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百年を隔てた再会――

百年を隔てた再会――

東南アジアからの移住者とその故郷の文物の出会い

文・郭美瑜  写真・莊坤儒 翻訳・山口 雪菜

2月 2023

国立台湾博物館は百年前の東南アジアのコレクションを展示している。

仕事や結婚のために海を渡ってきた人々が、博物館で故郷の百年前の文物と出会った。今回、国立台湾博物館は、東南アジアから働きに来ている人々に時空を超えた対話の場を提供した。台湾に暮らす東南アジア出身の人々にコレクションの歴史や文化について調べてもらい、彼らによって百年の物語が語られる。文化の平等と多様性の尊重を、博物館が実践した最良の事例である。

1908年創設の国立台湾博物館は台湾で最も長い歴史を持つ博物館である。収蔵品は12万点を超え、その多くは20世紀の日本統治時代に産官学界が採集したり、機関同士の交流や寄贈、交換などによって集められたものだ。戦後に日本人が引き揚げる際、引き継がれた南洋コレクションについては目録と名称があるだけで、それぞれの文物の起源や収蔵年月、作者名などの情報は残っていなかった。

今回の「百年の対話:移住者とコレクションの出会い」特別展のキュレーター袁緒文は、南洋の収蔵品に触れる時、「きれいですね。お名前を教えてください」と話しかけ、いつかこれらを展示したいと考えてきた。1990年代以降、台湾では東南アジアからの移住者が増え、最近はすでに100万人を超えている。このことが、百年前のコレクションを展示する契機となった。

国立台湾博物館のキュレーター袁緒文が、インドネシアのダンサーの服飾からヒントを得たことがきっかけで「百年の対話」特別展の開催につながった。

百年前の故郷の文物との対面

台湾博物館では2015年に「新住民服務大使プロジェクト」を打ち出し、東南アジアから移住してきた人々を博物館のガイドとして募集し、多言語での解説を提供してきた。また東南アジアからの移住者の母国文化や教育のカリキュラムなど、文化多様性を推進する活動も行なっている。

袁緒文によると、2016年にインドネシアからの移住労働者が「Singo Barong Taiwan」というパフォーマンスグループを結成し、台湾博物館が共同開催するインドネシア建国記念文化芸術活動などにおいてインドネシア伝統の民族舞踊レオグ・ポノロゴを披露していた。その時に、袁緒文はダンサーの服飾が、博物館のコレクションに似ていることに気付き、その写真を見せると、移住労働者は「これは私の故郷のもの、私たちの文化です」と言ったのである。インドネシア政府はすでにユネスコに対し、レオグ・ポノロゴを無形文化遺産として申請している。

ここから、博物館と東南アジア出身労働者とのコミュニケーションが始まり、所蔵品の名前や意義が少しずつ明らかになっていった。

百年前から収蔵されてきたインドネシア・クディリ市の影絵芝居の人形。

移住労働者が大きな力に

袁緒文は、収蔵品と移住労働者コミュニティとのリンクについて「本当に思いがけないところから道が開けました」と嬉しそうに話す。

こうして博物館のキュレーションチームは東南アジアコレクションの整理を開始した。また、移住労働者が故郷の文化について調べていく中で、台湾博物館と現地の文化・歴史研究者とのやり取りも増えていった。

さらに、台湾博物館が作品や所蔵品の、展覧会への提供を呼び掛けたところ、インドネシアの短剣クリスや、影絵芝居の人形ワヤン・クリ、民族衣装のバティック、ガムランの楽器、それにフィリピンの伝統衣装やタイの食器、ベトナムの古書など70点余りが寄せられ、台湾博物館における古今の対話の一部となったのである。

インドネシアから台湾へ働きに来たPindyさんは、伝統のバティック染め工房の人形を作って特別展に提供した。

海を渡ったクリスナイフへの思い

台湾博物館と東南アジアのコミュニティをつなぐきっかけとなった短剣クリスは、敵と戦う武器としてインドネシアの島々に伝わってきたもので、現在も身分の象徴や祭器として代々受け継がれている。

インドネシア出身のSri Handiniさんは、特別展のドキュメンタリーフィルムの中でこう語っている。「台湾の博物館にインドネシアのクリスナイフが保存されているとは思いもしませんでした。故郷の年配者が皆、このナイフを持っていることを思い出しました」と。

2019年、駐台北インドネシア経済貿易代表処から寄贈されたバリ島の聖獣バロンの仮面。台湾博物館はこれを一級コレクションとしている。

百年前のワヤン・クリとの再会

台湾博物館ではクリスナイフを研究する中で、影絵芝居の人形もこの短剣を身につけていることに気付いた。問い合わせてみると、これらの人形はジャワ島のクディリ市のもので、身体の部分は木製、手は革製のワヤン・クリであることがわかった。

