台湾の街角で、ベトナムの米麺・フォーやネイルサロン、シャンプー店を見かけることが増えている。大学のキャンパスでは、はるばるやって来たベトナム人留学生を多く目にする。南投の茶畑、台東のキンマ畑、美濃の水蓮菜の水田、小琉球の民宿や、こねた小麦粉をねじった揚げ菓子・麻花の工場で......目につくのは、台湾人の配偶者となったベトナム人の懸命に働く姿だ。
台湾の中のベトナム、ベトナムの中にもある台湾。
ベトナムのスーパーやコンビニでは、波爾茶ブランドのお茶やMr.ブラウンのコーヒーが売られ、街角ではフライドチキンチェーンのHOT-STARや胖老爹、ドリンクスタンドの50嵐、「Taiwan No.1」の言葉を冠したドリンクブランド・幸福堂をよく見かける。ホーチミン市内を走る2階建て観光バスの車体には台湾の四季が描かれ、台湾人気がうかがえる。
1700キロの距離があっても、台湾とベトナムの交流はかくも活発だ。だが、物語は決して今に始まったわけではないという。
3時間のフライトの終盤、飛行機の窓からホーチミン市の景色が飛び込んでくる。蛇行する黄色く濁ったサイゴン川とその賑わい、密集する建物、高層住宅の間に驚くほどひしめく細長い低層住宅は、さながらレゴブロックのようだ。
最も身近でありながら馴染みのない国
台湾にとってベトナムは、最も身近でありながらも馴染みの薄い東南アジアの国だ。台湾がさまざまな政権交代を経験したのと同様、ベトナムも中国から約1000年、インドから400年、フランスから100年、米国から20年にわたり大小の影響を受けてきた。外国と現地の文化の衝突や融合がそこかしこに見られるという点は、台湾の人たちからすると、言葉にせずとも通じ合える点だ。
ホーチミン市の通りという通りを行き交う車やバイクの動きは雑然とした中にも秩序がある。道路脇にはフタバガキの木が茂る。フランス植民地時代に植えられたこれらの大木は、樹齢100年を超え、7〜8階建てのビルの高さまで成長する。フランス文化の影響を受けたベトナムの人たちは、外の木陰の席で共にコーヒーやビールを飲むのが特にお気に入りだ。
ローマ字表記のベトナム語で書かれた店の看板の下、店舗入り口や家の床には小さな祭壇が置かれていることが多い。ベトナム人は、床に祭壇があることでより地に足がつき大地のパワーを得られると信じているという。神牌に目を凝らすと「福徳正神」の字が目に入る。フランス植民地時代に使用文字がローマ字へと大きく変化したベトナムだが、古くは漢字が公式の文字として使われていた点で日本や韓国と似ており、今でも特別な場面や古典では漢字を見かけることがあるのだ。
ベトナムは豊かな物産に恵まれ、米食を中心として新鮮な野菜も数多い。 写真は、生春巻き(上)、フォー(左上)、バインセオ(ベトナムお好み焼き)(左下)。
緊密化する台湾とベトナムの交流
離れていても文化的に共通点のあるベトナムは、今や台湾の重要な経済貿易パートナーだ。台湾第2の海外投資先として、現在ビジネスマンやその家族を含めて約9万人の台湾人が駐在や出張で滞在している。先に開発されたベトナム南部にはより多くの台湾企業が集まる。人数が多いため、ベトナム台湾商工会議所は14の支部に分かれており、ビンズオン省台湾商工会議所は会員数600人以上と、世界の台湾商工会議所としては最多の人数を抱え、「集会に出るには、回数やエリアを分けなければならず、5カ所をはしごしましたよ」と、在ホーチミン台北経済文化代表処の韓國耀処長が笑顔で語る。
一方で台湾にいるベトナム人は、台湾人の配偶者が約11万人、その子供世代が約10万人、移住労働者が約25万人、留学生が約2万人と膨大な人数に上り、近年、新たなエスニックグループの中でも注目される存在となっている。
このように台湾とベトナムの関係にしっかりした基盤があることで、両国は互いに訪問国としての主要国となっている。今年(2023年)1月から7月までの観光署(旧・観光局)の統計によると、台湾への入国者数でベトナムは第5位、ベトナムへの入国者数で台湾は第4位となっている。
ホーチミン市の市街地を巡る2階建て観光バス。在ホーチミン台北経済文化代表処の韓國耀処長は、ベトナム人の台湾訪問を歓迎すると述べた。
始まりは先史時代
台湾とベトナムの交流密度は現在、歴史的なピークを迎えている。しかしその起源をたどると、決して「南向政策」や「新南向政策」が打ち出されて始まったものではないことがわかる。
オーストラリア国立大学アジア太平洋学群言語歴史文化学部考古学・自然史学科の上級研究員・洪暁純氏は、かつてベトナム南部で台湾・花蓮県豊田産の玉の耳飾りを発掘しており、これが台湾とベトナムの関係が2000年余り前まで遡ることができる証拠であるという。
台湾とベトナムの比較文化を専門とし、ベトナムの歴史にも精通する国立成功大学文学部台湾文学学科の蒋為文教授は、台湾とベトナムの交流史における重要な出来事について教えてくれた。
