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タイ北部残留軍の物語を伝える「93師珈琲」

タイ北部残留軍の物語を伝える「93師珈琲」

文・龍珮寧  写真・林旻萱 翻訳・山口 雪菜

9月 2017

沈培詩はタイ北部山岳地帯のチェンライ県Phatang村出身の残留国民党軍の3世である。

台湾の作家・柏楊の戦争小説で1990年に同じタイトルで映画化もされた『異域』、それに李立劭監督のドキュメンタリーフィルム『那山人 這山事(Stranger in The Mountains)』は、いずれも国共内戦で雲南省からタイ国境地帯へ逃れた国民党軍の残留部隊の物語である。

5月18日の午後、台北市で万安演習(防空演習)が行なわれた日、演習開始のサイレンが鳴る前にコーヒー愛好家が集まっていた。「タイ北部コーヒー・シェアの会」と銘打つ会で、タイ北部国境地帯の「93師荘園」のオーガニックコーヒーを味わいながら、主催者でありタイ北部残留国民党軍三代目の沈培詩のアイデンティティの物語に耳を傾けた。

沈培詩はタイ北部山岳地帯のチェンライ県Phatang村出身の残留国民党軍の3世である。

27歳の彼女は、いつも軍人の象徴であるモスグリーンの上着を着て、幸運をもたらすと言われる青い目のアクセサリーをつけている。小柄で髪は肩まで、中国語を流暢に話す彼女は、台湾の大学に通っていた時に学校近くの「老柴珈琲店」でアルバイトをしていた。そこで顧客サービスやコーヒーの知識、淹れ方などを学び、タイへもどってから、故郷で生産されるコーヒー豆を使ってバンコク市内に「93Army Coffee(93師珈琲店)」を開いた。コーヒーの香りとともに、タイ北部の国民党孤軍の物語を伝えている。

93Army Coffeeはタイのバンコク大学、地下鉄エカマイ駅近くにある。コーヒーの香りにひかれて店に入ると、ミリタリー調でインダストリアルな内装が目に入る。

タイ北部山岳地帯産のコーヒー豆

93Army Coffeeはバンコク大学、地下鉄エカマイ駅近くにある。コーヒーの香りにひかれて店内に入ると、ミリタリー調でインダストリアルな内装の店内に軍関係の文物が展示され、コーヒーを味わいながら、国共内戦とタイ国境地帯へ撤退した孤軍の歴史に触れることとなる。

「第93師団」は今では多くの人にとってなじみのない言葉となり、店に来た外国人も「93Armyって何?」という反応を示す。

93Army Coffeeの商標は、国民政府革命軍第93師団の指揮官「沈加恩」の肖像である。1949年、国共内戦で国民政府軍の一部は雲南から険しい山々を越えてタイやビルマとの国境地帯に逃れた。これが「タイ北部孤軍」と呼ばれる。後の1970年、第93師団はタイ政府に協力してタイの共産党ゲリラと戦った。その結果、タイ国民としての権利が与えられ、そのまま現地に居住できることとなったのである。停戦後、それまで武装していた軍人や兵士は、現地でそのまま農業に従事することとなった。

タイ北部の国境地帯は「黄金の三角地帯」と呼ばれ、かつてはアヘンの原料となるケシを栽培していた。だが、これはタイのイメージを損なうだけでなく、現地の環境にも悪影響をおよぼす。そこで1969年、タイのプミポン国王が北部を視察した際に、タイ・ロイヤル・プロジェクト基金が設立されたのである。

この国王の下のプロジェクトと、中華民国国軍退除役官兵輔導委員会(退輔会)および財団法人国際合作発展基金会(ICDF)農業技術団の協力により、タイ北部の住民は農業技術支援を受けることとなり、これによってケシ栽培から経済的価値の高い作物の生産に切り替えていった。今ではロイヤル・プロジェクトの農産物はタイ国民や観光客から好評を博している。

