_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
台湾の街角は、華やかな色合いで活気に溢れる。この中で「台湾の色」といったらどれだろう。答えはひとそれぞれだろう。
建築の姿や様式を見極めない内に、色彩がまず目に飛び込み、直感的な印象となる。色に囲まれた現代とは対照的に、昔は自然の中に材料を求め、それを用いて家を建てていたから色合いも似通い、素朴で環境に溶け込んだ風情だった。
時代が代わり、便利な流通や取引によって、外から新しい素材が人々の暮らしに入り込むと、多様さが現代の必然になった。伝統を守るのか、新しさを受け入れるのか。人は衝突の中に共存の可能性を探るものである。
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
地域の色を活かした番地札。彩度は低く、現地の風景に溶け込んでいる。(食癒・拾影提供)
馬祖の「島色」採集プロジェクト
2017年に騒ぎになった馬祖‧東引の南澳集落である。地味な古民家に色鮮やかな塗料を施し、視線を奪う色彩が注目の的になった。そこから「どんな色が馬祖らしいのか」という話題が巻き起こった。色彩の美に関わる意見の戦いが、造園、建築、インテリア、色彩学などの専門家を動かした。分野を超えて協力し、村里に入って「北緯26度の島の色」と題した環境美観プロジェクトがスタートしたのだった。
特有の風土と環境が色彩のヒントになった。チームはスウェーデンの「NCS(ナチュラルカラーシステム)」を採用し、一年みっちりかけて現地の自然と文化の色彩を採集し、カラーチャートと照合して簡略化し、象徴的な色彩としてムール貝の「ムールブラック」、マンジュシャゲの「リコリスレッド」、灯台の「ライトハウスホワイト」など、18色を選びだした。
しかしこれは最初の一歩でしかない。美しい色彩デザインには、秩序と理論が支持する配色があってこそ、適材適所の価値が発揮される。「山水に近い環境では、自然環境がポイントです」と、デザイナー‧蔡沛原は「主従関係」を基に建築の間の関係を解明する。単一の建築なら、建物が「主」となり、建築を取り囲む人工の造景が「従」となる。だが、集落全体を見渡した場合には、集落が「従」となり、集落を取り囲む海や山の環境が「主」となる。
基本概念を構築したら、「黄金比率」に従って色を塗っていく。黄金比率とはベースカラー(基調色)70%、アソートカラー(従属色)25%、アクセントカラー(強調色)5%の配色である。プロジェクトの主宰者‧郭雅萍は、集落の主要な住宅には彩度の低いベースカラーを用い、信仰の中心たる廟には、目を引くアクセントカラーで重要性を強調するという。
色彩の感覚は主観的である。「色そのものには正解も間違いもありません。でもそれを置く環境条件や位置、比率が正しければ、美を創り出すことができます」郭雅萍はこうまとめる。
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
「北緯26度の島の顔色」チームは、スウェーデンのナチュラル・カラー・システムを用いて馬祖の色を考察する。
日常の色彩を変えた化学染料
まず計器を使って環境の色彩を集め、さらに膨大なカラーチャートから選ぶ。それは現代人だけの特権である。人類の長い歴史において、色彩の選択は非常に限られてきた。
昔の農業社会において、色彩に最も敏感な画家は、創作以前に顔料を知らねばならなかった。必要な色を自分の手で調製する。顔料の素材は身の回りの土壌、鉱物、植物、生物から来るから、ほぼ全て「地元の色」であった。
中国の水墨画にある「淺絳山水(せんこうさんすい)」のように、元代の画家‧黄公望は地元の虞山の土から赤褐色の顔料を作り、水墨画に載せていった。西洋の水彩画を代表する「ヴァンダイクブラウン」は、バロック期の画家アンソニー‧ヴァン‧ダイクが、ドイツのケルンの土から作った色であり、当時大流行した。
だが19世紀になり、英国の化学者ウィリアム‧パーキンが、キニーネの研究中に化学染料であるモーブ(アニリンパープル)を発見して以来、数々の合成染料が発明されていった。天然顔料と比べ、化学染料は染着力が強く、色褪せしにくく、コストが安いといった特性があり、見る間に天然顔料に取って代わった。
化学染料には利便性があるが、伝統的な色彩にあった人間と自然が対話した文化の意味合いは失われた。「北緯26度の島の色」チームがリサーチの段階で記録した「東引藍緑」は、科学計器の測定で「B50G」とされる青緑である。青と緑が50%ずつを占める。実測による馬祖の海水温、湿度、深さ、および特有の花崗岩鉱物成分等の情報と一致していた。
どんな色も手に入るようになり、人間は環境から遠く離れてしまった。顔料の知識にも断層が生じた。いまここで振り返って初めて、無数の命を育む大自然が、変わらずにその根本の答えを教えてくれることに気づく。
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
「北緯26度の島の顔色」の協力を得て素朴な色を取り戻した南澳の集落。(Toraton Creative Studio提供)
母なる大地に求める郷土らしさ
アーティスト‧洪晧倫は、まさにそのようにした。父は寺院の絵師であり、美術の家系に育った洪は、美術学科を卒業した後、西洋美術のレアリスムを専攻した。2007年、よく描けた作品を自ら眺め、欧米人に劣らない油絵に、疑問がうかんだ。「私はいったい何者だろう」
そこから探し続けていくうちに、黄公望の「浅絳山水」が教えてくれた。答えは遠くではなく、いつも踏みしめるこの地にあったのだった。
