
近年、グーグルやフェイスブックがシンガポールに拠点やアジア運営センターを設立しており、それに伴ってシンガポールはアジアのスタートアップ企業の本拠地となっている。
シンガポールのMRTトアパヨ駅の近くに、市場価値3億台湾ドルの医療情報システム(EMR)ファームVault Dragonがある。創設者は台湾で生まれ、11歳からシンガポールの学校に通ってきた曾浄沢だ。

3度目の起業でようやく成功した曾浄沢は、台湾人らしい困難に負けない果敢な精神の持ち主だ。
谷底から這い上がる
会社のロゴをプリントした赤いTシャツを着て照れたように笑う曾浄沢は、32歳には見えないが、Vault Dragonは彼にとって3回目の起業だという。前の2社は大学1年と3年の時、アイディアが浮かんだらすぐに友人と資金を集めて起業した。失敗に終わったが、その失敗から「人のやっていないこと、人と違うこと」をやることが重要だと考えるようになった。
2013年、彼はインド系の友人とともに、箱単位で顧客の品物を保管する倉庫会社Vault Dragonを始めた。曾浄沢が営業、友人が商品設計を担当するということで、まだ始めたばかりの段階で最初に3000万台湾ドルの融資を受けた。
融資を受けるとプレッシャーも高まる。市場開拓のため、曾浄沢は初年度に単身香港へ渡ったが、2週間もたたないうちに他のスタートアップ企業にビジネスモデルを模倣され、価格競争に陥ってしまった。
半年後、競争に敗れて帰国すると、今度はパートナーに会社の資金を持ち逃げされてしまった。攻防の末、曾浄沢は会社に残った。だが、パートナーはシステムのプログラムを使えなくしており、会社は半年にわたって、商品も売れず、顧客も失い、12人の社員も去って彼とインターン1人になってしまった。その頃はどうすればいいのかわからず、アルコールの力を借りなければ眠れないほどだったという。

Vault Dragonは世界各国から優秀な人材を集め、より一層ニーズにかなう医療情報システムを提供するために努力している。(Vault Dragon提供)
シンガポール大学の教材に
スタートアップ企業が失敗する原因は三つあると曾浄沢は分析する。資金が尽きること、市場が見出せないこと、そしてパートナーとの仲違いだ。彼はこのうち二つの状況に陥り、周囲からあきらめるよう勧められた。投資家に会社の運営状況を説明する時も、あまり期待されていないと感じたという。だが「一部の顧客は残っていたし、ベンチャーキャピタルやシンガポール政府の投資も受けていました」と話す曾浄沢は、これらの人々の信頼を裏切れないと考えた。
香港での失敗から、資金力を競争力と考えてはならないことを学んだ。資金力より、特殊な技術やノウハウによってハードルを高め、しかも景気に左右されない市場を見出してこそ経営を続けられる。彼は会社のリソースとノウハウをリストアップし、新たな事業への転換を考えた。ミニ倉庫を基礎にデジタル時代のニーズを融合させ、スキャニング、ファイリング、応用のサービスを、資料の長期保存を必要とする会計士や弁護士、医師に提供する業務を開発することにした。
だが、何のバックもリソースもない無名の曾浄沢が病院や会計士事務所を訪ねても、断られるだけだった。しかし半年後、2人の医師が試してみようと言ってくれた。紙カルテを電子化し、さらに進んで基幹系情報システム(ERP)を構築するというもので、病院は効率的に医療資料を管理分析できるようになる。
今ではシンガポールの医療グループの多くがVault Dragonの顧客となり、事業は上海でも展開している。会社の売上は2013年の80万台湾ドルから2018年には3000万まで伸び、曾浄沢の起業プロセスはシンガポール国立大学MBAコースの教材としても取り上げられている。

