将来を見据えてベトナムへ
「子供が生まれる前には、もう靴製造の仕事をしていました」。ホーチミン郊外にある昶勇グループのホテルで、同グループ総裁の袁済凡が我々のインタビューに答えてくれた。海外で奮闘してきた過去をこう振り返る。
「当初の計画では、ベトナムに長く留まる予定はありませんでした」。1975年、袁済凡は靴のゴム中底と本底を主力商品として台南で起業した。プーマやアディダスなど、国際的なシューズメーカーを顧客としている。台湾は土地が狭く、人件費が高いため、より効率の良いビジネスのために海外進出を思い立ったという。
中国大陸への進出が盛んだった時代に、袁済凡は中国、インドネシア、タイ、カンボジアで現地調査を行った。当初ベトナムはアセアン地域での第一候補ではなかった。しかし、ベトナムは人口1億人、平均年齢30歳台、広々とした土地があって、人件費が安い。文化的にも台湾と近く、様々な条件を考慮して、彼はこの地を選んだ。
多くの台湾人企業家にとって、ベトナムでの長期滞在は予想外の成果だった。2007年にベトナムへ渡った和鼎隆建築公司の董事長、ベトナム台湾商会連合総会会長・簡智明も「こんなに長く滞在するとは夢にも思わなかった」と語る。ベトナムの将来性に投資した結果というよりも、ビジネスパーソンの直観が彼らを導いたといえる。
簡智明は国立成功大学建築学科を卒業後に建築士となり、台湾プラスチックグループと共に高雄長庚医院、嘉義長庚医院、麦寮製油所など台湾の大型公共建築に携わった。後に台湾プラスチックのベトナム進出計画によってこの地を訪れる。
建設業は特殊な業界で、未開発の地域こそ発展の可能性がある。一度は上海で活躍の場を探したこともある簡智明だが、ベトナムでその機会を得た。台湾企業の多い南ベトナムで会社設立後、東南アジア進出ブームに乗り、台湾プラスチック、建大工業、興采グループ、震興グループなど台湾企業の工場や事務所建設を次々と請け負った。
ベトナムに来て今年で16年目を迎える。これまでに手がけたプロジェクトは180件を超え、200人の従業員と3000人の施工チームを有する規模に成長した。近年、ベトナム北部の発展と需要の高まりに対応するため、北ベトナムのハイフォン市に支店を設立した。実際のところ、ベトナムの経済水準が高まるにつれて、競争も激化している。「しかし、当社の経営は安定した段階に達しています」と簡智明は自信をもって答えた。
和鼎隆建築董事長・簡智明。縁あってベトナムを訪れ、この地に根を下ろした。