いにしえの人を真似て、環境の中から色彩を取り出したいと考えた。「いま『緑色』はすべて化学染料です。それでは、昔、虞山のふもとに住んでいた黄公望が、愛する郷への想いを作品に込めて世に伝えたようとした意味がなくなってしまいます」洪晧倫はそう考えた。だが顔料を作る方法は失われている。そこで、国内外の文献など膨大な資料を探り、中国、ヨーロッパ、インド、日本などの伝統流派をもとに、台湾中をめぐって集めた素材を一つ一つ丁寧に洗い、濾し、乾かし、挽いて、百を超える色粉を創り出した。
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
洪晧倫は昔の人の髪型や農作業、製紙、顔料作りなどを学び、芸術の中で身土不二の哲学を実践している。
アースカラーのアーティスト
大地に踏みしめるヘマタイト(赤鉄鉱)は、人類に美術史上もっとも古い色をくれた。洪晧倫の研究もそうだった。鉱石の土を精錬した「代赭(赤褐色)」が、洪の「アースカラー」の最も大きな色系である。主な産地は桃園台地、八卦山、新竹台地である。だが、台湾の生態の多様性は想像をはるかに超える。花蓮の大理石と金門の陶土の「白」、花蓮渓の中の蛇紋石の「緑」、台東‧知本温泉の湯の花の「黄」。こうした豊かな発見に、洪は大いに驚いた。「米国は土壌を12種類に分類しましたが、その11種類が台湾にありました。『永久凍土』以外すべてです」
ほかにも自然界の植物や生物が、さらに多様な色をくれる。「コブナグサ」「フクギ」の黄金色、「モクラン」の藍‧紺‧濃緑色、「ラックカイガラムシ」の分泌物のえんじ色、炭化した「豚骨」のアイボリーブラック……。洪晧倫について工房近くの畑へと歩いていくと、様々な植物が栽培されていた。洪は誇らしげな顔をしている。「生え抜き」の顔料を使っている証だからである。
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
移民の島に集まる多彩な文化
しかし、洪晧倫が工房の庭で栽培する「チョウマメ」は、タイやマレーシアによくみられ、近年台湾でも流行している。花はアントシアニンが豊富に含まれる最高の天然染料で、東南アジアでは食用とされるが、洪は顔料の原料にしている。こうしたことから、大地の環境から来た自然の色彩も、変わり続けていることがうかがえる。
昔の人は、色を手に入れるためにあらゆる苦労を重ね、代価を惜しまなかった。科学技術が発達し、交通も情報交換も便利な今日、どんな珍しい色も不思議ではない。色彩の百花繚乱は、グローバル化の結果であり、それぞれの文化が互いに刺激しあい、交流していることを表している。
何でも選べるなかからどんな色彩を好むかは、世代による審美眼のギャップだけでなく、文化の脈絡と生命の経験への共感に、より多く依存する。四百世帯未満の馬祖‧南澳集落で特定の色彩の使用を推進するに当り、「北緯26度の島の色」チームは、時間と手間をかけて住民と話し合いを重ねたのだった。
各地からの新旧の移住者が集まり、高度に発達した経済都市は、法規制が無ければ、それこそ百花繚乱の景観になるだろう。台北を歩いてみれば、清代の「和璽彩画」で官の色彩をもつ故宮博物院や国立シアター‧ミュージックホールがあり、日本統治時代に日本人が建設した赤‧白‧灰の三色からなる総統府、戦後に建てられモダニズムの影響を深く受けた白いオフィスビル、さらに住商混合の集合住宅、様々な色使いの外壁レンガ、看板、雨除けの庇、トタン屋根などがある。
一層多様な現代の材質、産業も背景も異なる人々が一つの地に共存する色とりどりの眺めが、台湾人の日常である。「良く言えば、民主主義です」と文化遺産を研究する凌宗魁が言う。
日本文化の「和の色」のように、歴史ある国には、色彩において極めて明らかな好みと表現がある。だが広く移民を受け入れてきた台湾には、代表的な色彩といえるものがない。この現象が映し出すものこそ、台湾文化のユニークさである。小さな島に、わずか数百年の間に異なるエスニックが融合し、それぞれ異なる出自や背景をもちながら、一つの地に暮らす。すべてを圧倒する権威ではなく、それよりは流動する中にあって、調和と融合の力が強まっていった。だからこそ「台湾の色はどんな色?」と振り返って問うとき、この色鮮やかな国で、すべての色彩はどれも欠かせない存在なのである。
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
タイワンコマツナギの葉を洗い、濾し、乾かし、挽くことでインディゴ染料を取ることができる。
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
「台湾土地紀行シリーズ」(洪晧倫/台湾大地原色工作室提供)
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
「ギンコウボク01」(洪晧倫/台湾大地原色工作室提供)
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
「暮光——野草」(洪晧倫/台湾大地原色工作室提供)
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
「杉林渓——植顔」(洪晧倫/台湾大地原色工作室提供)
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
自然界から得たさまざまな顔料は、台湾の豊かな自然資源と多様な文化や歴史を象徴している。
_web.jpg?w=1080&mode=crop&format=webp&quality=80)
「植物を用いて植物を描く」「地のものを用いて地のものを描く」というのは芸術家のロマンと言えるだろう。