
世界の竹林面積の約85%がアジアに分布する中、台湾では森林面積の6%を竹林が占める。
竹林は豊かな資源を育む。昔から人々は竹を材料として器具を作り、生活の様々な場面にそれらは溶け込んでいた。だがいつの頃からか、それらは便利な新素材に取って代わられてしまった。
しかし、天然素材の温かみのある感触は、今でも代え難いものがある。しかも竹は生長期間が短くて、3年で利用できるうえ、炭素固定能力は木材の4倍にも及び、「サステナビリティ」が叫ばれる今日、竹はまさに炭素排出量削減における新たな選択肢なのだ。

百年前の古い工具を使って竹に穴をあける王升南。
信二竹店

削り、穴をあけ、炙り、くぼませるなどの工程。信二竹店は今も伝統の包管技法を用いて竹製の家具を作っている。
竹の椅子に込められた知識
台南市北区にある信二竹店にやってきた。ここは、家具作りの継承がすでに4代目になる手作りの竹製家具店であり、台南市では唯一「包管竹技法(一方の竹を包むような繋ぎ方をする技法)」を維持している店だ。3代目の当主、王壬煇は決して楽とは言えない歳月を経てきたが、今でも毎日店を開け、竹を打つ音を店内に高らかに響かせている。
竹について語り始めると、王壬煇の話は止まらず、何を聞いても答えてくれる。家具を作るには3年ほど育った桂竹(タイワンマダケ)を使う。若すぎる竹は繊維が柔らかすぎ、老いた竹は折れやすいからだ。竹が入荷されると、室内に15日間置いたままにし、できるだけ乾燥させてから制作にかかる。材料に対する様々なこだわりで、彼の家具は質が高く、確かな評価を得ている。1999年の台湾大地震の後、多くの歴史的木造建築物や廟の修復が必要となったが、その際、台中霧峰の林家花園や鹿港龍山寺では、王壬煇の作った竹釘が用いられた。「地面から三節目の竹しか私は使いません。この部分が最も強度が高いのです。竹釘は6~7月の暑い日に少なくとも15日乾燥させ、使う前には熱した油に数時間浸す必要があります。そうすれば表面に保護膜が作られ、防腐効果があります」と言う。
木造建築に木の釘を使わないのはどういうわけだろう。「木の繊維は縦や横に走ったり、曲がったりしているので、木の釘は力がかかると折れやすいのです。また鉄釘の場合は、木材に残っている水分で釘が錆びます。その点、竹は繊維がまっすぐで、しかもうちでは竹の最も硬い部分を使いますから、建物の構造にかかる力に耐え得るのです。また手作りの竹釘は四角く削ってあり、打ち込む穴は丸いので、釘を打ち込むと四隅がのめり込んで引っかかります。そのうえ木材の水分を吸収して竹釘が膨張するので、よりしっかりと接合できます」
一つの質問に、まさに至れり尽くせりの解答だった。この仕事には様々な知識があるが、それは彼の40年余りの経験の蓄積である。
解説しながらも、王壬煇は椅子を作る長い竹を品定めしていた。選んだのは両端にフシのあるものだ。「椅子の脚にはこういうのが堅くて良いのです」竹の表面に印をつけてから、ノミを軽く当ててその部分を取り除いた後、竹の内壁を削っていく。手を動かしながら、「ここは後で火であぶって折り曲げる部分です。角度をきちんとつけておかないと、ぴったりと組み合わせることができません」と説明してくれた。
その工程が進んでいる間、そばで4代目の王升南が火をおこしていた。大きい火で、素早くやらなければならない。さきほど削って半分ほどくり抜いた竹を火に近づける。「竹は火であぶると、しなりやすくなるので、そうして必要な角度に曲げます」と王升南が言う。「時間の加減が大切で、あぶりすぎてはいけません」王升南は両手に竹の変化を感じたところで、あぶった竹を手早く曲げ、もう1本の竹を軸にして2本を合わせる。そこに王壬煇が縄を巻いて、椅子の脚の角度を固定していく。
親子がぴたりと連携し、一人が終ると一人がそれをつなぐ。まるでこの家族における技術の伝承を見るようだった。

