鉦太鼓が鳴り響くと、76歳の李天禄が助けも借りずに、あざやかに舞台に跳び上がり、人形に手を入れて一振りすると、マントをまとった武将の薛仁貴が威風堂々と現れた。
台湾布袋戯の伝奇的人物を記録しようと、「光華」は特集を組み、舞台の上と下の双方から李天禄を追い、伝説の人形遣いを紹介した。
李天禄の「亦宛然掌中戯団」は、昔ながらの絵付けの人形舞台に8寸の小ぶりな人形を使い、楽師が現場で音楽を奏で、文語調の台詞を語っていた。老人形遣いは、福建省泉州から受け継いだ昔ながらの演じ方こそが正統な布袋戯であり、派手な照明やからくりを多用する現代的な「金光戯」を快しとしなかった。
福建省南部から掌中戯が台湾に伝わると、布袋戯と名称が変わったが、李天禄は伝統を堅持し、「口を開けば世の事々を語り、十指で百万の兵を操る」という人形遣いの技を伝えようとしていた。一度など、フランスで公演を見た若者がパリからわざわざ教えを請いにやってきて、感動した李天禄は引退後の日々にあってフランスの若者に技のすべてを教え込んだ。
私塾で2年学んだだけの李天禄は、布袋戯公演のためにヨーロッパをほとんど回った。何が芸術で、何が伝統だか知らないが、「布袋戯はあちこち放浪しなければなりません」と語った。
人生は芝居と言うが、60年余りの人形遣いとしての生涯を送り、その舞台には何といっても心惹かれるものがある。その舞台への執着があるからこそ、台湾という掌の中のような場所の人形劇でも、世界各地へと連れていくことができたのであろう。
李天禄は台湾の津々浦々で布袋戯を上演しただけでなく、ヨーロッパ各地でもその技を披露した。
李天禄は台湾の津々浦々で布袋戯を上演しただけでなく、ヨーロッパ各地でもその技を披露した。
李天禄は台湾の津々浦々で布袋戯を上演しただけでなく、ヨーロッパ各地でもその技を披露した。