新たな世代の新たな観点
移住者の二代目は、アイデンティティやルーツに強い意識を持つかどうかに関わらず、異なる国や文化、エスニックの間を行き来する過程で、必ず自分のルーツを探し、アイデンティティを見出すという経験をする。そして最後には現実的な対応方法を見つけ、「自分が誰か」の答えを得る。ただ、その過程で多くの矛盾や苦しみ、衝突に出くわすことも免れ難い。
楊万利の場合、10人の家族全員が移住を終えるのに10年近くかかった。そうした経験で家族は強く結ばれているが、育った環境の違いは考えの相違を生み、世代間で激しく衝突することもある。「これにはたびたび困ります」と言う。
だが楊万利はこんな例も挙げる。宗教の盛んなミャンマーでは各エスニックがそれぞれの方法で神を祀る。華人は線香を手に観音を拝み、ビルマ族は仏に花を供えるというように。だが大きな寺院では線香と花を一括りにしたお供えも見る。主に華人が供えたものだ。この「二文化混合」の方法を、彼女も自らの生き方で試したいと言う。
一方、ビルマ残留軍の末裔である段培権は大学卒業後も台湾人としての戸籍がなく、そのせいでミャンマーに帰れないという時期があった。彼の曲「台湾」ではこう歌われている。「お前の祖国だと長年教えられ続けた挙句、自分は影のない透明な存在だと知った」と。幸い、特殊な事情が考慮され、各方面の支援もあり、ミャンマーの国籍放棄を前提に、まず台湾の永住権を取得、その後一定期間を経て台湾の身分証を取得できた。
身分証取得までの長い間、彼は自分にこう言い聞かせた。「俺はずっとここに住んで、台湾が好きだ。ここが自分の家だ」と。一昨年に台湾人と結婚した彼は、妻にも「あなたは台湾人よ」と言われ、喜んでそれに同意している。
雲南人か台湾人か、それともミャンマー華僑か。呼び方はどうであれ、確かなのは彼らは一つの範疇には収まらないということだ。彼らは移民の島の民であり、国境を越えて各地を行き来する世界の公民なのである。