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芸術文化

ランタンの芸術性と込められた意味

ランタンの芸術性と込められた意味

暮らしに不可欠な儀礼や習慣

文・鄧慧純  写真・林格立 翻訳・愛場ふみ

11月 2024

旧暦七月中旬、取材班は彰化市民族路にある「春秋美術社」を訪ねた。建物の1階アーケード部分には、さまざまなデザインの竹で編まれた手作りランタン(提灯)がずらりと掛けられ、道教の故事に登場する温元帥・康元帥・馬元帥・趙元帥の四大元帥、そして風神・雨神・雷神・電神の四大神聖が描かれている。それぞれが生き生きとし、雲に乗ったり騎乗したりする姿が繊細かつ複雑な構図で描かれ、まさに熟練の技だ。

春秋美術社の創業者である唐秋水さん曰く「今回来られたのは本当に運がいい。これは台中市大甲の媽祖の注文です。今年は辰年だから年末に大きな祭りがあって、36年に一度の大イベントですよ。36個のランタンの絵柄はどれも特別、普段はお目にかかれませんよ」とのことだ。

ランタンの伝統的な用途は照明だった。昔はろうそくの光で明かりを取り、覆いを付けて風で火が消えないように守っていた。やがてランタンは創作のカンバスとなり、芸術性が大幅に向上した。近代に入ると電灯が発明され、便利で安価なプラスチック製品が伝統的な竹編みのランタンに取って代わったが、精巧に作られた手作りの竹編みランタンは今でも廟に高々と掲げられ、その工芸技術のかつての輝きを示している。

竹編みランタン作りは1本の竹から始まる。

伝統の工芸技術

取材班は台湾中部の彰化市にやってきた。昔、台湾の三大都市を「一府(台南)二鹿(鹿港)三艋舺(万華)」と言ったように、彰化県の鹿港鎮にはいまも多くの昔ながらの商売が残っているが、手作りの竹編みランタン業を維持するのは生易しいことではない。「台湾は信仰の自由がある国ですから」と秋水さんが言うように、毎年、民間の宗教的な儀式や巡行といった行事の際、ランタンは今も道しるべとしての需要があり、伝統芸能や儀式の中で大きな象徴的な意味を持っている。

現在も主な顧客は廟だ。「旧正月が終わった後が繁忙期。1年が始まり、各地の廟が巡行や巡礼に繰り出すので、必ずランタンが要る」という。毎年、媽祖の巡行の時期になると残業して、参拝者が身につける温かみのあるお守り「隋香灯」に絵付け・文字入れをしている。

昔は、ランタンの竹編みと絵付け・文字入れの作業担当が分かれていた。幼い頃から芸術の才能に恵まれていた秋水さんは、父親とともに春秋美術社を設立。父親がランタン編みを担当し、自身は色彩豊かな筆致でランタンに絵を描いていた。三代目の唐嘉興さんも幼少の頃からその薫陶を受け、書画を得意とする。十数年前に教職を辞し、家業を継ぐために故郷に戻った嘉興さんは、ランタン編みの職人が消えつつある現実に直面した。「昔は竹が重要な材料で、ランタン編みのおばあちゃんたちが納品に追われていましたが、プラスチックが出現して竹に取って代わられてしまってね。今は自分たちで技術を身に付けておかないと、在庫がなくなってしまうんです」と話す。

竹編み技術を習得した嘉興さんは、幼い頃、祖父がランタンを編んでいた姿を今も覚えているという。父の秋水さんは竹編みについて多少の心得はあったものの、十分ではなかったため、技術を習得するまでは嘉興さん自ら手探りするだけでなく、職人を訪ねアドバイスを求めたという。

唐嘉興さんは昔ながらの工芸技術を後世に伝えていくため、ランタンの編み方を学んだ。

ランタンができるまで

「竹編みランタン制作は1本の竹から始まります」と、自宅のアーケード部分で、嘉興さんが竹の割り方を説明し、実演してくれた。材料は3年ものの桂竹という竹だ。ナタを使い円筒形の竹を2つに割り、2つを4つに、4つを8つにといった具合にランタンの大きさに合わせた幅に割っていく。竹の身の部分は削り取られ、青い皮の部分のみを使う。「つまり竹ひごですね。青い皮の方がより弾力性があり、強度があるんです」