17世紀、オランダ人が東インド会社を設立して商売のため極東を目指した際に、オランダ人に同行し台湾北部にやってきたベトナム人がいた。彼らは紅毛城の建設に参加し、オランダ人の指揮下で兵士として守備業務に就いた。
明朝の遺臣で、鄭成功の元部下である陳上川は、清朝に対抗して明朝を復興させるため、3000人の兵士を率いてベトナム北部の阮氏政権に加わった。現地で「明郷人」と呼ばれた彼らは、政権の指導者である「阮主」から官吏に任命され、南部開拓を支援した。開拓が成功したことで、陳上川は死後、「上級神」と称された。現在でもホーチミン市の明郷嘉盛会館 (Minh Huong Gia Thanh Temple) 、ビエンホア市のタンラン寺 (Tan Lan Temple)、そしてオンパゴダ (Ong Pagoda) に陳上川の神像があり、旧暦10月下旬には盛大な祭りと巡行が賑やかに行われる。
台湾史上初の海外紀行文学『南海雑著』についても触れておかねばなるまい。清代道光年間に、澎湖で初の科挙合格者である進士となり、後に「開澎進士」と呼ばれた蔡廷蘭が、1835年に科挙受験のために福州へ行き、試験を終え金門の料羅湾から船に乗ったところ、台風に巻き込まれ、誤ってベトナム中部に流れ着いてしまい、帰国まで3カ月を要したという。彼はこの不思議な体験を『南洋雑著』という本にまとめた。この本は再版が重ねられ、ベトナム語、ロシア語、日本語にも翻訳されていることから、蔡廷蘭は台湾の世界レベルの作家の元祖のような存在なのだ。
ベトナムで開催された「ベトナム文学国際PR会議」に台湾語ペンクラブを率いて参加する蒋教授(中央)。(提供:蒋為文教授)
近代台湾のベトナム史、近代ベトナムの台湾史
時代は国際情勢が刻々と変化する20世紀を迎える。この時代、台湾とベトナムの間には密接な交流が見られた時期があった。
ベトナム戦争の影響を受け、1966年、中華航空の最初の国際線としてサイゴン(現:ホーチミン市)行きの便が就航した。
画家の劉其偉や「軍隊詩人」の洛夫、瘂弦、張黙、管管らは、軍務のためホーチミン市に長期暮らし、ベトナムに関連する創作も残した。 さらに現地の文学界と交流し、中国語で創作をするベトナムの詩人に影響を与えた。
高雄市の澄清湖には「富国島」という人工島がある。そこには1949年に広西から撤退し、ベトナムのフーコック島(富国島)に留まった中華民国国軍を偲ぶ記念碑が建てられている。
また、クォン・デのストーリーも劇的な出来事として挙げられる。クォン・デは日本統治時代に日本人の支援を受け、1939年に台湾にやってきたベトナムの王族だ。
ベトナム独立を切望したクォン・デは、現在の蔡瑞月舞踊研究社周辺に滞在し、同郷仲間を組織して台湾文学基地の近くに事務所を構え、台北放送局(現:台北二二八紀念館)でラジオ放送を始めた。有名な蓬莱閣で食事をしたり、現在は北投文物館となっている場所で温泉に入ったりしたこともある彼は、写真を愛し、台湾の写真家・彭瑞麟と親交を深めた。クォン・デが残した写真は全て彭瑞麟による撮影なのだが、この歴史は、外交官の夫とホーチミン市に2年半暮らした洪徳青さんにより掘り起こされ、『ベトナムの王子、彭瑞麟の写真館に足を踏み入れる』という本にまとめられるまで、ほとんど知られていなかった。
蒋為文教授の積極的な働きかけにより、台湾ではベトナムをテーマにした書籍が数多く出版されている。
南の起業家パラダイス
1976年に南北ベトナムが統一され、1986年には改革開放政策が実施され、外資が競って投資をおこない、ベトナムは飛躍的な発展を遂げた。ASEAN(東南アジア諸国連合)の主要メンバーであるベトナムは、RCEP(地域的な包括的経済連携協定)やCPTTP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)といった組織にも参加しており、中国にも近いことから発展にはかなりの優位性があり、台湾企業進出が盛んな場所だ。現在、台湾は、シンガポール、韓国、日本に次ぐ第4位の対ベトナム投資国となっている。しかし、現地の台湾企業によると、第三地経由の対ベトナム投資をすることが多い台湾企業は、実質的な数字なら、台湾の対ベトナム投資額は1、2位を争うはずだという。
初期の頃、台湾企業がベトナムに進出したのは、現地の人件費と土地代の安さに魅力を感じたためだ。そこでベトナムが開放された後、最初に進出した企業は主に従来の労働集約型産業である履物、繊維、木製家具、自転車などの産業が中心だった。その主な立地は、ホーチミン市近郊のドンナイやビンズオン工業団地(台北近郊の新北や桃園工業団地のような場所)だ。
