
「大部分の記憶の中で、台湾人は常に友好的でした」と話すのは、米国在台協会(AIT)台北弁事処元処長のステファン‧ヤング氏である。氏は12歳の頃から、高雄の米軍住宅に2年間暮らしていた。「8年生(中学2年)だった私は、いつも家の前でスクールバスを待っていたのですが、地元の子供たちが私を見かけると、いつも『アメリカ人、OK』と声をかけてきました。アメリカ人は台湾人の盟友であるということを子供たちも理解していたのでしょう」と語る。
1979年1月1日、アメリカが中国大陸と国交を樹立して国際情勢が大きく揺れる中、同年4月10日、米国国会では「台湾関係法」が可決成立し、中華民国台湾とアメリカの間の商業‧文化等の交流の基礎が維持されることとなった。
「台湾関係法」成立から今年で40年を迎え、同法によって設立された米国在台協会(AIT)は「AIT@40-1979年後米台関係」巡回展を台湾各地で開催している。そこに展示された古い写真を一枚一枚見ていくと、時の流れの中に台湾とアメリカとの深く固い絆が感じられ、危機に見舞われた時の試練と約束の貴さが見えてくる。

台米友好の 40年を振り返る
雪中に炭を送る
その中に「2機のヘリコプター」の写真があり、よく見ると1機はブルドーザーを吊り下げて運んでいる。この写真は2009年8月17日に撮影されたものだ。同年の台風8号(モーラコット)による大雨で献肚山が大規模な崩落を起こし、高雄県甲仙郷の小林村が住民400人余りとともに埋没してしまった時、道路は寸断されて救援のための道が確保できなかった。8月14日、台湾はアメリカに支援を求め、米軍は日本の佐世保港から輸送艦デンバーを2隻出し、3日後にはヘリコプターでショベルカーとブルドーザーを被災地に送り届けてくれたのである。
1996年、台湾で初の総統直接選挙が行なわれた際には、台湾海峡ミサイル危機が発生した。この時、クリントン大統領の決定により米軍が航空母艦2隻を台湾海峡周辺海域に配備し、「台湾関係法」における、米国が台湾の民主主義と安全を保障するという約束を実践したのである。中央研究院研究員の林正義は、アメリカが台湾防衛の構えを見せたことは、「台湾関係法」が抑止力を持つことを示していると指摘する。
1949年に国民政府が台湾に撤退した際、アメリカは台湾に系統だった大量の支援を提供した。統計によると、1949~63年の間に米国から提供された36億米ドルの支援は、軍事、農業、工業、教育など多方面にわたった。東西横貫公路から台北市の南京東路まで、高雄加工輸出区から花蓮の門諾病院まで、いずれも米国援助を用いて建設された。こうして台湾はしだいに成長し、援助を受ける側からする側へと変わることができた。
台湾とアメリカの国交が断絶しても、アメリカによる台湾への協力は変らなかった。「台湾関係法」が両国交流の基礎となり、両国の交流は今も頻繁かつ緊密に続いている。
台湾からアメリカへの留学者数は1980~2010年まで増加し続け、国交断絶によって減少することはなかった。AITの統計によると、2012年に台湾が米国のビザ免除プログラムの対象国となってから、渡米者は6割増加した。2017年には47万5000人近い台湾人が渡米しており、旅行や観光での消費額は22億米ドルを超える。