台湾の人材に舞台を
幾度も台湾に招かれてスタートアップグループと交流している曾浄沢は「台湾のチームは戦闘力が足りない」と指摘する。市場を台湾だけに絞っていては、海外のベンチャーキャピタルの目に留まることはないからだ。受託生産が主流の台湾は、自分のブランドや技術に自信が持てないのかもしれない。だが、プログラム言語は世界通用で、テクノロジーに国境はない。台湾の情報工学は世界中で認められているのだから、台湾には世界に出て行く資格がある。
曾浄沢によると、ASEAN10ヶ国と台湾と香港は同じベンチャーキャピタルのエコシステムに属している。シンガポールは英語が普及していて税制優遇措置があり、法律も健全なので、多くの国際的なベンチャーキャピタルが同国にアジアの拠点を置いており、そのためシンガポールのスタートアップ企業は他の国より目に留まりやすいのである。台湾のスタートアップ企業が、慣れ親しんだ場所を離れてシンガポールに拠点を設け、またはシンガポールのスタートアップイベントに参加すれば、投資家の目に触れる機会が増える。
もう一つのスタートアップ、CloudMile万里雲が台湾から積極的に海外へ出て行った事例を見てみよう。
2017年設立のCloudMileは、主にクラウドマネジメント‧アプリケーション‧サービスを提供し、AIとビッグデータを用い、企業のビジネス予測やレベルアップに協力する。例えば、和明紡織と協力し、過去に生産した生地のサンプルをデジタルファイル化して機器に技術を学習させ、生地サンプルの識別システムを構築した。これによってデザイナーはデータバンクの中からすぐに特定の生地を選び出せるようになり、それまでデザインからサンプル生地の提供まで一ヶ月半かかっていたところが3日に短縮できたのである。
CloudMileを創設した劉永信CEOは、以前は外資系企業で技術部門の管理職を務めていたが、当時、外資系ではエンジニアの給与を、インド人、台湾人、欧米の一般エンジニアとトップエンジニアで、1対3対7対10とランク付けしていた。台湾人1人の給与でインド人が3人雇え、欧米のエンジニアは台湾人の2~3倍の給与で雇うという意味だ。だが、劉永信は台湾人が他に劣るわけではなく、他人に価値を決められるべきではないと考え、海外へ出ることにした。
昨年、CloudMileは香港での運営を開始して3ヶ月で十数の新規顧客を開拓し、さらにシンガポール進出の準備を開始した。
シンガポール国立大学のEMBAに通うことが、劉永信のシンガポール進出の第一歩だ。この国のトップクラスの人材に触れ、人脈を作るのである。シンガポール政府はスタートアップ企業の海外展開を奨励しており、本部をシンガポールに置いていれば、海外拠点を開設するたびに10万シンガポールドル(約230万台湾ドル)の助成金が支給される。劉永信によると、これは新しいチーム運営の初期費用に相当する金額で、シンガポール政府の積極的な態度を感じさせるという。将来は本部をシンガポールへ移し、台湾を開発センターにする考えの劉永信は、シンガポールは競争が非常に激しく、そういう環境で人材を育成してこそ海外へ展開する力が養えると考えている。

スタートアップ企業CloudMile万里雲は、台湾、香港、シンガポールでテクノロジーフォーラムを開き、積極的に海外市場を開拓している。(CloudMile提供)
スタートアップ市場のルール
Vault Dragonは今年、タイとブルネイに進出する計画で、売上目標は3000万台湾ドルから6000万まで増えた。曾浄沢は「2倍の成長でも投資家にとってはスローすぎます。スタートアップは大きな賭けで、go big or go homeと言われるのですから」という。ベンチャーキャピタルとしては、一度に10社に投資して、そのうち7社は失敗、2社は収支とんとん、1社が100倍以上に成長すれば良いという考えなので、誰もが爆発力のあるスタートアップを必死に探しているのである。
曾浄沢は、起業を考えている人はすぐに始めるべきだと言う。通常、スタートアップ企業の7割は初年度に失敗し、99%は5年持たない。つまり失敗は常態なのだから、遠くに目を向けてチャレンジするべきなのである。ベンチャーキャピタルは投資先を選ぶとき、創設者の起業経験を観察しており、失敗の中から立ち上がってきた人ほど注目されやすいという。
CloudMileは現在すでにベンチャーキャピタルから最初の1億4000万台湾ドルの資金を得ており、製品も成熟し、ビジネスモデルが完備している。劉永信は、もし台湾市場に絞って海外での支出を削減していれば、すでに台湾で株式を公開できていたはずだという。それでも世界の戦場を選んだ彼は「自分がやったことのないことをやるのが起業じゃないですか」と問いかける。
問題を洞察して解決する能力を持ち、己の優位性を掌握できれば、大胆にやってみようではないか。台湾であれ、シンガポールであれ、きっと自分のステージを見出せるだろう。

CloudMileを創設した劉永信は、ビッグデータの時代に最も重要なのは信頼だと考えている。顧客が安心してデータを提供してくれてこそ、AIの運用が可能になるからだ。


住み慣れた地を離れる。CloudMileでは台湾の人材を積極的に海外へ送り出している。