
まるでどこかの星からやってきた宇宙船のような姿でありながら、設計のコンセプトは地元高雄に根を張り蔓を絡ませるガジュマルの林にインスピレーションを得ている。「衛武営国家芸術文化センター」は、アヴァンギャルドな外観とともに、運営チームの志もロックである。文化の砂漠とさえ言われる台湾南部に、舞台芸術の花の種を蒔き、台湾南端から世界に発信しようとしているのである。
計画、建設から開幕まで、15年の月日を経て2018年10月15日、衛武営国家芸術文化センターがオープンした。オープニングコンサートで、衛武営アートディレクター簡文彬の指揮の手が位置につくと、瞬時の静けさが準備期間の喧騒をリセットし、最初の音符が始まりを告げた。

夜間の衛武営はまるでSF映画のシーンのようだ。未来感にあふれ、昼間の印象とはまったく異なる。(林格立撮影)
世界に向けて発信
「私たちにとっては、歴史的な一日そのものです。それまでの準備、全員の協力、そのすべてが世界に向けた発信でした」
1967年に生まれた簡文彬は、22歳で海外に出て学び、30歳の時にライン・ドイツ・オペラハウスの常任指揮者になり、44歳で終身指揮者の称号を与えられた。世界のクラシック界でも数少ない、ヨーロッパの一流奏者を指揮する台湾人である。47歳の時に終身指揮者を辞任し、文化の砂漠といわれる高雄に腰を落ち着け、衛武営国際芸術文化センターのエグゼクティブ&アートディレクターになった。「戻ると決めたのは、台湾から世界に発信しようとする動力です。二十数年、海外で台湾の境遇を見ていて、帰って台湾のために何かしたいと感じたのです」
衛武営オープンのニュースがヨーロッパで広がり、海外メディアの報道は70本を超えた。英ガーディアン紙は「叙事詩クラスの大作」と題し、衛武営が地上最強のアートパフォーマンスシアターであると称賛している。
オープニングだけではない。衛武営の国際共同制作『驚園(Paradise Interrpted)』と『トゥーランドット』は、2015年に世界初公演が行われている。『驚園』は、明代の劇作家・湯顕祖による広く知られる崑曲の名作『牡丹亭』にインスパイアされ、衛武営と米リンカーンセンター、スポレートフェスティバルUSA、シンガポール国際アートフェスティバルが共同制作した一幕オペラである。簡文彬はその中で指揮を務めている。台湾とドイツの共同制作『トゥーランドット』は、簡文彬が言うところの「不注意で成功した事例」である。このオペラの制作チームは、演出の黎煥雄、衣装デザインの頼宣吾、舞台デザインの梁若珊から映像デザインの王俊傑まで、全員が正真正銘の台湾出身である。

いたるところで目に入る流線形の造形こそ衛武営の見せ場である。(林格立撮影)
舞台芸術の土壌作り
大学卒業後、ヨーロッパで30年近く過ごした簡文彬は、海外の方が台湾で過ごした時間より長い。高雄は文化の砂漠だと耳にはしていたが、それは「伝説」であり、自ら経験してはいなかった。だがホールの経営者として「マーケットの現状を受け止めたうえで『何ができるか考える』必要がありました」という。「高雄ならではの舞台芸術のスタイルを生み出せないだろうか」と自らに問う。
マーケット開発に当たり、まずは足を踏み入れてもらうことを考えた。直に感じることが現段階では重要なのである。簡は、高雄の芸術マーケット育成を「創作」と呼ぶ。文化の砂漠であろうとアートの辺境であろうと、高雄は高雄であって台北ではないし、台北である必要もない。南台湾の独自のアートスタイルを育てるべきである。
「アートを愛でるライフスタイルを創り、皆が次々と衛武営を訪れ、衛武営の空間を存分に利用する。それこそが私にとって大切なのです」そこで、準備期間中、仲間とアートスペースの約束事を全て取り上げて検討した。観客の案内、接待、服装、言葉遣いなど、事細かに見直した。芸術は肩ひじ張ったものではなく、台北がこうだから高雄も、というのは嫌だった。高雄の人はスクーターに乗っても「二段階左折」しないように、高雄の観客は特別なあしらいは要らないと簡は笑う。相手が違えばサービスのしかたも自ずと違ってくる。こうした細かい事柄を一つひとつ吟味し、この地に本当に合った方法を決めていった。「業績を上げるためではなく、一つの大きな創作なのです。高雄を中心とした南台湾の舞台芸術の土壌を創作しているのです」