沈培詩の父親、残留軍第二世代の沈慶復は、かつて高校・大学教育を台湾で受け、卒業後はタイ北部へ戻って経済価値の高い作物を栽培してきた。2009年にコーヒー栽培を開始し、「沈加恩」の名で「93師団コーヒー荘園」を開いた。

一般にコーヒーの経済的価値は高いと思われるが、農家が収穫した豆は仲卸業者に買いたたかれる。沈慶復は、栽培はできてもコーヒーを飲んだことはなく、コーヒーのことを何も知らなかったのである。コーヒー農家は、コーヒーを飲むお金を持たない――実はこれが多くの農家の現状なのである。

第三世代の沈培詩は、父に勧められて台湾に留学した。当初志望したのは服飾デザインだが、長女である彼女は悩み、学んだことを何とか故郷のために活かそうと考えて、経営学を学ぶことにした。タイ北部の故郷ではコーヒー豆を栽培していることから、台北大学近くの老柴珈琲館でアルバイトをしながらコーヒーのことを学ぶことにして、卒業後、帰国してカフェを開く計画を立てたのである。

国共内戦の期間中、国民政府軍は雲南省からタイやビルマとの国境地帯まで撤退し、そのまま現地に残留した。(写真中央は当時の指揮官・沈加恩、左は参謀長の瞿述城、右は政戦主任の魯大湛/沈培詩提供)

農家が飲めないコーヒーで起業

海外留学した人の多くが、留学先で就職するのと違い、沈培詩は帰国して働く決意を固めていた。台湾で学んだ専門と、自分のリソースであるコーヒー豆を活かそうと考えたのである。

故郷Phatang村のコーヒー畑は標高1200~1600メートルにあり、面積が狭く生産量が限られているため、広く流通している量産商品との競争は難しい。

また、現地での生豆の価格と焙煎後の市場価格には数倍の差がある。農家が20元で売った豆は焙煎を経て市場では100元で売られるのだ。カフェで100元で売られるコーヒーは、コーヒー農家の人々には高くて手が出せない。

タイのロイヤル・プロジェクトの下で生産されるタイ北部の農産物は品質が良いので多くのタイ人に支持されおり、外国からの観光客も、そこで生産される蜂蜜などを買っていく。

ところが、コーヒー豆の知名度はタイ国内に限られており、海外ではインドネシアやベトナム産のコーヒーほど知られていない。だからこそ、沈培詩は強い使命感を持ち、タイ北部の素晴らしいコーヒーを知ってもらおうと考えた。

「農家は優れた栽培技術を持っていますが、生産コストを差し引くと利益はほとんどありません。利益はすべて仲卸や国際食品メーカーに持っていかれるのです」と言う。こうした農家の暮らしを改善するために、多くの人にタイ山岳地帯のコーヒーを知ってもらいたいのである。

コーヒー豆の栽培から香り高いコーヒーができるまで、すべてのプロセスに専門性が求められる。農家はコーヒー栽培の専門技術を有しており、収穫された豆の付加価値を高めて販売する過程こそ、彼女が台湾で学んだ経営学やマーケティング、処理技術などを活かす場なのである。

93師珈琲の内装はミリタリー調で、料理にも軍を象徴する緑色があしらわれている。(沈培詩提供)

こうして起業の構想ができあがった。

何事も最初は難しいものだ。家族の支持を得た沈培詩は国際都市バンコクに店を開くことにした。20代での起業は、いま思い起こせば冒険だったと言う。何の経験もなかったが、あきらめることはできない。サービスは大丈夫か、コーヒーはお客の口に合うか、毎日閉店を迎えると、プレッシャーで疲れ切っていた。

「コーヒーが好きだからといってカフェが経営できるとは限らず、経営学を学んだからといって経営できるとは限りません」と話す彼女は、いろいろな調整をしながら何とか経営を続けてきた。2014年10月に開店した店では、タイ山岳地帯で有機栽培されたアラビカコーヒーと、台湾式ハンバーガーが味わえる。

努力家の彼女は、アメリカのバリスタの資格やパン職人の資格も取り、今ではコーヒー品評会の審査員や顧問も引き受けている。バリスタになるために彼女に教えを請う人も少なくない。