竹編みランタンの固定には、釘や接着剤は一切必要ない。嘉興さんは、半分まで編んだサンプルを手に取り、「編んでいくと、竹ひごが縦横に交差し重なり合って噛み合うことで固定される、そんなイメージです」と言う。

ランタンの骨組みができあがると、次は「布貼り」だ。ガーゼを骨組みの外側に貼り付け、薄く糊を塗る。「布の繊維の目を埋めないと、色を塗ったり文字を書いたりすることができないからです」と嘉興さん。これも旧暦1月15日の元宵節に開催されるランタンフェスティバルで使われる「花燈」との相違点だ。「花燈には様々な形がありますが、私たちのランタンには特に形といったものはなく、絵が中心なんです。だからポイントになるのも絵柄ですね」と秋水さんが強調した。

布貼りではガーゼを骨組みの外側に貼り付けてさらに薄く糊を塗ると、布の繊維の目が埋まり、色を塗ったり文字を書いたりできる。

究極の手描きアート

「ランタンの模様は買い手が決めること、私たちはお客様のご都合に合わせるまでですよ」と秋水さんは言う。買い手が絵について説明できさえすれば、描ける自信があるそうだ。

秋水さんと嘉興さん親子の竹編みランタンは台湾全土にある。台北の艋舺龍山寺には高さ200cmのランタンが6個、淡水の龍山寺には観音菩薩図と四天王図が飾られる。現在、彰化市福山里の玉皇宮に吊るされているランタンが最大で、世界を見通す三眼王天君と鉄鞭使いの趙元帥が描かれており、全国的にも最大の竹編みランタンだ。親子には願いがある。ランタンでギネス世界記録を破るというものだ。しかも単に記録を破るのではなく、日本の浅草にある雷門の大提灯のように、台湾の重要なランドマークとなり、重要な観光名所に展示され、手作りの竹編みランタンの職人技を多くの人に見てもらいたいと望む。

秋水さんに、これまでに描いたランタンで特に印象的なものについて尋ねた。秋水さんは天井に吊るされた「哪吒(なた)、東海で大暴れ」というテーマの2個のランタンを指差した。道教の護法神・哪吒が混天綾(哪吒の武具の一つ)を手に持ち、水面を打って波を起こすと、海老兵や蟹将軍が動揺し、竜宮の三太子も出動してしまうというものだ。幼い哪吒が東海で大暴れする様子が生き生きと描かれており「これは物語画で、筋書きがあるんです」という。このテーマで描かれたランタンは、第25回「世界中華文化芸術薪伝賞」の民俗工芸賞を受賞した。

手作りの竹編みランタンの重点は文字や絵だ。10年以上にわたり培った技を揮う唐嘉興さん。

ランタンにこめられた意味

国立台中教育大学台湾語文学科准教授の林茂賢さんは台湾の民俗儀礼を専門としている。曰く、「ランタンの本来の機能は純粋な照明用でしたが、後に幸福祈願という文化的な側面が加わりました」とのことだ。例えば、巡行や巡礼の行列の先頭には必ず提灯を持った「頭灯」がいる。頭灯はもともと照明のためだったが、後に「引率」の象徴となり、人々が頭灯に付き従うようになった。

夏の中元節の間、廟では霊を供養する「普渡」が行われ、ランタンが掲げられる。「ランタンは竹の上に吊るされ『灯篙』と呼ばれ、さまよう孤独な霊を呼び寄せるために使われます」と説明する林さん、メールを持たずLINEグループにも入っていない霊たち、と生き生きとした比喩を使いながら、その呼び寄せ方について「道端にいる孤独な霊には灯篙を使い、水中にいる孤独な霊には灯篭流しをして、岸に上がり供養を受けるように知らせるんです」と教えてくれた。ランタンは、人とあの世の橋渡しをするものなのだ。

伝統的な村落では、通りにランタンが一列に吊るされているのをよく見かけるが、「あれは祭祀圏(同じ主神を崇拝する人たちが居住する地域)の概念を示していて、祭がおこなわれる地域であるという意味」と林さんは説明する。

