都市空間の美は誰が決めるのか
グラフィティにルールがなかった時代、DEBEは失敗をやらかした。台湾青少年福利促進聯盟のイベントで、台北市西門町で何人かのグラフィティライターと一緒に作品を描いた後、うれしくて眠れず、再び街へ出てグラフィティを描いていたら、夜中の12時に警察に捕まってしまったのだ。当時、台北ではグラフィティの罰則をまだ「廃棄物清理法」に入れていなかったため、警察は壁面の管理者を探すのに一晩かかった。
グラフィティは常に「都市景観の破壊者」とされ、法律のグレーゾーンにある。だが、グラフィティライターは、都市の美観は誰が決めるのか、美しいか醜いか判断する権利は誰にあるのか、と問いかける。醜い広告看板や選挙の広告も景観の破壊者ではないのか。違いは合法かどうかに過ぎないのではないか、とDEBEは問う。
「割れ窓理論」を主張する人は、都市のグラフィティが多ければ多いほど、都市の没落を意味すると考える。グラフィティには確かにステレオタイプのイメージがある。街の商店が廃業し、店の壁に巨大なグラフィティが出現すれば、それは不況、または治安の悪化を意味すると言われる。しかしDEBEは違う見方をしている。「私の考えでは、街にグラフィティが多ければ多いほど、その都市に生命力が感じられます」。例えば、ロングビーチ市はアーティストを招いて都市の各所に絵を描いており、70作品余りのグラフィティをパブリックアートとして市や企業がサポートしている。これが、より多様でクリエイティブな公共空間を生み出し、市民は写真におさめてSNSにアップする。「台湾はフランスのグラフィティ文化を学ぶだけでなく、自己の特色を出すことができます」と語るDEBEは、台湾のグラフィティの歴史は30年に満たず、まださまざまな可能性を秘めていると考える。
DEBEの名で都市に絵を描く彼は、自分は典型的な引きこもりだと言う。「人との付き合いが苦手で、以前は話もあまりしませんでした」と言う。家に引きこもって堕落しているが、創作する時は屋外に出て、心の内を表現する。かつて「君たちグラフィティライターの描くものは、グラフィティライターにしか分からない」と言われたことがある。この言葉でDEBEは「どうすれば人々に分かってもらえるか」と考え始めた。そこで時間をかけて正規の書体に近い文字をデザインし、創作と創意をもってグラフィティと一般の人々の距離を縮めようとしている。
都市空間のアートであるグラフィティ創作者として、自分たちの世代は上の世代より多くのものを持っているとDEBEは考える。「上の世代は金銭面で豊かでしたが、私たちの時代は考え方が豊かです」と言う。口下手なDEBEは、斬新な色彩を通して言葉では表現できない意思を伝え続けている。
華山1914文創園区の貨車にDEBEが描いた作品。(DEBE提供)
DEBEは、作品はアーティストのライフスタイルを反映すると考えている。