すべてを乗り越えて
言うまでもなく、ウエイトリフティングは重量が増すに連れて困難になり、選手が負傷する確率も高まる。監督の林敬能は早くも5年前に、国家訓練センター元CEOの何維華が開発したバーベルの軌跡の分析・追跡システムを導入した。これを日常の練習に用いて選手の動きを修正すれば、動作の精度を高めることができるからだ。
2019年には、政府教育部のゴールドプランのサポートを得て、コンディショニング・コーチの鄭玉児と物理療法士の周詣倫が仲間に加わり、コーチとともに「ゴールドチーム」が結成された。多くの時間をともにしてきたメンバーは、郭婞淳の諦めない態度、挫折に対する忍耐強さと過酷な練習に耐える精神力に敬服し、そのレベルは「狂っている」ほどだと言う。
郭婞淳自身、自分は強がりで、練習に当たっては必ず一定の目標を達成するまで休憩も取らないと言う。昨年太腿を負傷した時は、しゃがみこむと痛くて力が出せず、チームの提案を受けて練習項目を調整した。「アスリートに負傷はつきものですが、怪我があっても良い成績が出せるのはチームのおかげです」と郭婞淳は言う。
リオ五輪での挫折の後、郭婞淳はメダルにこだわる気持ちを調整しようと思い、むしろスナッチとジャークそれぞれの重量を目標として集中するようにした。その結果、2017年のアジア選手権から2021年の東京五輪までの十余りの大会で、連戦連勝の負け知らずとなったのである。
ウエイトリフティングをやめようと思ったことはないかと問うと、彼女は首を振って笑いながらこう答えた。「正直なところ、やめようと思ったことはありません。やめる理由がないのです」
郭婞淳の母親は18歳の時に未婚で彼女を生んだ。彼女はずっと祖母に育てられ、母はあちこちで働きづめだったという。父親には一度会ったきりだ。そうした中、スポーツをすることで彼女は気持ちを集中することができ、生まれた境遇からダメージを受けることはなかったという。
心優しい郭婞淳は、若い頃にコーチから「お前が元気なら、皆が元気になれる」と言われたのをずっと覚えている。その後、コーチが多くのプレッシャーを抱えていることに気付き「だから、自分が元気になれば、コーチのプレッシャーも減るだろうと思ったんです」と言う。現在の彼女は、大会で得た賞金を台東聖母病院や創世基金会に寄付するほか、自らのストーリーで多くの人を励ましたいと考えている。
来年はアジア大会、その後にはパリ五輪が控えている。「自分の記録は他の人に更新されるのではなく、自分で突破したいと思っています」と語る郭婞淳は、ウエイトリフティングの力で台湾にプラスのエネルギーをもたらしている。
郭婞淳は自らの物語を通して、困難に直面しても恐れずに向き合うよう人々を鼓舞したいと考えている。