海外から帰国して7年になる頼其万医師は、故郷に帰ってきたのに、まるで自分が異邦人のように感じると嘆く。何とか郷里に貢献したいと努力しているのに、無情な仕打ちを受けるのである。
頼其万医師の言葉には、医師と患者の双方に対する期待と呼びかけが込められている。
台北の関渡にある和信病院、神経内科の頼其万医師のオフィスの壁には一枚のパッチワークがかけてある。これは7年前にカンザス大学医学部から台湾に戻ってくる前に、頼氏が創設した癲癇(てんかん)の子供のためのサマーキャンプに参加した子供たちが、記念のプレゼントとして作ってくれたものだ。
1988年、頼其万医師はアメリカから帰国し、まず花蓮慈済医大の副学長と学部長に就任した。4年後に花蓮から台北に移り、和信がんセンターで神経内科の医師として働くほか、台湾癲癇医学会の理事長も務め、癲癇に苦しむ子供たちのために「楊森陽光サマーキャンプ」を設立した。
癲癇の子供は一般にサマーキャンプへの参加を断られるが、頼其万医師は、アメリカと台湾でそうした子供たちの夢をかなえたのである。しかし、故郷に貢献したいという頼医師の夢はかなったのだろうか。
パッチワークに刻まれた患者たちの感謝の言葉は、常に頼其万医師の心を暖めてくれる。(頼其万提供)
名医が良医とは限らない
アメリカで医師として23年、カンザス大学で神経科の教授を務めてきた頼其万氏は、台湾に帰国したばかりの頃、国内の医学界に対する批判を繰り返してきた。
歴史学者ダニエル・ブアスティンは「今日の社会において多くの英雄は著名人に覆い隠されている・・・著名人はニュースをつくる者であり、英雄は歴史をつくる者である」と述べている。頼其万医師は、今日の台湾には多くの名医がいるが、名医は必ずしも良い医師とは限らないと注意を促す。
台湾では名医とされる医師の問診に長い列ができる。
頼其万医師によると、海外では1人の患者を診るのに30〜50分かけるが、台湾では3〜5分で済まされる。「SARSが流行していた時期、全国の病院の外来患者数は大幅に減少しましたが、死亡率は上昇しませんでした。イスラエルで医師がストライキを行なった時にも、そのために死亡率が上ることはなかったのです。外来問診の多くはその必要がないということです」と言う。
問診では、まず患者の病歴を詳しく尋ね、それでも病因が確定できない時に検査を行なう。だが現在は、多くの医師が業績を上げるために短時間で問診を済ませ、たくさんの検査をする。神経科の場合、CTスキャンやMRIスキャンなどが濫用されている。「想像できないかも知れませんが、イギリスの都市の中には、こうした高価な検査機器さえないところもあるのです」と頼医師は言う。
医師と患者の関係は必ず回復できると考える頼其万医師は、医師にはやるべきことと、やってはいけないことがあると語る。
患者の再教育が必要
頼医師は、台湾の患者と接触するうちに、医学界や病院だけを批判することはやめた。
「医師と患者の関係において、一方だけを責めることはできません。結婚生活がうまくいくかどうかは双方の責任なのと同じです」と頼医師は感慨を込めて言う。
まず、国民は薬の使用に対する考え方を変える必要がある。「多くの人は、医師が薬をたくさん処方してくれるほど良いと思っているようで、その副作用や薬剤の相互作用などは気にしません」と指摘する。
慈済病院が山間の集落でボランティア診療を行なった時、ある患者が、毎日口や舌が乾き、よく眠れず、気分がすっきりしないと訴えた。頼医師が詳しく尋ねると、その人は心気症を患っていて毎日6種類の薬を飲んでいるという。上記の症状はすべてこれらの薬の副作用だったのである。そこで頼医師は根気よく患者に説明し、少しずつ薬の服用をやめていけば、これらの症状は解決できると言うと、患者はうなづきながら聞いていたが、最後に「先生は、どんな薬を出してくれるんですか」と聞いてきたのである。