時代が変わっても、台湾とアメリカは常に固い絆で結ばれてきた。(農業委員会提供)
深まる文化交流
台湾はもともとアメリカのフルブライト奨学金の協力国で、断交後も1964年4月23日に締結した「教育文化交換計画協定」の効力は維持されることとなった。フルブライト‧プログラムは1946年にアメリカ国会で成立したフルブライト法に基づくものである。研究者や学生、専門家などを対象とした国際交換制度で、アメリカ国民と世界各国の相互理解を深める目的がある。
フルブライト‧プログラムでは、2003年から、文化交流の目的でアメリカの大学卒業生を台湾に派遣して小中学校で英語学習のアシスタントを務める制度、フルブライトETAも開始した。米国国務省が人員を専攻して資金を出すもので、最初の8人から今年は100人まで増えた。
学術交流基金会によると、フルブライトETAで台湾を訪れたアメリカの青年は、みな台湾の人情や住みやすさを気に入り、帰国後には台湾のために声を上げてくれるという。台湾での素晴らしい経験の話が広まり、フルブライトETAでは赴任先として台湾の人気が高まっている。
また、2008年からAITアメリカ資料センターでは天下雑誌教育基金会の「希望移動図書館」を支援し、英語の絵本や児童書を提供している。2013年からは、AITが大型モニターやiPad、タッチパネルパソコンなどを備えた「デジタル移動図書館」を僻遠地域の小学校に派遣し、デジタルデバイドの縮小に協力している。
AITの職員が自ら台湾各地の学校を訪ねて米国文化を紹介し、科学の実験や、夏休み‧冬休みのキャンプを行ない、タブレットでインタラクティブな絵本なども活用している。アメリカ資料センターによると、2018年半ばまでにデジタル移動図書館は台湾の178校を訪ね、3万5000人を超える子供たちに本を届けてきた。

東西横貫公路は、米国援助とアメリカ人の技術者や専門家の力を借りてようやく完成した。(外交部提供)
イノベーションのエネルギー
AITはアメリカと台湾の架け橋を自任している。そのブレント‧クリステンセン処長は、2018年の就任以来、国際社会における台湾の役割を高めることを優先事項の一つとしてきた。2016年からAITが主催してきたFishackathon(フィッシャカソン)とNASAハッカソンの台湾大会もその一例である。
AITは、アメリカ国務省が2014年から開始したフィッシャカソンの設計大会を受け、海洋生物保護と漁業の持続可能な発展のためのソリューションを打ち出すことを目的に、ソフト開発者をアプリケーション開発に招いた。2016年に台湾で開催されたフィッシャカソンで優勝したAkubic(誠映科技)は、「五大湖の救世主」というプランで第3回世界フィッシャカソン大会で優勝した。
この成功を受け、AITはさらに世界最大のハッカソンであるNASA International Space Apps Challengeの台湾大会を実現した。
ここで台湾は大きな力を発揮する。2017年に台湾で優勝したチームSpace Barは、世界187の都市から2万5130人が参加する世界大会に進出し、土石流データを解析するアプリケーションを開発し、「ベスト‧ミッション‧コンセプト賞」を受賞したのである。
アメリカ国務省はテクノロジーとイノベーションのソフトパワーをシェアするために、台北の松山文化クリエイティブパークにある米国イノベーションセンターにおいて定期的に無料で講座を開いている。3Dプリンターやロボット、バーチャルリアリティやAI、ブロックチェーンなどの講習もある。台湾と米国の間の、知識や文化、科学技術面での交流は「台湾関係法」立法の趣旨のとおり、互いの友好の絆を深め、時代に応じて変化しつつ永遠に続いていく。

米国在台協会(AIT)の「デジタル移動図書館」は、全国各地の僻遠地域にある小学校を訪れ、アメリカ文化を伝え広めている。

米国在台協会(AIT)の「デジタル移動図書館」は、全国各地の僻遠地域にある小学校を訪れ、アメリカ文化を伝え広めている。

米国在台協会(AIT)の「デジタル移動図書館」は、全国各地の僻遠地域にある小学校を訪れ、アメリカ文化を伝え広めている。

学術交流基金会は、フルブライト奨学金の国際交換プログラムを活かして、台湾の英語教育アシスタントとして米国から優秀な人材を招いている。(学術交流基金会提供)

学術交流基金会は、フルブライト奨学金の国際交換プログラムを活かして、台湾の英語教育アシスタントとして米国から優秀な人材を招いている。(学術交流基金会提供)

アメリカ留学は多くの人の夢であり、台米交流の重要な一翼を担っている。写真はスタンフォード大学のキャンパスの一角。(荘坤儒撮影)
AITの米国イノベーションセンターでは、3Dプリンターワークショップを開き、参加者にデザイン性に富んだ作品を作る機会をもたらしている。(林格立撮影)

米国在台協会(AIT)新館の外観。