「灯」は伝統的には生命と密接な関係があるとして、林さんは『三国演義』の中で、諸葛孔明が七つの灯明で寿命を維持したというエピソードに触れ、「灯がともれば人は生き、灯が消えれば人は死ぬ」という意味だと語る。寺や廟には「斗灯」という木箱があり、中にはさまざまな象徴的な意味を持つ物が収められている。四角い箱は方形の地を表し、涼傘という傘は円い天だ。七星剣は北方を表し、定規は長さを測る用途があるほか、長い体をした龍の中でも東の青龍を意味する。はかりの竿にある一つひとつの目盛は虎の尾に見立てられ、西の白虎を意味する。ハサミは鳥のくちばしのように開くことから、南の朱雀を表す。ハサミと分銅は金属製、斗灯の台座は木製で、中には火を表すロウソクが収められ、台地から育つ米も入っている。「斗灯は通常、一つの集団が一つ供えるもので、その集団の生命の源を象徴します」

「たくさんのランタンをずらっと並べる排灯というお祭りもありますが、同じようにそのコミュニティの明るい未来を表しているんですよ」と林さん。「彰化県花壇郷には100年以上続く迎排灯という行事があり、これは(雲林県)北港でも行われています。媽祖の巡行の際は、各行列の前方に必ずランタンが並びますが、その集団の繁栄を表しています」とのことだ。

台北にある艋舺龍山寺には、唐さん父子が描いたランタンが高く掲げられている。

幸福と世継ぎを願う言葉遊び

ランタンは中華圏の生活儀礼に欠かせないものであり、特に幸運を祈るために語呂合わせが好んで用いられる。林さんは、昔の農耕社会では労働力が必要だったために多くの子孫が望まれたことに触れ、ランタンを示す「灯籠」の「灯」の台湾語発音と「丁(男子)」が同じ音であることから「男児が生まれる」という意味合いになったと説明する。12の婚約儀礼のひとつ「灯芯」には、早く子宝に恵まれることを願う意味が込められている。結婚後、女性がなかなか妊娠しない場合、元宵節の日に女性の実家が女性の部屋に灯籠を送るのも「男児を授ける」という意味なのだ。

弔事の際に家の入り口に家名入りのランタンを吊るすのはその家の繁栄を願う習慣だそうだ。唐秋水さんは鹿港の昔の風習を教えてくれた。葬列の先頭では白い提灯を掲げ、埋葬後に燃やしてしまう。帰り道は赤い提灯を掲げるというものだ。

彰化では4月の清明節の墓参りで「陪墓灯」というものを使う。中のロウソクに火を灯し、結婚や子供の誕生などの重要な出来事を先祖に報告する。一族の富と繁栄に対する台湾人の期待だ。

近隣諸国に目を向けてみると、日本には青森の「ねぶた祭」や秋田の「竿燈まつり」、東南アジアには灯篭流しなどがある。「灯籠や火は、それぞれの民族の文化において光を表し、火そのものには、あらゆる悪いものを浄化し焼却するという意味があるのです」と林さんは締めくくった。ランタンからは、その文化の「芸術」と「思い入れ」を垣間見ることができるというわけだ。

手作りの竹編みランタンは今も廟に高々と吊るされており、かつての輝きを伝えている。

ランタンは宗教的な儀式や巡行などの行事でよく見られ、象徴的な意味合いが強い。

小さくてかわいらしい「隋香灯」は、参拝者が身につける最も温かみのあるお守りだ。

水中にさまよう孤独な霊に、供養を受けるため岸に上がってほしいと知らせる意味合いで行われる灯篭流し。

「灯 」と 「丁(男子)」は同じ音で、「男児が生まれる」という意味となり、家族繁栄の願いが込められている。写真は馬祖北竿島の芹壁村で灯籠が掛けられている様子。

唐秋水さんが「哪吒(なた)、東海で大暴れ」をテーマに描いたランタンは、第25回「世界中華文化芸術薪伝賞」の民俗工芸賞を受賞した。

ランタンの覆いは創作のカンバスとなる。手作りの竹編みランタンは今や芸術作品と言えるほどの工芸品だ。

竹編みランタンは、釘や接着剤に頼ることなく成形される。

台中市大甲で年末に行われる媽祖の祭りのために特別に制作された珍しい絵柄のランタンを披露する唐秋水さん・嘉興さん親子。

彰化市福山里の玉皇宮に吊るされている高さ300cmのこのランタンは、唐秋水さん・嘉興さん親子が制作したもので、現在国内最大の竹編みランタンだ。

ランタンには四角いものや卵型のものがあり、寺や廟の風景には欠かせない。