天窓から降り注ぐ陽光は、まるで木漏れ日のようだ。(林格立撮影)
みんなのアートセンター
2015年、簡文彬は「みんなのアートセンター」を衛武営のスローガンに定めた。
これは衛武営を手掛けたオランダの建築家フランシーヌ・ホウベン(Francine Houben)の設計理念とも呼応する。ホウベンが高雄のガジュマルの林にインスピレーションを得て設計した一枚の大きく波打つ屋根は、連なるガジュマルの樹冠を描き出し、垂れ下がる気根が木の洞を作り出し、屋根の下の通路と休息スペースを形作る。くりぬいた天井から差し込む光が木漏れ日のようである。風の通り道ができ、木陰の広場は涼やかである。1階のスロープは衛武営メトロポリタン公園の歩道と連なり、ガジュマル広場に誘われた人々が、半屋外のスペースに憩う。
流線形の曲面の屋根の下、室内には4つのスペースがある。コンサートホール、リサイタルホール、オペラハウス、プレイハウスである。
台湾で唯一ヴィンヤード(ぶどう園)形式を採用したコンサートホールは、客席がステージをぐるりと囲む。ベルリン・フィルハーモニー・ホール、ウォルト・ディズニー・コンサートホール、東京サントリーホール、フィルハーモニー・ド・パリがこの形式である。9085本のパイプが並ぶパイプオルガンはアジア最大である。
リサイタルホールは室内楽やリサイタルのために、反響板、吸音パネルカーテン、斜め格子の壁がぐるりと囲む設計で、最高の音響を目指した。
12月のクラウドゲート・ダンスシアター45周年記念「林懐民傑作選」が初公開となるオペラハウスは、台湾最大の劇場である。「台湾レッド」を基調とした馬蹄型の客席設計で、最大2260人収容可能である。
プレイハウスはデルフトブルーを基調に、額縁舞台と張り出し舞台とを切り替えられる。張り出し舞台は観客と役者の距離が近くなり、喜怒哀楽の表現を間近に感じて臨場感が伝わる。
南台湾も世界レベルのパフォーマンススペースを手に入れた。だが、簡文彬はアートが高尚なものになってしまうことは望まなかった。「『殿堂』ではなく、誰でも足が向く『場所』であってほしいのです」そこで、ガジュマル広場で「衛武営・木の洞」プロジェクトを開催している。皆でヨガをしたりブランコで遊んだり、「木の洞シネマ」ではガジュマル広場で寝そべって、鋼板の壁面に映し出された映画を鑑賞する。しかも、衛武営には正門がなく、すべての人に開かれた空間である。人々は八方からやってきて、様々な接し方で衛武営に親しむ。
毎年開催する「衛武営アートフェスティバル」では国際フォーラムの第一セッションが必ず市民フォーラムである。各界から招いた人が衛武営と自身の関係を考え、話し合い、衛武営の今後がどのように外界とつながるのかを描き出す。
タイムギャラリーを歩いて衛武営の歴史を読むと、清代から日本統治時代まで軍の要地だったことがわかる。戦後は新兵訓練センターになり、1979年に軍が手放し、1992年には曾貴海医師をはじめとする民間の力で衛武営の公園化が推進され、十余年にわたる南方のグリーン革命運動が始まった。2003年に政府が「衛武営芸術文化センター」計画を採択し、メトロポリタン公園に10ヘクタールの用地を保留し、2018年に「衛武営国家芸術文化センター」が落成した。この道のりは、蔡英文総統が開幕式典で述べた通り、台湾の空間の戒厳令解除と文化の権利平等の努力を示している。

欧州から帰国した簡文彬は、衛武営を彼の新たな創作ととらえている。
Let's party
衛武営のオープンシーズンは2か月半に及んだ。プログラムは過去3年余りの衛武営経営推進チームの成果の総まとめとなった。2015年から衛武営は下半期に「子供フェスティバル」「アートフェスティバル」を開催し、高雄市が上半期に開催するスプリングアートフェスティバルとのリレーで、高雄のアート人口が育ってきた。
特筆すべきは、2016年の「衛武営サーカスプラットフォーム」と「台湾ダンスプラットフォーム」である。年に一度のサーカスプラットフォームはサーカスアーティストの交流の場として、また人が中心の「新サーカス」を広く紹介し、人々が間近にアートに触れる機会でもある。台湾ダンスプラットフォームも、ヨーロッパの若い振付家のネットワークAerowavesと提携し、アジア初の正式なパートナー組織となった。衛武営は2018年の半ば、アジア各国のダンスアーティストが呼びかけた「AND +」のオリジナルパートナーにもなった。交流の場を設けることで世界とつながり、台湾の国際化を図る。
音楽のジャンルで衛武営を形容するとしたら、簡文彬は迷わず「もちろんオーケストラ」と言う。様々な楽器が楽章の中に自分の位置を持つ。衛武営の舞台は様々な人のために存在し、誰もが自分の位置を見つけ出すことができる。
「大きい衛武営は皆で支えなければなりません。そうして人々のアートの中心として、皆と一緒に成長していくのです」簡文彬は強く語った。

国際協力で崑曲とビジュアルアートを融合させた一幕オペラ『驚園』。2015年に海外で初演され、衛武営のオープニング・シーズンに上演された。

「台湾ダンスプラットフォーム」という位置づけが、世界と台湾のダンスの対話をもたらす。写真はインドネシアの舞踊家リアントの作品『ミディアム』。

国際レベルの舞台空間を擁する衛武営。写真は「台湾レッド」を基調とするオペラハウス。

衛武営に正門はなく、空間はすべての人に開放されている。ここで自由にブランコに乗り、映画を観ることもできる。

衛武営では「樹洞窺電影」を催し、人々はガジュマル広場にゆったりと寝そべり、曲面の鋼板に上映される映画を鑑賞した。

衛武営は南台湾から世界に向けて声を発する。(林格立撮影)