六大マラソンへの道
彼らの最初のチャレンジは、2019年のベルリンマラソンだった。だが、この大会への参加資格を得るには努力が必要だった。資格を得るために、ベルリンマラソンまでわずか2ヶ月という時に、二人は10月のシカゴマラソンで走りを練習することにした。
幸いなことに、侯美花はフルマラソンの経験が多く、それまで10キロしか走ったことのなかった周坤芳は、2ヶ月の間にフルマラソンが走れるようになった。「当初は、自分がフルマラソンを走れるとは思っていませんでした」と周坤芳は言う。
世界の舞台に立てることに二人は興奮したが、男女としての問題もあった。「個人旅行はカップルにとって致命的だとよく言われます」と周坤芳は言う。例えば、ホテルの選び方について、二人は異国の街で言い争いをすることとなる。だが、仲たがいすることがなかったのは侯美花の性格のおかげだと言う。「彼女の寛容さがなければ、レースを走り終わってから分かれていたかもしれません」と言う。
その後、二人は4時間57分というタイムでベルリンマラソンを完走し、続いて同年10月に行なわれたシカゴマラソン、11月のニューヨークシティマラソンと、六大マラソンの三つで完走を果たすことができたのである。
その後、新型コロナウイルスのパンデミックで国際大会への参加は減ったが、それほど長く休むことはなかった。2021年にはイギリスのロンドンマラソンで完走し、2022年には2020年に引き続きボストンマラソンに参加した。六大マラソンの最後は東京マラソンで、2023年3月に完走した。そうして主催機関から六大マラソン走破を意味するドーナツ型のメダルを受け取り、周坤芳はブラインドランナーとして台湾で初めて世界六大マラソンを完走したのである。
視力を失う前は自分がマラソンをすることになるとは考えたこともなく、ましてやすべてのランナーのあこがれである世界六大マラソンを完走できるなどとは思いもしなかった。「マラソンにはどんな意義があるのか」という問いに対し、周坤芳はこう答えている。「わかりません。ただ、走ると気持ちが明るくなり、自分にとっては欠かせないものになっているのです」と。
健常者は、視覚障がい者は常にサポートを必要としていると考えがちだが、マラソンにおいては彼らにできないことはなく、踏み出した一歩一歩が夢を追い求める彼らの強い生命力を象徴している。台湾も国際的に困難な境遇に置かれているが、それでも世界に私たちを知ってもらうために、さまざまな国際活動に積極的に参加しているのである。
練習量を維持するため、周坤芳(左)と侯美花は仕事が終わるとすぐに台湾大学のグラウンドへ行く。
伴走者とブラインドランナーをつなぐロープは重要なコミュニケーションツールである。
周坤芳(下の写真右)の六大マラソンの旅は、ボストンマラソン(上)から始まり東京マラソン(下)で終わった。彼の横には常に侯美花(下の写真左)の姿があった。(侯美花提供)