織物を学ぶため北台湾を奔走
当初、家政講座で伝統的な機織りを学びたいというタイヤル族の女性は多かった。彭さんによると、当時誰も機織り機を持っていなかったので受講生たちは厚みのある木の板を使って類似のものを作った。それを使い、最も難しい伝統的な縦糸張りや糸すくいから始めたそうだ。
タイヤル族は台湾原住民族の中で分布範囲が最も広い。当時、集落の受講生たちは数名で車を出し、頻繁に全国各地の集落でフィールドワークをしたり、台中にある原住民委員会工芸技術研究センターに行き講座に参加したりしていた。林美鳳さんによると、当時のメンバーはタイヤル族の四大居住地域の織り方をすべて学び、何日も疲れ知らずで機織りに勤しんだという。
また、受講生たちは輔仁大学織物服装学科が開設した原住民族の染織・刺繍工芸の教師育成コースにも参加した。そこでは織物の模様の構造や機織り工芸技術の分析・記録方法、杼を使って織る方法を学んだ。林さんは方眼ノートの束を取り出し見せてくれた。ノートにはさまざまな模様が描かれ、それぞれに対応する織り方が記されている。例えば菱形模様の肩掛けについてのメモには、「麻糸、10/3、上1、下3」などと書かれているが、「これは自分だけがわかる機織りのコードなんです」と笑顔で説明してくれた。
原住民族の伝統文化はこれまで口伝により継承されてきた。織物や衣服などの芸術文化も同様だ。林さんは民族衣装を見せ、「タイヤル族の衣服(の模様)は前側よりも背中側の方が賑やかなんです。というのも昔は首狩りの風習があり、霊にまとわりつかれるのを怖れていたためで、背中側の模様に織り込んだ人形で、霊を追い払うという意味合いがあるんですよ」と教えてくれた。
近年、原住民族の伝統的な知的創造物に目が向けられるようになっている。烏来一帯のタイヤル族「屈尺群」の女性で織物をする人たちは、自分たちの民族のトーテムに注目している。今は亡き長老・高茂源さんが烏来タイヤル民族博物館に寄贈した品や、国立台湾大学人類学博物館が収集した文化財から、「×○×○」の文様が「屈尺群」だけのものであり、男女の連体や家族の繁栄を象徴していることが確認されている。
烏来のタイヤル族は30年ほど前から織物文化復興に取り組んでいる。伝統的な織り方だけでなく、改良された卓上織機を使った織り方も学んだ。それまで民族衣装を見たこともなく、機織りもしたことがなかった女性たちは、今や織物文化のれっきとした伝え手だ。織物はもはや母から娘へと受け継がれる工芸ではない。民族に関係なく、学ぶ気持ちさえあれば誰でも学べるし、それが男性であってももう門前払いなどされない。