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「新南向 文化サロン」

「新南向 文化サロン」

人を中心とした 新住民との交流

文・曾蘭淑  写真・林格立 翻訳・山口 雪菜

11月 2020

写真前列右から順に、『光華』編集長・陳亮君、行政院経済貿易事務所交渉副補佐官・黄中兆、文化台湾基金会プロジェクトリーダー孫平、外交部国際伝播司副司長・黄志揚、台湾アジア交流基金会董事長・蕭新煌、南洋台湾姉妹会理事長・李佩香。

日が差したり雷が鳴ったりする午後、『台湾光華雑誌』は台湾アジア交流基金会とともに、思劇場で「移動する東南アジア——新住民(海外から移住してきた人々)が見る新南向政策」をテーマとする座談会を開催した。多くの参加者が等しく語ったのは、台湾において、新住民は台湾文化をより多様なものとし、また強い生命力をもたらしているという点だった。

「新南向政策」は、政府の重要な経済戦略目標です。1994年に李登輝元総統の任期中に始まり、政府や国営·党営事業の資金を東南アジア諸国に振り向けた政策は、南向政策1.0と言えるでしょう。2003年に陳水扁元総統の時期に始まったのが南向政策の第二弾ですが、民間の参画はなく、効果は限られていました。

では、2016年から始まった「新南向政策」はどこが「新しい」のでしょう。第一は人を中心としている点、第二は豊富化、多様化、そして民間の投入を推進しているところです。経済だけでなく、教育や農業、医療などの面で双方の人々の利益にならなければなりません。人と人との関係が良くなれば、資金は自ずと動くものだからです。

台湾には、就労や留学、結婚などで東南アジアから移住してきた人が大勢暮らしています。中でも、ここに根を下ろして暮らす「新住民」は私たちの仲間ですから、しっかりとサポートすることです。そうすれば、新南向政策は台湾から始めることができるのです。

『台湾光華雑誌』は、新南向政策対象国の文化や新住民について多くの報道をしています。『光華』を支持する立場の外交部として、毎号発行前に最初の読者として楽しく読んでいます。『光華』の東南アジア語版も発行しており、これは正しい方向です。

台湾に暮らす新住民の方々は、文化交流と融合の機会、それに強い生命力をもたらしてくださり、台湾文化をさらに多様なものとしています。ここにご参加のすべての方が参画者です。

文化の面から言うと『光華』は台湾各地で取材を進めており、特に新住民文化に関しては感動的な物語を数多く紹介しています。こうした物語をより多くの台湾の人々に知ってもらい、互いの理解を深め、素晴らしい文化交流が進むことを願っているのです。

新住民のコミュニティ活動参加について説明する南洋台湾姉妹会の李佩香理事長。

司会者/陳亮君(「台湾光華雑誌」編集長):新南向政策は政府の政策ですが、これを有効に推進していくには、さまざまなプラットフォームや基金会のサポートも極めて重要です。そこで、行政院の経済貿易交渉事務所と台湾アジア交流基金会から、2016年に始まった新南向政策の方針や具体的な成果についてお話いただきたいと思います。

黄中兆(行政院経済貿易交渉事務所‧交渉副補佐官):私たちの部門は台湾の対外交渉業務と新南向政策を担当しています。政策面では資金だけでなく「人」に重点をおくことを重視しています。コロナ禍で今年は医療衛生面が重要な要素になりました。衛生福利部の統計によると、今年1~3月、台湾から東南アジアへの医療物資の輸出は10%成長しました。

貿易‧投資面を見ると、東南アジア貿易における台湾のライバルである日本と韓国の数字は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2桁衰退しましたが、台湾はわずかながら成長しており、新南向政策が正しいことが見て取れます。

教育面はどうでしょう。東南アジアから台湾に来る留学生の推移をみると、以前は国情や華僑の関係でマレーシアからの留学生が最も多かったのですが、新南向政策によって、昨年からはベトナム人学生がマレーシアを超えて2万人を突破しました。台湾から東南アジアへ留学する人も増えています。

新住民の皆さんとの文化交流に関しては、内政部移民署が計画を推進中で、私たちの部門も今後進めていく予定です。

東南アジア出身の新住民は、衣食住や教育、娯楽などさまざまな面で、台湾に多元的な文化と生命力をもたらしている。(荘坤儒撮影)

陳定良(台湾アジア交流基金会アシスタント研究員):私は大学と大学院で東南アジアと太平洋の文学およびドキュメンタリーフィルムを研究していたので、よく「東南アジア文学とは?」とか「太平洋の芸術とは?」などと聞かれます。そこで逆に問いかけたいのは、私たちは東南アジアの芸術や文化を、制度化、権威化した基準で見ていないかという点です。こうした基準を取り払えば、東南アジアには、さまざまなものが交じり合った多様で繁栄した文化があります。これが私の信じる文化的価値であり、台湾アジア交流基金会における新南向政策の文化交流でも実践していることです。

台湾アジア交流基金会では、四つの柱を中心に文化交流計画を進行中です。一つは『光華』と協同の新住民文化サロン。これは新住民の皆さんの立場から、新南向政策のさまざまな面を語っていただく場です。このほかに、当基金会とベトナム国立文化芸術研究所やメコン川文化センターとの協同で、芸術家やキュレーターの相互訪問を通しての交流メカニズム確立も進めています。将来的にはポストコロナ時代に焦点を当て、芸術家や文化人が人々の心の傷をいやす役割を果たせないかどうか、可能性を探っていきます。