沈培詩は93師珈琲のコーヒー豆をもって来台し、故郷のコーヒーのシェア会を開いた。

サステナビリティとフェアトレード

故郷のコーヒー豆ブランドの知名度を高めて農家の収入を増やし、そこからさらにコーヒー豆の品質を高めていくといのが彼女の希望である。

コーヒー農園では収穫時は忙しく、臨時に雇う人手も足りなくなる。たわわに実ったコーヒー豆は熟した赤い実だけを選んで収穫し、未熟なものは残さなければならないが、少ない報酬で選びながら収穫するのは時間がかかり、効率も悪い。

収穫した豆の熟成度がまちまちだと、焙煎後の品質にも影響する。そこで沈培詩は、農家の人々に収穫方法を教えつつ、SNSを通してコーヒーを愛する人々に声をかけ、ボランティアを募集する。一杯のコーヒーが出来上がるまでの大変な生産過程に参加してもらおうという考えで、そこにはサステナビリティとフェアトレードの理念も込められている。

沈培詩は、タイ・スペシャルティコーヒー協会(SCATH)の会員で、定期的に協会メンバーやボランティアを率いてタイ北部の山岳地帯へ赴き、コーヒー農家に協力している。

彼らは野外に簡単なテントを張って寝泊まりし、昼間はそれぞれコーヒー畑へコーヒーの苗を届けて一緒に植える。しかし、山岳地帯では気候や緯度などの条件はさまざまで、それぞれの畑にふさわしい品種も異なる。実際に植えてみなければわからないことも多く、土壌にあう品種を見出すのには長い時間がかかる。

現地の農家と良好な関係を築くのは、売買の利益のためではない。沈培詩は長靴を履き、スコップを手に土を掘って苗を植える。未来の希望を象徴する一つひとつの苗を自ら植えながら、彼女は自分も農家なのだと言う。

夜になると、虫やカエルの声が響き渡る中、仲間たちと語り合う。タイ各地、世界各地から集まったコーヒーを愛する人々と一緒にコーヒーを味わいながらコーヒーについて夜中まで語り合うのである。山で淹れるコーヒーは格別においしいと沈培詩は言う。

沈培詩は、タイ北部のコーヒーを高品質のブランドとして打ち立てたいと考えている。第93師団コーヒー荘園ブランドのコーヒー豆は、すべて品質と、環境の持続可能な発展を考慮したもので、どの山で生産され、どのような処理工程を経たか、誠実な生産履歴が公表されている。農家に対しても合理的な取引価格を提示することで農村の生活は改善し、それがさらに良いコーヒー豆の栽培につながり、消費者はより質の高いコーヒーを飲めるということで、好循環が生まれる。

沈培詩は、故郷のコーヒー豆を活かして起業し、「持続可能な発展とフェアトレード」を理念に一歩ずつ歩み、原料の品質と流通ルートを掌握してきた。

沈培詩は定期的に台湾とタイを往復しており、コーヒーフェアなどに参加している。最近は、台北で「コーヒー・シェア会」を開いて93師珈琲を正式に台湾に持ち込んで販売を開始すると宣言した。将来的には台湾に支店を開きたいと考えている。93師珈琲を通して、タイ北部残留軍の生きざまを伝えるとともに、台湾とタイの農業技術協力と持続可能な発展およびフェアトレードをさらに進めていきたいのである。

沈培詩はタイ・スペシャルティコーヒー協会のメンバーとともに定期的にタイ北部を訪ね、コーヒーの苗の植え付けに協力している。(沈培詩提供)

たわわに実ったコーヒー豆は、赤く熟した実だけを選んで収穫し、まだ赤くない未熟なものは残さなければならない。

一杯のコーヒーができるまでには、数々の大変な過程がある。

沈培詩はタイ北部のコーヒーを高品質のブランドとして打ち立てたいと考えている。第93師団コーヒー荘園ブランドのコーヒー豆は、すべて品質とサステナビリティを考慮したもので、どの山で生産され、どのような処理を経たか、誠実な生産履歴が公表されている。