パリ五輪代表の唐嘉鴻選手は2023年のアキレス腱断裂からわずか7ヵ月後に世界大会金メダル獲得という奇跡を成し遂げた。(台湾師範大学提供)
テクノロジーすなわち国力の時代には「国力がスポーツ競技を左右する」と言っても過言ではない。競技場は各国がテクノロジーを競う場ともなっているのだ。テクノロジーは今や選手のトレーニングや競技審判に欠かせず、スマートスタジアムまで登場している。
世界のテクノロジー‧サプライチェーンの中核を担う台湾では、アスリートたちがオリンピックの表彰台に上がれるよう、産官学が連携してサポートしている。
2024年パリオリンピック開催の2ヵ月前、台湾師範大学体育館は熱気に包まれていた。五輪代表の唐嘉鴻選手がパリ五輪に向けての集中トレーニングを母校でしていたのだ。懸垂振動、ひねり、完璧な着地と、スコア16.5の完璧なルーティンを披露し、割れるような拍手が起こった。
驚くべきことに、唐選手は昨年(2023年)2月にアキレス腱を完全断裂したにも関わらず、手術の2ヵ月後には大学生スポーツ全国大会の吊り輪予選に復帰し、7ヵ月後にはFIGチャレンジカップで金メダルに輝いて2024年パリ五輪出場を勝ち取った。「アキレス腱断裂からわずか半年ほどでの金メダルは奇跡です」と教育部(教育省)体育署の鄭世忠署長は言う。
不可能を可能にしたのは、台湾の医療の強みの一つである高精度医療と、国家科学及技術委員会(以下「国科会」)による「高精度スポーツ科学研究プロジェクト」が結びついたことによる。
例えば体育署は医療機関から借りてきた軟部組織弾性測定装置によって唐選手の筋肉や腱の状況を計測した。また医療チーム、台湾師範大学、台湾科技大学による高精度スポーツ科学チームが唐選手のリハビリとトレーニングに関わった。つまり、疲労度をモニタリングし、フォームや安定性を評価することでケガを防ぐ方法を探ったり、生理‧生化学、栄養学、心理学をトレーニングに取り入れて心身両面の強化を図ったりして、彼の迅速な復帰をサポートしたのだ。
唐選手のコーチであり、台湾師範大学運動競技学科の翁士航‧助理教授によれば、ほかにも高精度スポーツ科学チームは、練習の際にさまざまなタイミングで競技の干渉となる状況や緊張させる雰囲気を作り出し、同時にカメラやセンサーで心拍数を測定しながら、選手が高いプレッシャーの下で競技環境に適応できるよう訓練した。そうして今年(2024年)6月、唐嘉鴻選手はスロベニアのコペルで行われたFIGチャレンジカップの鉄棒決勝で金メダルを獲得したのだ。
清華大学、台北科技大学、台北教育大学の研究チームは、対戦をシミュレートしてくれる可動式サンドバッグを開発した。
世界的な流れ
台湾師範大学運動競技学科の相子元教授は、国家運動訓練センターのスポーツ科学チームの代表でもあるが、彼によれば、位置情報システム、センサー、画像機器、AI技術、通信技術の活用はスポーツ界では世界的な流れとなっている。
新型コロナウィルス感染症流行拡大中の2020年、米メジャーリーグでは、バーチャルな観客の歓声を流したり、「ホークアイ」システムで、すべての試合における選手全員の位置や動きを記録するようになった。東京五輪ではAI技術、ビッグデータ、機械学習などのテクノロジーが披露され、とりわけバドミントンで金メダルを獲得した王斉麟‧李洋ペアの試合では、ホークアイが試合の勝敗を決定づけた場面が知られている。
対戦相手に関する情報収集には、なおのことテクノロジーが欠かせない。相教授によれば、特に長時間の競技では相手の攻撃や戦略を分析するために画像追跡やAI技術が必要だ。「今やオリンピックや世界大会は、各国のテクノロジーを競う場でもあるのです」
清華大学情報工学科の胡敏君教授(左)は研究チームとともに、アスリートの動作の正確さを分析できるスマート‧モーションキャプチャーシステムを開発した。
高精度スポーツテック
「2017年の台北ユニバーシアードにおいて我が国が好成績を上げたことで、産官学によるアスリート支援の機運が盛り上がりました」と国科会人文及社会科学研究発展処の蘇碩斌処長は言う。
2018年から国科会と台湾師範大学スポーツ‧レジャー‧ホスピタリティ管理研究所(大学院)の陳美燕‧特任教授によって進められた「高精度スポーツ科学プロジェクト」は、トレーニングや競技に必要なテクノロジー‧ツールを開発するもので、その成果の一部はすでに代表選手のトレーニングに取り入れられ、商品化もされている。