竹工芸一筋に
王家の技術は、壬煇の祖父、王伝豹に始まる。日本で技術を学び、帰国後の1907年に開業したのが福泰竹店。優れた腕で、よく日本人がやってきて家具を特注した。2代目の王火曜は竹製の家の建築を主な生業とした。
王壬煇によれば、日本統治時代には竹の関連産業は盛んで、台南市街地には「竹仔街」と呼ばれる通りがあったほどだった。彼の父の世代はこの盛況を経験している。ところが、1976年に16歳の王壬煇が家業を継ぐと、その翌年にはプラスチック製品が市場に出回り、竹家具業界では倒産するところが相次いだ。「盛況時には台南市に竹家具店は50軒近くありましたが、プラスチック製品の登場から5年もたたないうちに半数に減って、ついには組合も解散してしまいました。会員全員を足しても必要な組合幹部数に足りなかったからです」と言う。
「経営転換はしても転業はせず、今まで通り竹細工を続けたい。それで経営方法の変革に取り組みました」と王壬煇は誇らしげに語る。最初の変革は、花屋が扱う花輪スタンドや、商店の店頭を飾る牌楼(門)を作ることだった。当時は経済成長の時代で、冠婚葬祭も華やかなものになっていた。王壬煇は考えがひらめき、設計図を描いた。デザインしたのは台湾風とバロック風を取り入れた花輪スタンド、とても評判がよかった。だが1990年代になると、むしろシンプルなものが好まれるようになった。そこで今度は、生け花などの展示場用の竹製スタンドを手掛け始めた。
2010年以後には3度目の変革、つまり本業の竹家具製造に戻ったのである。しかもその頃には、廟の祭りなどで復古調が流行し始めたので、彼は幼い頃の記憶を頼りに、かつて祭りの巡行に使われていた楽器スタンドや花飾りスタンドなどを再現した。また巡礼に使われる神の椅子もオーダーメイドで作った。
2014年には4代目の王升南の見習い期が終わり、コンピュータ‧エンジニアと竹細工職人を掛け持つ身となった。休暇を利用して店を手伝うほか、この100年の老舗のためにフェイスブックを開設したり、家伝の工芸を現代風にアレンジしたりしている。彼の作ったミニチュア版竹椅子は日本や香港からの観光客に人気だ。
この店は継承されて百年、では竹椅子の寿命はどのくらいなのだろう。王壬煇は隅にある腰掛けを指差し、「あれはもう30年使っています。座ると少し歪みますが修理はしません。長く使った時の様子を客に見てもらうためです」この彼の言葉が、職人の自信と竹家具の優秀さを物語る。

王壬煇はこの家業を守り、やり方は変えつつも業種を変えることなく46年間続けてきた。
格子設計

王壬煇のこだわりと、王升南の継承によって、私たちは今日も竹製家具の美に触れることができる。
竹の多様なイマジネーション
初めて竹に接した時、林靖格はすでに業界でベテランのデザイナーだった。大学の社会人コースにも通っていた彼は、台湾工芸研究発展センターによる若い工芸デザイナーのためのプロジェクトを通して竹という天然素材に接した。その経験は「嬉しい驚きだった」と彼は言う。「竹というのは草のようで木のような素材です。草のように編んで籠にできるし、木のように家具にも建築材料にもなります。千変万化の姿を持ち、こんなにも素材として使い道がある。そこがおもしろいと思います」と語る。
2015年、林靖格は自らのブランド「格子設計Gridesign Studio」を立ち上げ、素材としての竹と取り組んできた。「竹という素材は多くの可能性を秘めていますが、それをいかに現代の生活に取り入れるかがデザイナーにとっての課題です」工業デザイナーだった林靖格は、商品の設計では構造や工程、量産化などの問題を考慮しなければならないが、デザイナーはたいていパソコンに向かって3D図面を描くだけで、製品をきちんと把握していないという。だが竹は、彼にとって遊びや実験の材料となった。工芸家や仲間と一緒に自分の手を動かして創作していると、ふと新たな考えが生まれてくる。「これが私のやりたかったことです。実験的なところがいい」
「最初は竹で遊ぶことに長い時間をかけました。それによって様々な発見や考えが生まれました」自然の中でその素材がどう生長したかで、後の加工処理や運用方法が違って来るという。彼の作品「節盤」は、竹の両端を竹ひご状に割り、それを籠の中に編み込んだ構造で、味わいある空間になっている。
林靖格の名を知らしめたのが作品「領結椅」だ。「領結(蝶ネクタイ)の形を借りて、竹の材質で、西洋紳士と東方君子の対話を表現しました」という。シンプルな形だが、竹をどうやって組み合わせたのだろうか。彼は伝統的な竹椅子の形状や作り方を打ち破った。工芸家と協力し、竹の積層材を火であぶって曲げ、蝶ネクタイの形にした13のピースを作り、重ね合わせたのである。それは竹の強度と弾力性に対する挑戦であり、その証明だった。「竹の繊維は本来まっすぐですから。私の創作の出発点は、竹本来の特性と工芸技術を結び付けることです。そうやって自然に生まれた作品です」