嘉義にある「越在嘉文化桟」では、ベトナムの民族衣装を展示し、貸し出しもしている。

司会者:以上のお話から、新南向政策は教育や文化、人材などさまざまな面を包括していることが分かりました。そこで第一線で実務に携わる方々に、業務やサービスの内容についてお話いただきます。

インド伝統の祭典、カラフルなホーリー祭が台湾でも毎年開催されており、すでに国籍や宗教を越えて皆が一緒に楽しむフェスティバルとなっている。

孫平(文化台湾基金会国際交流プロジェクトリーダー):当基金会は2019年から地域計画に力を入れてきました。東南アジアとの文化交流を進める際、芸術家の交流のほかに、政府の文化部や国家文化芸術基金会の政策や、台湾の隠れた東南アジア文化も考慮します。

イベントを計画する際には、最初から新住民の方々にも参加していただいて一緒に展示や公演のテーマを決めており、台湾の文化発展における新住民の貢献とエネルギーが見て取れます。

インドネシア人アーティスト、ピンディ・ウィンディさんの作品。台湾の捏麺人(小麦粉の人形)にインドネシア文化を取り入れている。

李佩香(南洋台湾姉妹会理事長):「南洋台湾姉妹会」が設立されたのは1995年で、高雄市美濃に嫁いだインドネシア人女性たちが発起した中国語教室から始まりました。2002年に私が台湾に嫁いできた時、南洋姉妹会が新北市中和に開いている中国語教室に、夫が申し込んでくれました。

現在、南洋姉妹会の理事や幹事の3分の2は移住してきた女性たちが担当していて、さまざまな母語の人が一緒に会議を開きます。皆さんは、会議に1時間もかけると効率が悪いと思われるかもしれませんが、私たちは会議に3~4時間もかけます。これは彼女たちが家庭から外へ出て、社会的議題に参加していることを意味します。

南洋姉妹会はこれまでに多くの文化活動を行ってきました。美食文化交流活動では、東南アジア料理の背後にある物語を知ってもらい、食卓の故郷の味を通して移住者の人生にも触れてもらっています。これをまとめて『餐卓上的家郷(食卓の故郷)』という本も出しました。

2009年には南洋姉妹劇団も結成し、ドキュメンタリー『姉妹売冬瓜(トウガン売り)』を制作、さらに「水上市場:波濤中的越南」というボードゲームも出してベトナム文化を広めてきました。「我不想流浪」という音楽アルバムも出し、私たちの気持ちを伝えています。

 司会者:文化台湾基金会と南洋台湾姉妹会のお話をありがとうございました。最後に私から、『光華』が過去40年にわたって、どのように東南アジアを報道してきたかを振り返ってみたいと思います。1980年代以来『光華』は東南アジアを外国として扱ってきましたが、2015年以降は内部のこととして扱うようになり、新住民は台湾の多様な文化の一部であるという内容が増えてきました。ここからも分かる通り、台湾では東南アジアはあまり馴染みのない存在だったのが、しだいに共存や融合という段階に移ってきたことが分かります。現在、新住民はすでに台湾文化の一部です。新南向政策を今後も推進していくことは、台湾により良い未来をもたらすことにつながるでしょう。

ワークショップでは、参加者は3組に分かれ、文化台湾基金会と南洋台湾姉妹会が中心となって討論した。最後に参加者には台湾の新南向政策に対する意見や期待を書いていただいた。ここにその声の一部をご紹介する。

陳玉水(中山大学コミュニティカレッジ‧ベトナム語講師):

かつては「外国人花嫁」というと、金銭を介した結婚や偽装結婚といったマイナスのイメージがつきまといました。長年かかってようやくわかってきたのですが、台湾社会では「知る機会がないだけで、故意に差別しているわけではない」ということです。しかし新住民は平等な扱いを求めています。

現在の教育課程における学校での母語学習、つまり東南アジア言語の授業は週に1時間ですが、私たちの子供にとってこれでは不十分です。より多くの教材や、多様な学習機会が得られることを願っています。

 劉千萍(南洋台湾姉妹会常務理事):

私は台湾とベトナムの血を引く新二代(新二世)です。新二代である私は、台湾には階級意識があると感じています。台湾人と西洋人の子供はハーフと呼ばれるのに、なぜ私たちは新二代と呼ばれるのでしょうか。また、日本語学習は第二外国語と言うのに、なぜ東南アジア7ヶ国の言語については母語学習と言うのでしょうか。自分の戸籍謄本を見ると、私は父方では八代目、母方では二代目になりますが、それでは新二代なのか、それとも旧八代なのでしょうか。台湾にはハリー‧ポッターに出てくる魔法魔術学校のように、目に見えない組分け帽子があるように感じていますし、台湾人の組分け帽子は固定しすぎています。文化推進においては、このような目に見えない組分け帽子をなくし、階級意識を打破することが必要だと思います。

 李眉君(台湾学校華僑‧外国人学生同窓会準備委員):

私は台湾に来て33年になり、台湾で最もベテランの新住民です。台湾人は外国人に非常に親切ですが、理解が不十分なため、時々人の心を傷つける質問をされます。もちろん、それはわざとではありません。政府やNGOには、さまざまなルートや機会を利用して、台湾の人々が新住民について理解を深められるようにしていただきたいと思います。