例えば台北市立大学運動器材テクノロジー研究所(大学院)の何維華‧特任教授は、東京五輪の重量挙げ金メダリストを指導した林敬能コーチとの協力でトレーニングにおけるニーズの掘り起こしを進めるとともに、陽明交通大学、国家運動訓練センター、国家中山科学研究院、工業技術研究院、そして各産業界に呼びかけて学際的チームを編成し、音や振動を軽減するマット、バーベル軌跡記録システム、スマート‧ミラー、フィードバック‧アプリといった重量挙げのトレーニング‧ツールを開発した。ほかにもパリ五輪を目指し、スマートベルト、高精度食事管理テクノロジー、AIロボット‧コーチなどを開発中だ。
何教授は、バーベルが落下して跳ね返る際にケガをすることもあるので、マットには国家中山科学研究院の軍用STF(せん断増粘流体)素材を用い、バーベルのリバウンド回数や騒音時間を減らしていると言う。
また重量挙げの動作のチェックには、カメラ内臓のスマート‧ミラーを使う。画像自動認識システムで選手の姿勢を確認でき、しかも仮想選手の正しい動作と比較して修正を行うことも可能だ。またAIコーチングシステムを使えば、2分以内に選手のパフォーマンスの分析結果がわかる。
何教授によれば、コーチは自分の視点からしか選手を指導できないが、台北市立大学のチームが開発したAIコーチロボットがサポートすれば、複数の視点からの観察が可能になり、微妙な動きのテクニックを即時にフィードバックできる。
また同チームは、ケガした選手の練習用に外骨格ロボットも開発した。ケガを保護するだけでなく、選手が痛みを感じた時点でロボットがアシストしてくれる。
腰椎への衝撃を減らし、選手の体幹を安定させるベルトも設計された。ベルトに接続された計測装置(IMU)によって体幹角度が正しいかどうかもわかるので、将来的にはあらゆるレベルの重量挙げ競技での使用が見込まれている。
清華大学スポーツテクノロジー研究センターのチームやボクシングの李桂芬コーチ(右1人目)は、ボクシングのスカウティングや高精度トレーニングの新たなテクノロジーを開発している。
ボクシングの利器
新竹市立体育場のボクシング室では、清華大学スポーツテクノロジー研究センターによって新たな利器「スカウティング(対戦相手に関する情報収集)システム」が披露された。これは、同センター、台北科技大学、中央研究院が組んだ学際的チームによって、パリ五輪のボクシング代表である陳念琴選手や呉詩儀選手のために開発された。
「かつての指導はコーチの経験に基づくものでした。試合やビデオを見たり、時には記憶や手書きのメモに頼ることもあり、データを残すことは難しかったのです」と清華大学スポーツ科学学科の邱文信教授は言う。
そこで邱教授や清華大学情報工学科の朱宏国教授の研究チームは、清華大のボクシングチームと協力し、ボクシング‧スカウティングシステムを生み出した。これは、大量の競技映像をAIによるモデルタイプと組み合せ、相手の攻撃スタイルや戦術、癖などを分析するものだ。競技映像を読み込ませると30分以内に分析結果が出る。朱教授は「これはボクシングのスカウティングにAI技術を導入したシステムの先駆けとなるでしょう」と言う。また同研究チームは、ゴーグルをつければバーチャルな試合が体験できるトレーニングシステムも開発している。
ほかにも朱教授は清華大学情報工学科の胡敏君教授のチームとの協力で、選手のフォームをカメラで捉えて分析するスマート‧モーションキャプチャーシステムを開発した。またモーションキャプチャーシステムにChatGPTを組み合せた「コーチング言語システム」も、中央研究院情報科学研究所の古倫維研究員によって生み出された。分析レポートを言葉にまとめてくれるシステムなので、将来的にはボクシング普及にも役立ち、またバスケットボールや卓球、バドミントンなどのスカウティングや指導にも応用可能だ。
オリンピックのボクシング‧スカウティングをする李佳芬コーチは、相手のテクニックや長所短所、癖などを知っていれば、相手を倒すカギが見つかるだけでなく、その情報を元にスパーリングパートナーが対戦相手のスタイルや戦術を真似ることもできると言う。
清華大の邱文信教授、台北科技大学インタラクション学科の韓秉軒‧助理教授、国立台北教育大学数学‧情報教育学科の周建興教授が開発したのは、ゴーグルをつけて仮想相手と打撃やフットワークの訓練ができるロボット技術を使った可動式サンドバッグだ。これは「2023年未来テクノロジー賞」を受賞しており、趣味やフィットネスのためのボクシングにも活用が期待されている。
