台湾の竹細工を再び
強い日差しが降り注ぐ夏、私たちは竹の重要な産地を目指して高速鉄道で台南に向った。台南駅ホールにある人気のレストラン「深緑及水」の店内を見ると、壁やパーテーションに竹材が使われていて、優雅な空間が作られている。
台南駅から車で20分、龍崎に到着した。ここは明·清の時代から竹産業が盛んな地域で、独特の丘陵地形と砂質の土壌が竹の生育に適している。また、台南の市街地にも近く、昔から台南に民生物資を供給してきた龍崎と関廟では竹産業が栄えてきた。
「百竹園」の主人で台南竹会の理事長を務める張永旺の家は代々竹細工に従事し、彼で五代目になるが、「子供のころから竹は悪夢でしたよ」と言って笑う。彼の手のひらにはマメや傷があり、指先の関節も太くなっている。
張永旺とともに面積8アールの竹林に入ると、100種にのぼる竹が風を受けて音を立てている。その種類ごとに一つずつ特性を語る張永旺の姿から、竹を深く愛していることがうかがえる。
竹産業の盛衰を見守ってきた彼は、1960~80年代の隆盛の時代をよく覚えている。多くの家庭が竹細工の収入で暮らしていたのである。輸出も盛んで、台湾経済のテイクオフにも大きく貢献し、その隆盛は石油化学製品の大量生産が始まるまで続いた。昔の人は竹で家を建て、家具を作り、カキの養殖棚を作り、さらには紙を竹から作ることもあった。それが後には日用品もプラスチックになり、カキの養殖棚は浮力の強い発泡スチロールに変わり、人件費も上昇して竹細工は衰退してしまった。
それがこの十年、環境意識の台頭とともに有機素材である竹材のメリットが再び重視されるようになり、竹産業も谷底から回復し始めたのである。数年前には張永旺のところへルイ·ヴィトンが、バッグの持ち手にふさわしい竹材を求めて来訪した。交渉は成立しなかったが、彼の竹工芸復興への思いに火をつけることとなった。
現在、竹工芸は人件費の高騰という課題に直面しているが、台湾の工芸品の質は中国や東南アジアの量産品より優れている。ヨーロッパから、デザイン画をもとにオーダーメイドの注文が入ることもある。
竹工芸の職人になるには、繰り返し繰り返し練習して技術を高めていく必要があり、基礎をしっかり身につけなければ、新しいもの生み出すことはできないと張永旺は言う。
彼は、竹工芸を復興させたいと考える若者たちを指導し、オーダーメイドに向けて邁進している。竹を薄く割った竹ひごは、職人の手によって網状に編み込まれ、平面が立体へと変わっていく。昔とは異なる形で現代人の暮らしを豊かにし、その知識と技術も受け継がれていく。
台湾の二酸化炭素排出量は世界の上位に位置し、中でも工業、建築、交通による排出量は多い。人々が経済発展に取り組む一方で、環境破壊が進んできた。こうした中で、建築家夫婦である甘銘源と李緑枝は違う道を歩み始めた。二人は天人合一の暮らしを実践しようと、生まれ育った大都市·台北を離れて自然豊かな環境へ移住した。
竹は最短3年で竹材として利用できるまでに生長し、株全体が無駄なく利用できるため、ヨーロッパでは「天国から来た植物」と呼ばれている。