これらの工場のほとんどは巨大で労働集約型であり、工場労働者数は1万人に達することも多い。「台湾企業の養っている人数が一番多いと言えますね」と履物用ゴム製品製造大手の昶勇グループ (Eternal Prowess) の創始者であり、ホーチミン市台湾商工会議所の会頭を務める袁濟凡氏はこう語る。例を挙げると、台湾の履物大手・宝成工業は、ベトナムに数万人もの従業員を抱えており、年末のボーナスやリストラ実施についてなど、しばしばニュースで取り上げられている。
ホーチミン市はその発展の早さからベトナムの商業の中心地となっているが、首都ハノイの開発もベトナム政府によって積極的に進められている。2006年にはハノイの主催でAPEC首脳会議が開かれ、同年8月にはハノイに隣接するハタイ省と、ヴィンフック省、ホアビン省のそれぞれ一部が編入され、ハノイ市はベトナム最大の都市となった。
建設会社・昇裕工程の董事長であり、ハノイ台湾商工会議所の会頭でもある洪志華さんが、ベトナムとの切っても切れない絆について語ってくれた。もともと公務員だった洪さんは、2006年に仕事でハノイにやってきた。キャリアの最終停車駅で「たまたまハノイの目覚ましい経済転換に間に合ったのです」と語る声は感慨深そうだ。ベトナムに好感を持ち、自身が築いた人脈もあるので、洪さんは定年退職後にベトナムで人生の新たな章をスタートさせることにした。建設業に従事する洪さんは、現地の開発ニーズに応えて数々の工場建設プロジェクトを手がけており、ハノイの変革に自ら携わってきたと言えるだろう。
1941年、蓬莱閣での食事の後、記念写真に納まるクォン・デ夫妻(前列左2、前列右1)と彭瑞麟夫妻(後列右1、後列中央)。第二次世界大戦中の台湾の歴史・外交・政治の様子を伝えるこの写真は、洪徳青さん(下)の著書『ベトナムの王子、彭瑞麟の写真館に足を踏み入れる』執筆の原点となった。(『彭瑞麟と私たちの時代』より。提供:猫頭鷹出版社)
土地に心を掴まれ
ベトナムに根を下ろすまでのいきさつについて洪さんから聞いたわけだが、不思議なのは、多くの台湾人がベトナムに来ると同じような心境の変化を経験するということだ。図らずもベトナムに来た彼らだが、ベトナムがくれる機会と栄養がこうした人たちをベトナムに留まらせ、それぞれの分野で実を結んでいる。
ベトナムのおかげで作家としての人生をスタートさせた洪徳青さんは、ディープなベトナム旅をする多くの人の参考書となった『南に向かう足音』や、『ベトナムの王子、彭瑞麟の写真館に足を踏み入れる』を執筆し、この時代における写真、国際政治、外交といったあまり注目されてこなかった興味深い歴史的要素をひも解いた。
東南アジア問題に関心を持ち続けてきたマスコミ業界の廖雲章さんは、家で働いてもらっているベトナム人の手紙が読めるようになりたいと思っていた。ちょうど仕事に疲れていた頃で、時間を取りホーチミン市人文社会科学大学に短期留学し、女性の視点から、現地での見聞を『サイゴン100日放浪記』にまとめた。ベトナムで体験した人情と築いた人脈は、以来、廖さんが東南アジアに注目する上での大切な座標軸となっている。
20年以上にわたって台湾とベトナムの二国間比較研究に携わってきた蒋為文教授は、言語学的な研究を通してベトナムに注目した。その後、蒋教授は、外国文化の激しい勢いに押されながらも、依然として民族の主体性を維持しようと努力しているベトナム人の民族としての自信としなやかさは、台湾でも見習うに値する点であることに気づいた。そのため、学術研究だけでなく、台湾ベトナム文化協会や台湾語ペンクラブなどの民間団体を通じて講演会やフォーラムなどのイベントを積極的に開催し、台湾とベトナムの市民交流推進の重要な旗手を務めている。
台湾人ビジネスマンたちはこう言う。台湾人は連帯感やしたたかさを持つことから、金融危機や華僑排斥事件が起きてもひるまず、むしろ粘り強さが倍増すると。こうした姿勢は、ベトナム人の『柔中に剛あり』という民族性に一致している。
このように背景は違えど、台湾の人たちはベトナムでそれぞれに力のかけ所を見つけている。「ベトナムの土地には心を掴まれてしまう」と、この土地に長く住み、根を下ろした人は語る。彼らのベトナムでの出会いにより、観光にくわえ台湾とベトナムの複雑かつ繊細な交流が展開されてきたことは、世界の枠組みの下、両国の関係が古の時代から現在まで途切れることなく、絡み合いつつ密接に結びついてきたことを物語っている。
賑わうホーチミン市の路上は常に交通量が多い。
台湾人教育者の理念のもと設立されたローレンス S.ティンメモリアルスクール。
ベトナムには多彩な軽食文化があり、街を歩けば、食欲をそそられる庶民の味覚との出合いも多い。
戦乱の時を経て、大きな可能性と魅力を秘めた国として勃興するベトナム。
ビエンホア市のタンラン寺に祀られている陳上川の神像は、台湾とベトナムの歴史的なつながりを示している。(提供:蒋為文教授)