俳優、エルヴィン・ウン(左)とロミオ・タン(右)は初めての台湾ロケで、台湾のグルメや景色、温かい人情に触れた。

写真撮影が趣味のロミオ・タンは、彼の心に残った美しい台湾を写真におさめた。

モダンな建物と伝統建築が併存しているのもシンガポールの魅力だ。(林格立撮影)

台湾とシンガポールの、役者から裏方までが緊密に協力することで、華語ドラマに新しい世界が開かれた。(荘坤儒撮影)