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アンドリュー・ヤン

アンドリュー・ヤン

アメリカ大統領選 民主党予備選挙に出馬

文・John Spiri  写真・光華編輯部 翻訳・山口 雪菜

4月 2020

史上初めて台湾系アメリカ人として大統領選挙の民主党予備選挙に出馬したアンドリュー‧ヤン(楊安澤)。両親は台湾からの移民で、法律とテクノロジーを学んだ。彼はアメリカの政界にどのような社会変革の理念をもたらしたのだろう。

アメリカ大統領選挙民主党予備選挙に出馬したアンドリュー‧ヤンは、世論調査で一度は4位に入って世間を驚かせたが、2月11日のニューハンプシャー州の予備選挙後に選挙戦を退いた。

ヤンは1975年、ニューヨーク州生まれ。両親は台湾出身の移民で、カリフォルニア大学バークレー校の大学院で出会った。父の楊界雄はかつてIBMに勤務し、69の特許権を有するビジネスマン、母の陳玲銖は芸術家である。

著名な寄宿制中等学校のフィリップス‧エクセター‧アカデミーを卒業後、スタンフォード大学とブラウン大学に合格したが、自宅から近いブラウン大学を選んだのは、両親のもとで暮らしたかったからだという。親から受けた影響について「金銭の概念」を身につけられたことと語っている。また、子供の頃に親や兄とともにしばしば帰省した台湾の思い出を大切にしている。

民主党の大統領予備選挙に出馬したヤンだが、台湾については多くを語っていない。政治評論家のデヴィッド‧スペンサーは、ヤンが台湾問題に触れないのは、有権者の中の人種差別派を考慮してではないかと見ている。アイデンティティや立候補の動機が疑問視されるのを避けるために慎重でなければならず、アメリカ人らしさを前面に出す必要があるからだ。

アンドリュー・ヤンの卒業式。父の楊界雄、母の陳玲銖、兄の楊欣澤(ローレンス)とともに。(遠流出版公司提供)

ニューヨークの台湾系アメリカ人

ジョン‧スピリ:ステレオタイプの質問から始めることをお許しください。数年前に読んだエイミー‧チュアの著書『タイガー‧マザー』の中で、中国系アメリカ人がいかに厳しく子供に勉強をさせるかを読みました。勉強面で、どれぐらいご両親からのプレッシャーを感じましたか。

アンドリュー‧ヤン:両親ともに働いていたので、私も兄もそれほど厳しくされたことはありません。子供の頃はピアノを習わされ、その後は中国語学校へ行かされました。それ以外は、両親は非常に忙しかったので、私も兄もそれほど厳しくされたことはありません。

スピリ:幼い頃から非常に成績が良かったようで、もともと勉強ができたのでしょう。

ヤン:価値には内在化するものがあります。私は子供の頃から、成績が悪いのは努力が足りないからで、人には能力があるのだから努力さえすれば成果は得られると考えていました。

スピリ:台湾文化の影響は。

ヤン:友人を訪ねる時、チャイナタウンで買い物をしていくことがあります。食べ物でクラスメートを驚かせることもありました。おもしろいと思ったんです。電気釜いっぱいにチャーハンを持って行ったこともあります。

スピリ:それは、よくやることですよね。

ヤン:煮卵はピータンと同じぐらい珍しがられました。子供の頃は、テレビにアジア人が出ていると飛び跳ねて興奮し、兄を引っ張ってきて一緒に見ました。あの頃はテレビにアジア人が出てくることはほとんどなかったんです。その時代も懐かしいですね。あの頃のアメリカ文化はシンプルだったんでしょう。

アンドリュー・ヤンの著書『普通の人々の戦い』中国語版。(遠流出版公司提供)

人とは違う道を行く

スピリ:ブラウン大学を優秀な成績で卒業され、法律事務所に職を得ましたが、一年で辞めてしまったのはどうしてですか。

ヤン:ある人から、職場に尊敬できる人が見つからなかったら、そこに居続けるべきではないとアドバイスされたのです。そして、スタートアップのCEOを訪ねた時「ああ、私はこういう生き方がしたいのだ」と思いました。法律事務所の同僚は楽しくなさそうで、あまり尊敬も出来ませんでした。それが辞めた理由です。

スピリ:それで、最初の会社、Stargivingを立ち上げたんですね。

ヤン:そうです。それがきっかけです。「よし、思い切りやってやる」と興奮していました。Stargivingは、有名人が好きな慈善団体のために募金をするというウェブサイトです。募金というのはチャレンジでしたが、すぐに成功事例が出て、CNNのインタビューも受けました。しかし間もなくメディアも投資家も興味を失い、すぐに資金が尽きてしまいました。その頃、私は社会貢献をしたいと心から思っていて、これを一つの、今までとは違う訓練ととらえていました。起業によって技能を身につけ、これまでとは違う技術や人脈を培う。これらは法律事務所では経験できなかったことです。