クディリ市から台湾に働きに来ているBudiさんは「これは故郷の伝統芸能です。私はこれを見て育ちました。台湾がインドネシア文化を保存してくれていたことに感動しています」と語った。彼は、故郷の隣人で人形師のKondo Brodiyantoさんと連絡を取ってくれ、Kondoさんは人形芝居の詳細やタブーについても博物館に伝えてくれたのである。

さらにKondoさんは、台湾博物館が百年前の人形を保存していると知ると、村長や村の劇団に声をかけ、本来は5~6時間の演目を1時間に濃縮してライブ配信してくれ、博物館側でも伝統人形劇を鑑賞できることとなった。

インドネシア出身の新住民である林采妮さん(右)は、伝統舞踊レオグ・ポノロゴの子供用衣装を博物館の展示に提供した。(林格立撮影)

つながっていく発見

台湾博物館では、影絵芝居の人形の一つの冠が、舞踊劇のダンサーの装飾と似ていることに気付き、人形師の協力を得て、この人形が舞踊劇の中の、国王のAdhipati Klonosewandonoであることが確認された。こうしてダンサーとコレクションと伝説の物語がつながったことに、館員たちは感動した。

東ジャワのレオグ・ポノロゴとバリ島のバロン(Barong)は、いずれもインドネシアの信仰における重要な聖獣で、しかも庶民の暮らしと密接につながっている。そこで博物館は、台湾でインドネシアの言語や舞踊などの文化を推進している新住民の林采妮さんから、彼女が子供たちにレオグ・ポノロゴを教える時の衣装を借りて展示した。これと同時に、駐台北インドネシア経済貿易代表処が2019年に台湾博物館に寄贈したバロンの仮面も展示した。実際のレオグ・ポノロゴの面は重さ60~70キロにも達する世界最大の仮面の一つで、ダンサーは歯の力でこれを支える。

林采妮さんの家族はレオグ・ポノロゴのダンサーで、身近なものだったが「台湾に来て、これを目にしなくなってから、大切なものだと感じるようになりました」と言う。彼女の舞台衣装は博物館に展示され、多くの人が鑑賞している。

『ラーマーヤナ』を題材としたジャワ島の人形劇の人形。

フィリピンからの移住者

展覧会場には百年前にパイナップル繊維で織られたフィリピンの服飾バロン・タガログも展示されている。男性用は刺繍が入ったポケットのないシャツで、女性用はバタフライスリーブが特徴となっている。

バロン・タガログは、1975年にマルコス元大統領が国の正装に指定して以来、フォーマルな場でよく目にするようになった。

台湾で活動するフィリピン人サンドアーティストで服飾デザイナーでもあるMario Subeldiaさんは、台湾博物館所蔵の礼服を見て驚いたという。パイナップル繊維もしっかりしていて、まるで昔に戻ったような感覚を覚えたのだ。現在ではパイナップル繊維(ピーニャ)の価格は非常に高くて手に入りにくいため、彼は化学繊維を使っている。多くの人がフィリピンの正装の美を鑑賞し、また自分の作品を見てくれることで、フィリピン人であることを誇りに感じると語った。

フィリピンのサンドアーティストで服飾デザイナーでもあるMario Subeldiaさんがデザインしたフィリピンの国服をモチーフにしたドレス。百年前の所蔵品とともに展示されている。

移住者と故郷の文物の出会い

袁緒文によると、近年は世界中の博物館で東南アジア文物の研究が盛んに進められているという。博物館は文献や史料を整理して展覧会を開くことができるが、「これらのコレクションの主体である東南アジアからの移住者が台湾に暮らしているのですから、その人たちに物語を語っていただくべきではないでしょうか」と袁緒文は言う。今回の特別展は「まさに東南アジアからの移住労働者とともに所蔵品の身元を尋ねていく過程から実現したのです」と言う通りだ。

輔仁大学博物館学研究所の林玟伶・助教によると、2022年にプラハで開催されたICOM(国際博物館会議)大会において「利用可能性、包摂性、多様性、コミュニティ参加」が博物館の新たな定義とされた。今回、移住労働者コミュニティが熱心に参加したことで、展示品とコミュニティがつながったことは、長年をかけた互いの信頼があってこそのものだと言える。

これまでの展覧会の多くはキュレーターの思考が中心だったが、台湾博物館が東南アジア出身者のコミュニティの参加を促したことで、彼らが母国文化の角度からコレクションの物語を語ることとなり、このようなコミュニティの文化を尊重する方法は高く評価できると林玟伶は語る。

国立台湾博物館で開催されている「百年の対話:移住者とコレクションの出会い」特別展では、台湾で働く東南アジア出身者が所蔵品の歴史や身元の解明に参加した。

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