忘れられた「楽生の世界」へ
神父の台湾でのもう一つの貢献は、ハンセン病療養所入所者へ関心とケアだ。
1975年、Gutheinz神父はイタリア人のAntonio Sacchettini神父に誘われ、初めて新北市迴龍にあるハンセン病療養所「楽生療養院」を訪れた。当時はまだハンセン病を根本的に治す薬はなかった。感染力は極めて弱いが、らい菌によって皮膚などが侵されるため、面立ちが変わってしまい、一般にさまざまな誤解もあり、患者を収容する楽生院は一般社会から隔絶されたタブーの地とされてきたのである。
「愛があれば怖れることはありません」と神父は言い、何の迷いもなく楽生院に足を踏み入れた。だが、そこで神父が目にしたのは、わずか数坪の空間に多くの入所者がひしめく現状だった。中には精神疾患を患っている人もいた。衝撃を受けた神父はすぐに神学院に戻り、泣きながら主に祈りを捧げた。
その時に思い出したのは、妹が20歳の時に修道女になりたいと思い、韓国でハンセン病患者のケアをしていたことだ。当時、母親が急逝したため、妹は家族のために夢をあきらめた。「すぐに気付きました。主は、もともと妹に与えた使命を私に課されたということに」と言う。これ以来、神父は何としても自分がやらなければという気持ちで、40年余りにわたって療養所入所者のために働いてきたのである。
楽生院にある聖ウィリアム聖堂でミサを行って入所者の心をいやすだけでなく、彼らの手を握り、顔を撫で、食事もともにしてきた。
神父は宗教の垣根を超え、同じ教区にある仏教の棲蓮精舎やキリスト教長老教会聖望教会などと協力し、入所者の代理として政府の衛生署に、合理的で尊厳のある居住空間や医療の質の向上を求めた。Gutheinz神父にとっては、教会の信者であろうとなかろうと、他の宗教団体であっても全く問題はない。「主は愛なのですから、人が何を信仰していようと、すべて主の愛の対象です。だから私も彼らを愛するのです」と言う。
神父は楽生院で2回、園遊会を開いた。一般の人々と入所者との懸け橋となって社会の誤解を解き、元患者たちが閉鎖された環境から外へと出られるようにしたいからだ。
こうした働きは少しずつ成果を上げ始めた。「今では院内の一人ひとりが個室を持つようになり、私よりいい暮らしをしていますよ」と言い、楽生院の患者も、ここは世界で一番いい環境だと語る。
アウトドア活動を好む神父は、台湾でも海へ山へと出かける。写真は日月潭で泳いだ時の様子。