台青蕉(Youth Banana)というのは、香蕉(バナナ)を愛する台湾の青年という意味で、若者らしい創意に満ちたユーモラスなバンド名だ。団長でキーボード兼ボーカルの王継維(老王)、ベースの王継強、ドラムの黄堂軒、ギターの郭合沅の4人のメンバーは高雄の旗山で育った。彼らは青春をかけて故郷のために音楽を創る。
休日の高雄旗山は行楽客でにぎわうが、2月29日はさらに人出が多かった。「揺旗吶減Cishanロックフェスティバル」が開催されていたのだ。このフェスティバルは今年で10年目、当初は箱の上に立って歌うカラオケコンクールだったのが、今では旗山体育場に11組のバンドが集まるフェスティバルへと発展した。主催者である台青蕉楽団は、ロックフェスだけでなく、ロック写生大会、旗山老舗展、フリーマーケットなども開く。小さな旗山の町に若者が残ったことによる町の変化を見せようとしていた。
台青蕉の情熱とリズムが「揺旗吶喊Cishanロックフェスティバル」を盛り上げる。
彼の物語
「親たちは、僕が彼らのようになってほしくないという/田畑を行き来し/将来のないバナナシャツを着て/バナナ園の世話をすることを/彼らは家を守ってきたのに/僕がここに残ることを許さない/そしてこう言うんだ/都会の月の方が丸いんだよと」
これは台青蕉のアルバム『香蕉他不肥』の中の「他的故事(彼の物語)」だ。1990年代に旗山で生まれた若者が、都会に出るか故郷に残るかで揺れる心を描いている。1960年代、バナナは日本に輸出され、旗山は黄金時代を迎えた。人々が自信と誇りをもって暮らしていたことは、古い町並みのバロック風アーチからも見て取れる。ところが1970年代に入るとバナナ産業は衰退し、人口が流出していく。バナナ農家に前途はなく、親たちは子供が都会へ出て働くことを望むようになった。
台青蕉で最年長の老王は1983年生まれ。子供の頃、旗山では音楽をやる人が多かったという。おそらくYAMAHA功学社の創設者が旗山の出身だからだと言われる。町では毎月音楽イベントがあり、小虎隊や迪克牛仔などのアイドルや人気バンドも旗山でコンサートを開いた。
郭合沅は子供の頃、友達と裏山で遊んだという。放課後になるとリーダーについていき、田舎道を探検して歩いた。
かつて旗山がバナナ輸出で栄えたことを彼らはよく知らない。「うちもバナナ農家ですが、親や祖父母からそういう話を聞いたことはなく、大人になってから知りました。農家の人はそういうことを誇りに思うより、自分が教育を受けていないと感じているのです」と黄堂軒は言う。
老王と王継強兄弟の父、王中義は、旗山の「尊懐文教基金会」創設者で、長年にわたって旗山の教育と町づくりに尽力してきた。王継強と郭合沅、黄堂軒は幼い頃からの遊び仲間で、基金会のボランティアでもある。彼らは一緒に遊び、街を探検し、また一緒に地域の清掃もした。旗山駅保存運動に参加し、かつて草に覆われて荒れ果てていた旗山駅がきれいによみがえるのを目の当たりにした。「私にとって旗山駅保存運動の影響は大きかったです。この時から、本当に旗山のことを理解するようになりました」と王継強は言う。
「揺旗吶喊Cishanロックフェスティバル」で、台青蕉の老王とバナナ農家の95歳のおじいさんが一緒に歌った。
世界に向けて声を上げる
老王は幼い頃から、父とその基金会が旗山のために奔走するのについて回り、教育やコミュニティ、環境教育などの面から着手しても不充分なことに気づいていた。「産業がなければ、住民が向上しても環境が整備されても、人々はここに留まりません」と言う。
「バナナは旗山住民の最大公約数で、だからバナナから着手したのです」と老王は言う。彼らは行政院青年輔導委員会(現在の教育部青年発展署)に10万元の補助金を申請し、フィールドワークから始めて、食品加工、商品開発、マーケティングなどを通してバナナのイメージを変え、付加価値を高めることにした。このプロジェクトの完了時には成果展を開くことになっており、どのように多くの人とコミュニケーションをとるべきか考えた。そしてバンドの経験があることから仲間を集め、2008年に「台青蕉」バンドを結成したのである。
2009年にシングル『香蕉他不肥(バナナは太らない)』を発表した。彼らは編み笠をかぶってバナナ園で演奏し、また旗山の古い町並みでは皆で踊ってプロモーションビデオを撮影した。「バナナは太らない。食べてダイエット」とバナナのメリットを打ち出し、またバナナの値段が落ちて農家が苦しんでいることを訴えた。音楽を通してバナナをプロモーションするというのが、小さな町で大きな話題になり、若者の創意が注目されたのである。
こうして地方で上げた声には反響があり、マスコミは彼らを映画『海角七号 君想う国境の南』のリアルバージョンと呼んだ。「その時は、正直うれしかったです。生まれてきてこんなに重視されたのは初めてだったし、彼女にもこんなに大切にされたことなかったですから」と老王は笑う。「当時はまだ若くて時間もあり、ただ世界をもっと知りたかっただけなんですが、その結果世界から反響が得られ、もっと何かしたくなりました」と言う。
「作伙那卡西」のミュージックビデオは旗山の住民を集めて撮影した。楽しい雰囲気で、地元住民の結束力も強まった。(台青蕉楽団提供)
自ら物語の主人公に