スピリ:大卒の若者の起業を支援するNPO法人Venture for America(VFA)を立ち上げた時、なぜ学業で優秀な成績を収めた若者はビジネスでも成功する可能性が高いと考えたのですか。

ヤン:現在、VFAは100余りの大学の人材を募集していて、決して成績がトップクラスの人ばかりを集めているわけではありません。私は、いたるところに優秀な人材がいると考えていますし、どんなバックグラウンドでも事業に成功できます。統計を見ても、起業する可能性が最も高いのは公立、州立大学出身のエンジニアです。そして学校の成績が優秀な人を、例えば金融業界など特定の業界に送り込むのは配置ミスで、業界のプラスにならないと考えています。

世界の代議制民主主義の象徴の一つ、アメリカ合衆国議会議事堂。(林格立撮影)

経済と貧困問題の解決

スピリ:あなたは主要な政見であるユニバーサル‧ベーシック‧インカムを、フリーダム‧ディビデントと呼んでいますが。

ヤン:「フリーダム‧ディビデンド」というのは、すべてのアメリカ国民に一定の収入を保障するという一種の社会保障で、私は毎月1000ドルという額を提案しました。他の社会救済プランと異なるのは、受給者はいかなる条件や審査もクリアする必要はなく、仕事の内容も制限されないという点です。なぜなら、今後12年以内に、アメリカ人の3分の1はテクノロジーの発展によって失業し、しかも新しい雇用は十分には生まれないからです。こうした中で、フリーダム‧ディビデントは社会に安定と繁栄と公平をもたらすことができるでしょう。

スピリ:どのような理念からユニバーサル‧ベーシック‧インカムを打ち出したのですか。

ヤン:私は『The Second Machine Age(第二の機械時代)』『The Rise of the Robots(ロボットの台頭)』『Raising the Floor(最低所得の引き上げ)』などの一連の書籍を読みました。当時、新たな雇用創出のための団体を運営していたので、将来の仕事に関する本ばかり読んでいたのです。「ユニバーサル‧ベーシック‧インカム」というのは実現性の高いソリューションで、この社会に必要だと考えるようになりました。Venture for Americaでの経験を通して、こうした変化は私たちが予想するよりずっと早く発生していて、すでに私たちの周りで起きていると感じるようになりました。

スピリ:働かない人や、働けない人に対して、なぜ多くの人が悪意を抱くのだとお考えですか。

ヤン:これは、早くから私たちの文化に根付いているピューリタン式の仕事観で、やや病態的になっていると思います。私の妻は、今は二人の息子の育児に専念していますが、社会はこれを「仕事」とは認めず、GDPの計算においてもゼロとされます。現在は、さまざまな仕事が統計に組み込まれていません。世の中に必要な仕事であってもです。ですから、より広い視野を持ち、想像力を働かせて仕事というものの意義を考え直す必要があります。

アメリカでは、失業はアルコールや薬物の乱用へとつながりやすいのですが、さまざまな面で、これも直視すべき課題です。例えばトラックの運転手が失業した場合、その人はその後の20年をどう生きればいいのでしょう。想像力のない、乱暴な対応は「他の仕事を与えればいい」というものです。しかし、例えば52歳で背中の痛みや他の病気を持つ元トラック運転手を市場が必要としていない場合、どうすればいいのでしょう。私たちは今までとは違う考えや感覚を持たなければなりません。

スピリ:近い将来、運送業がなくなることはないとしたらどうでしょう。

ヤン:トラックの自動運転化を進めるだけで、年間1680億ドルの利益が得られます。業界では今年からすでに「自動運転タクシー」の配置を開始しており、運輸業の仕事は今まさに消失しつつあるのです。

スピリ:ユニバーサル‧ベーシック‧インカムに反対する人がいるのはなぜでしょうか。

ヤン:現実の生活において私たちは、お金は大切なリソースだと考え、大部分の時間をお金を稼ぐために使っています。そうした中で「私が大統領になったら、すべての人に毎月1000ドルを配布します」と言うと、人々は「そんなことできるわけがない」「経済がめちゃくちゃになってしまう」と退いてしまいます。しかし、それは絶対に違います。アメリカのすべての成人に毎月1000ドルを分配するのは決して困難なことではないのです。さまざまな面で大きなチャレンジですが、人々は精神的、物理的な健康のためにも、もっと自由になり、子供たちの将来のための計画を立て、自分と家族のために投資をするべきなのです。

ロサンゼルスでのキャンペーンで、ユニバーサル・ベーシック・インカムの主張を掲げるヤン。(TPG images/ロイター提供)

ニューハンプシャー州コンコードの高校を訪れ、教職員や生徒とバスケをするヤン。(TPG images/ロイター提供)

カリフォルニアで出会ったヤンの両親はベイエリアを第二の故郷としており、 サンフランシスコは選挙キャンペーンの重点都市となった。(荘坤儒撮影)

アンドリューと妻のエヴェリンと二人の息子。(アンドリュー・ヤン選挙本部提供)