台北市立大学運動器材テクノロジー研究所の何維華‧特任教授と研究チームは、重量挙げのトレーニングツールを開発した。(郭美瑜撮影)
スマートウェアの開発
台湾の機能性繊維は世界をリードしてきた。例えば聚陽実業(マカロット)は、経済部(経済省)のテクノロジープロジェクトや紡織産業総合研究所の支援を得て、多くのスマート繊維やその加工技術を開発している。また晶翔機電(j-mex)との提携で開発したのは、10組の9軸センサーを備えたモーションキャプチャースーツだ。伸縮性に優れて洗濯もでき、ゴルフや野球、ボクシングなど、フォームを重視するスポーツでのトレーニングの成果を分析できる。このスーツはコンピューター関連装置の見本市「COMPUTEX TAIPEI 2024」でBest Choice Award金賞を獲得し、台湾のスポーツテック産業の実力を世界に知らしめた。
学術界が開発した重量挙げの高精度トレーニングテクノロジーはすでに五輪代表選手のトレーニングに使われている。写真はパリ五輪重量挙げ代表の陳玟卉選手が国家運動訓練センターでトレーニングする様子。(荘坤儒撮影)
台湾代表選手をサポート
今年元日に開設された行政法人「国家運動科学センター」は、国の代表選手のトレーニングや健康‧医療ケアのサポート、国際大会の情報収集などを行なう。将来は産業界と連携してスポーツテックの産業化や普及を進め、最終的には一般市民のスポーツ参加を促す計画だ。
ただ、センター設立後半年余りでオリンピックを迎えるので、「我々の最優先事項は選手とコーチのためにトレーニングの困難点を克服することです」と同センターの黄啓煌CEOは言う。
例えばアーチェリーとエアピストルでは、微妙な手の動きがショットの安定性と正確さを左右する。そこでセンターでは、高速撮影と映像認識の技術を用い、手のフォームを確認できるシステムを開発した。また走幅跳でも助走の安定性を高めるため、成功大学のチームとの協力で、画像とアルゴリズムで正確に歩幅やペースを計算する。
黄CEOによれば、世界各国がスカウティングに力を入れる中、国家運動科学センターでもデータベースを構築したそうだ。過去の試合映像、AI技術、アルゴリズムを駆使し、対戦相手がわかってから30分以内にその相手に関するレポートが作成されるという。
選手の疲労回復も大切だ。センターでは学術界や栄養士の協力を仰ぎ、栄養補給のためのチョコレートやコラーゲンゼリーなども開発している。
2018年から体育署は五輪に向けた「黄金プラン」を開始した。トレーニングや医療‧心理面でのサポートを行い、スポーツテックも導入されている。例えば新たに建設されたプールでは、スイマーの泳ぎに伴い、プールの底でインジケーターが点灯する設備があり、スイマーのスピード調整に役立っている。
パリ遠征を前に唐嘉鴻選手は「私を表彰台へと上らせるため、たくさんの人が協力してくれています」と感謝を述べた。
テクノロジーの後押しで、スポーツのトレーニングや競技シーンは大きく様変わりしている。台湾でもテクノロジーの力が、スポーツ産業のイノベーションを牽引している。
国家科学及技術委員会人文及社会科学研究発展処の蘇碩斌処長は、産官学の協力が台湾のスポーツテックの発展を促していると語る。
体育署の鄭世忠署長は、アスリートたちが好成績を上げられるよう、政府は全力を挙げてバックアップしていると語る。
国家スポーツ科学センター主導の産学協力で、アーチェリー選手の手の動きを安定させてショットの精度を高めるシステムが開発された。
国家運動科学センターの任務は、まず国際大会代表選手の育成であり、最終的には一般市民のスポーツ参加を促すことだ。写真は同センターの黄啓煌‧初代CEO。
国家運動科学センターが開発した栄養価の高いスナック。急速に体力を回復できる。
呉昇光教授が開発した卓球スマートラケット。(呉昇光教授提供)
台湾の繊維メーカー大手「聚陽実業(マカロット)」と晶翔機電(j-mex)との提携で開発されたモーションキャプチャースーツは、伸縮に強く洗濯もでき、「COMPUTEX TAIPEI 2024」でBest Choice Award金賞を獲得した。(郭美瑜撮影)
台湾師範大学のチームはテクノロジーを駆使した高精度トレーニングによって、唐嘉鴻選手(右から3番目)の五輪金メダル獲得をサポートしている。(台湾師範大学提供)
国家運動訓練センターはスポーツテック実践の場だ。
台湾体育運動大学競技運動学科の呉昇光教授の開発したスマートラケットは、国際卓球連盟に採用され、パラリンピック卓球選手のランク分けに使われている。(呉昇光教授提供)