マスコミの報道によって彼らの知名度は高まったが、故郷の産業はあいかわらず改善せず、若者が町に残って働く機会も増えなかった。「人が出ていくなら、自分は何とかして残ろう」と考え、台青蕉楽団はもう一つの新たな実験を開始した。——自らバナナ農家になるのである。王継強は「祖父に教えてもらってバナナを植え始め、もう2~3年になります」と王継強は言う。最初の頃は、農家のためにバナナを売る手助けをしていたが、これは「手助け」に過ぎない。自分がバナナ農家になればそれは自分自身の問題となり、何とか道を探らなければならない。
腕まくりして自ら畑へ出ていく。「私たちが物語の主人公になったのです」と王継強は言う。自分の生活をかけた実験を通してさまざまな可能性を探っていく。この十年、台青蕉楽団は次々と活動の前線を広げてきた。音楽創作、アルバム発行といった音楽活動をするだけではない。自分たちでバナナケーキやバナナ酵素など、バナナを使ったさまざまな商品を研究開発している。また希望バナナ園を開いてバナナ栽培に取り組み、地元の農家からバナナについての知識を学び、バナナ農家でのワーキング体験活動や契約栽培なども行なう。さらにコミュニティの小旅行を行なって町の物語やおいしいもの、昔からの産業などを発掘する。今年はさらに4年にわたるフィールドワークの成果を一冊にまとめて『小鎮専門店』を出版し、職業欄に「作家」という項目まで加わった。この本では、旗山の27人の職人の風景を紹介している。この町の住民たちの人生の節目を見守ってきた写真館、バナナ農家のために特製の農具を作る鍛冶屋など、少しずつ失われてゆく昔からの生活が記録されている。これは旗山を訪れる観光客にとっても、古い町並みのガイドブックになり、昔からの産業を知ることができる。
「私たちはずっと自分たちで実験を続け、失敗したら別の道を探してきました。いずれにしても、前進し続けること、これが人生です」と老王は言う。戦場は遠くでなくてもいいし、社会を変えるためにデモ行進をしなくてもいい。「私たちの世代にとって、社会運動は暮らしの一部であって、その方法も違います。バナナの新しい食べ方を伝えるのも運動の一つであって、何かと戦う必要はありません」
台青蕉が出したアルバム:『社区大小事』(台青蕉楽団提供)
青春の種をまく
地域の問題解決は自分のためでもある。十数年にわたって町づくりの仕事をしてきたが、老王は結婚し、今では二人の子供の父親だ。人生の新たな段階に入り、将来的には児童に関わる問題に取り組むかもしれないという。「私の仕事は、実は自分の問題を解決するものでもあります。自分の呼吸は自分のニーズであって、このニーズは社会の問題解決にもなるのです」
「これからこの土地に責任を負う若者よ/これから進歩の機会を実現し/どこかに理想の人生の種をまく/僕も君に寄り添って心の支えになろう/時代が変わっても恐れることはない/手を取り合って支え合い/大地を踏みしめて勇気を出し/決意をもって青春の種をまこう」——「種下青春(青春の種をまく)」より
2019年、台青蕉楽団は結成10周年を迎え、アルバム『種下青春』を出して、故郷への思いを表現した。
郭合沅はこれまでの台青蕉の3枚のアルバムの特色を次のように語る。最初の『香蕉他不肥』は、若者が音楽を通して農家のためにバナナをプロモーションするものだった。2枚目の『社区大小事(町のあれこれ)』では、政治の現実や社会の状況といった公共の課題に関心を寄せ、激しい曲が多い。10年目の『種下青春』は穏やかで優しく、カントリーを感じさせる。
故郷に残った彼らの実験はまだ続く。彼らが故郷に青春の種をまくのは、どこかにユートピアを探すのではなく、自分の暮らす地域を良くしていくべきだと考えるからだ。
早朝に約束して写真撮影を行ない、移動して7時間バンドの練習をし、さらにインタビューを続けても彼らは少しも疲れを見せない。90年代生まれの普通の若者と違い、台青蕉のメンバーは楽観的だ。「台青蕉は一人ひとりの存在を大切にしています。どうしてこんなに楽観的なのかと言うと、人は必ず成長し、良くなると信じているからです」と黄堂軒は言う。
明日の不安はないのだろうか。もはや専業のバナナ農家でもある郭合沅は「明日ですか。明日も早起きして畑に出ますよ」と言う。「明日の心配ですか。明日の仕事(揺旗吶減フェスティバルの準備)が終わらないんじゃないかという心配だけです」と王継強は言う。
まさにプラス思考のかたまりである。台青蕉はロックのスピリットとバナナ信仰をもって、故郷をより良い場所にしようとしている。
台青蕉が出したアルバム:『香蕉他不肥』(台青蕉楽団提供)
台青蕉が出したアルバム:『種下青春』(台青蕉楽団提供)
台青蕉はフィールドワークの成果を一冊にまとめ、旗山の職人27人を紹介する『小鎮専門店』を発行した。
『小鎮専門店』でも紹介している乾元漢薬店。こうした老舗を記録し、失われつつある昔からの生活を残したいと考えている。(尊懐文教基金会提供)
旗山の地図には、この町の文化・歴史スポットや老舗などが描き込まれ、台青蕉はミニツアーを催して一味違う旗山を紹介している。(台青蕉楽団提供、イラスト/蔡政諭)
「揺旗吶喊Cishanロックフェスティバル」に合わせて旗山の老舗展も開催した。写真はお年寄りを案内する王継強。
1915年に竣工した旗山駅は、住民たちの運動によって保存されることとなり、修復されて旗山のランドマークとなった。