また現在、台湾の患者の多くは、一つの病気を何人もの医師に診てもらうために病院を「はしご」するが、これは海外で提唱されている「セカンド・オピニオン」とは違う。台湾の患者は、第二、第三の医師に診てもらうことを最初の医師に伝えていないため、医師同士が討論することもなければ、検査結果を共有することもない。その結果、どの医師も最初から検査をしなければならず、同じ薬を処方することになり、医療資源を浪費するだけでなく、治療の時機も逃してしまう。
「台湾の患者の一部は公徳心がなく、礼儀も知りません」と頼医師は言う。慈済病院で学生の授業も兼ねて問診をしていた時、午前いっぱいをかけて6〜7人の患者を診て、患者の同意を得て病状について学生と議論をしていた。
ある時、待合室の患者が待ちきれなくなり、大声で「この医者は腕が悪いから、こんなに時間がかかるんだ」などと言い始めた。ところが、この患者の番になると、詳細な検査と説明を受けた後、待っている他の患者のことなどお構いなしに、自分の母親や妻の健康状態について相談してきたのである。一人が診察を受けて、家族全員の薬まで出してもらおうというのである。
こんなこともあった。患者からある薬について聞かれたが、よく知らないので手元にあった薬品事典を引いて調べていると、その患者は、感謝するどころか「経験のある大教授だと思ったから来たのに、調べなければ分からないなんて」と言ったのである。
「その瞬間、私は寂しくなり、泣きたい気持ちになりました」と話す頼医師は、故郷に帰ってきたのに異邦人のように感じることがあると言う。故郷に貢献したいと思っているのに、しばしば無情な仕打ちを受けるのである。
教育に力を注ぐ
頼其万医師は学生の教育に多くの時間を割き、力を注いでいる。教育に力を注いでも、昇格しないし、お金も儲からないが、これを楽しいと感じている。
「医者として何かをするチャンスがあるのに、それをしなければ申し訳ありません」と語る頼其万医師は、成功大学、台湾大学、慈済医大などで講座を開いている。なるべく多くの医学生と接触し、良い影響をおよぼしたいと考えているからだ。「こうしてこそ、台湾の役に立てると思えるのです」と言う。
木曜日の午後は和信病院で学生を率いて回診の授業をする。いつもの通り、まず会議室で回診対象患者のカルテを確認し、続いて実際に病室を回って患者の状態を診て、それから再びレントゲン写真などを見て話し合う。
頼医師は、臨床教育は極めて重要だと考えている。学生は、この機会に、教授がどのように患者やその家族と関係を築くのかを目で見て学ぶことができる。また事前に患者の同意を得て、事後には患者の協力に感謝するといった礼儀も学ぶことができる。これは言葉では教えられないものだ。
頼医師は、30年前に自分がまだインターンだった頃の経験を思い出す。臨床教育の時に、教授が患者の足を持ち上げる前に、1本のタオルで患者の臀部を覆ったのである。その思いやりのある動作に頼氏は感動した。「その時に教授が話した言葉は何も耳に入らず、私はそのタオルのことばかり考えていました」と言う。
学生の心にも「良い医師」のイメージを刻んでもらおうと、頼医師は現代医学雑誌に「台湾良医列伝」というコラムを設けた。全国に11ヶ所あるの医学部の学生に、台湾各地で黙々と医療に取り組んでいる良医を訪ねさせ、実際に良い医師に触れさせる機会を作っている。
頼其万医師は「故郷の異邦人」であるだけではなく、一部の同業者からは「高潔ぶっている」「異分子」などと思われている可能性もある。特に、多くの医師が外来診察数や手術数をこなさなければならない環境に置かれる中、頼医師は、少ない患者数で高い医療の質を保つ環境を得ているからだ。
しかし頼医師は、一人の医師として、やるべきことと、やってはいけないことがあり、自分の理念を堅持すれば、制度との間で均衡を図る方法が見つかるはずだと考えている。頼医師は振り子の理論を信じている。「台湾の医療制度はすでに最悪のところまで来ているので、今後はその反動で良い方向に向っていくでしょう」と言う。頼医師は、学生が大きな流れに同調せず、理想を強く持つことを願っている。多くの人が心を一つにすれば、それが大きな力になり、いずれは医療の春が訪れると期待しているのである。