郭雪湖、図書館で技巧を学ぶ
郭雪湖(1908-2012)は台北の大稲埕に生まれ、2歳の時に父を亡くし、母親に育てられた。小学生の時に絵の才能を見出され、神像を描いていた。
台展では水墨画「松壑飛泉」が入選した。その時に、日本人審査員の描いた繊細で色鮮やかな膠彩画を目にして衝撃を受け、これを学び始めた。翌年には「圓山付近」が特選を受賞、画壇での地位を確固たるものにした。
郭雪湖は正統の美術教育を受けたことがないものの、台湾の美意識をもって台展、府展(台湾総督府美術展覧会)などで大いに注目された。
台南市美術館の館長・林育淳は、「圓山付近」は緻密に考え抜いた作品であり、「20歳の若者が人をひきつける特質もここにある」と言う。風景のリズム感や構図、豊かな色彩などは「雪湖派」として手本とされるようになった。
郭雪湖のもう一つの代表作「南街殷賑」は、台北の繁華街・大稲埕の中元節のにぎわいを描いたものだ。本来は2階建ての建物が作品の中では3階建てになり、街並みや幟の文字は台湾式と日本式がある。伝統と現代の対比がおもしろく、タイムトンネルの奥へと誘われていくかのようだ。
「父は一生苦労しましたが、肝は据わっていました」と郭雪湖の次男の郭松年は言う。絵ばかり描いているというので「一家で飢え死にしたいのか?」と周囲から言われることもあったが、郭雪湖はそれでも次々と新たな画風に挑戦し、芸術の道は「危険な一手で、人生の大博打だ」と語っていたという。
郭雪湖の晩年の作品「石榴斑鳩」は水墨画と日本画の両方の技法を取り入れた作品だ。