日用の竹の椅子から、神輿の行列で背負う神様用の椅子まで、天然の竹材は現代でも人々を魅了する。
竹の文化的意義を
林靖格は創作において、竹を単なる素材としてだけでなく、竹の記憶や竹の文化的意義も作品に取り入れることを忘れない。
台北大安区の永康公園のそばに「聚落山海茶館」というベジタリアン‧レストランがある。同店にある作品「山海匯」は竹トンボをモチーフにしており、林靖格の童心の表れでもある。竹トンボは本来、竹ひごと羽をT字型に組み合わせたものでシンプルこの上ない形だが、彼はイマジネーションと工業デザインの手法を生かし、計1378本の竹トンボを天井から吊るした。コンピュータで算出した高度に羽の位置をそれぞれずらしてあるので、全体がまるで山の稜線か海の波濤のように見える。店主の故郷である台東の山海を表したという。2メートル近い作品は、様々な角度から見るとまた別の驚きがある。
「竹は伝統的なものだと思われ、加工も伝統的な手法に限られてしまいがちです。でも実は竹の加工方法はとても多様なので、私は工業デザインの概念を伝統に取り入れ、この産業が新たな方法を生み出す助けになればと思っています」
竹で台湾を語った作品がもう一つある。「煙花(花火)」という作品で、「爆竹の音は旧年を追い払う」という古くからの言葉にヒントを得た。「昔の爆竹は本物の竹を使っていました。竹筒は中が空洞なので焼くと音を出してはぜます。その音で魔物を追い払うとされました」そこで、竹の端を繊維に沿って数本に分け、それを火であぶって放射線状に傘のように広げ、花火や爆竹が炸裂したような形にした。そしてそれらを積み重ねることで、花火大会さながらの作品となった。
林靖格の作品は、どれも複雑で装飾性があり、細かく見れば見るほどまた別の趣を感じる。彼自身も「私は工芸の手法でインスタレーション‧アートを作っています」と言う。昨年、大安森林公園で展示された「垂首的謝籃(首を垂れる謝礼籠)」は、竹で編んだ少しずつ形の異なる花180本が並べられた。まさに竹細工の基礎技術の上に創意を加えた作品だった。
近年、彼の作品はプロダクト‧デザインからインスタレーションやランド‧アートの域へと拡大しつつある。「大型の芸術作品は、より多くの人々にふれてもらえます。努力して、竹の良さをもっと多くの人に紹介したいと考えています」と林靖格は期待を込めて語った。

信二竹店提供

1378本の竹トンボをつなぎ合わせた「山海匯」。竹トンボの羽の部分が角度の違いによって波のように連なり、高低の起伏は山の稜線や海の波濤のように見える。

竹の多様な可能性を追求したいと考える林靖格。

13ピースの領結(蝶ネクタイ)の形を組み合わせた「領結椅」。シンプルなラインが工芸美を際立たせる。

ユニクロ台北旗艦店のオープニングに招待展示された作品「爆竹」。竹細工が現代アートになりうることを示した。(林靖格提供)

作品「風の季節」は、湾曲した竹板で、北東から吹く季節風が大地に残す痕跡や気流の形を表現している。(林靖格提供)

作品「煙花(花火)」。竹の文化的意義を考え、無数の竹材を放射状に花火のようにつなぎ合わせた。盛大に打ち上げられた花火の音が聞こえてくるかのようだ。(林靖格提供)